墓前に佇む・・・
特に男性は嫌いだった。中学時代の体育の授業で着替えをする時など、見たくないものを見せられた気がして、さらに体臭のきつさは吐き気を催すほどだった。
――俺もこいつらと一緒なんだ――
と思うと、まわりの皆より、一番汚いのは自分に思えてならなかった。その時に自己嫌悪に陥ったのだが、陥った理由を、
――こいつらが、俺を陥れたんだ――
と、まわりに責任転嫁していた。
まわりくどいやり方をしたものだ。普通にまわりの連中を汚いと思うだけではなく、自分を汚いと思わせ、さらにその責任をまわりに押し付ける。自分以外の連中だけを悪者にしたくないという考えでもあったのか、その時に考えていれば答えは見つかったかも知れないが、その時にわざわざそんなことを考えるようなことはしなかった。
かといっても、今その時のことを思い出すなどできるはずもない。思い出したとしても、精神的にまったく違っているのだから、過去のことを思い出すことすら難しいだろう。特にその時の自分に戻ってしまわないと思いつかない発想である。それを思うと、
「もしできるとすれば、夢の中でのことだけになるだろうな」
と思うのだった。
「大久保さんは、樹里さんをご存じなんですか?」
いきなり樹里という名前を言われて、ギクッとしてしまった。今までの自分なら、その場から一刻も早く逃げ出したい気分になるほど、手足が震え、彼女の顔をまともに見ることができなかったかも知れない。
「じゃあ、君も樹里さんを知っているということなのかい?」
「ええ知っています。何度か一緒に過ごしたことがあります」
何のことなのかさっぱり分からないが、麻衣から樹里の話を聞いて、
――俺は樹里とどういう関係だと言えばいいんだ?
茂も樹里とは深い関わりがあると思っていたが、改まって聞かれたりしたら、どう答えるのか、答えが見つからないことに気が付いた。
いや、それは他人に対してだけではない。自分に対しても同じことだ。松倉樹里と幼馴染だったという事実に間違いはないが、それだけの関係だったと自分に言い聞かせることができるだろうか。
――それだけで納得できるのか?
樹里がいなくなってからの茂は、すっかり人嫌いになってしまった。
――人嫌いになったのはいつだったんだろう?
と、たった今感じたことではないか。その答えは見つからないと思っていたはずなのに、それほど時間が経っていないのに、今まで分からなかったことが、どうしてこんなに簡単に見つかるのだ。
そういう意味では、今までいいことのなかった自分の人生に、初めていいことが起きる周期が回ってきたとして、自分を納得させられるのではないだろうか。
「麻衣さんが僕のところを訪れたのは、少なからず樹里さんのことがあってのことだとは思うんだけど、樹里さんのことは今では誰も覚えていないくらい古い記憶になっているということをご存じの上で来てくれたと思っていいのかな?」
「ええ、樹里さんのことは確かに皆さんには過去の記憶になっているのは分かっているつもりです。ですが、それでも私は大久保さんに会わなければいけないと思って訪ねてきました」
「樹里さんが、子供の頃に行方不明になって、警察が捜索したにも関わらず、見つけることができなかった。そして七年が経って失踪者が法律に従って死んだことになってしまうということもご存じですよね?」
「ええ、もちろん知っています。実は私もその時、樹里さんの葬儀を影から少しの間眺めていたんですよ」
「あなたは自分の都合の悪いことは言う必要はないと思うけど、なるべく知っていることを話してくれると、僕は救われたような気がするんだ」
「そう言っていただけると嬉しいです。確かに私の口から喋れることは限られているのかも知れませんけど、私がこうやってあなたのところに来たのも、そのつもりだったからです。私の中にも終わらせてしまいたいことがあって、キチンとケジメをつけなければいけないと思っているのも事実なんです」
「まずは、リラックスしてくださいね。僕は決してあなたを苦しめることを本意としない。そのことだけは分かってほしい」
「ええ、分かりました。私も言わなければいけないことをすべて話すことで、やっと前に進める気がするんです。今までの人生を振り返っての話になるので、少し言葉が詰まることもあるかも知れませんが、勘弁してくださいね」
「それはお互い様だと思っているよ。でも、それ以上に僕は君の勇気に敬意を表する」
「勇気なんてものではないですよ。ひょっとするとあなたに私の背負っているものを一緒に背負わせる形になるんじゃないかって思うんですよ」
「僕は、いつもまわりに引け目のようなものを感じていたけど、背負っているという考えを持ったことはないですね。背負うというのがどういうものなのか、意識したこともないです」
「でも、あなたは、なるべくまわりの人と関わりたくないと思っているでしょう? それ自体が何かを背負っているように思うんです。ひょっとして樹里さんのことなのかも知れないと私は思っていますよ」
「実は、樹里さんが行方不明になった時、最後に遭ったのが実は僕らしいんだ。警察の人からも僕に何度も聞きに来ましたよ。違う刑事さんが入れ替わり立ち代わりですね」
「まるで犯人扱いじゃないですか」
「だから、最後に遭ったというだけで警察がしつこいほど来るので、悪くなくてもまわりは無責任に、何かあると勝手に思ってしまう。それは他人事だから、そう思えるんじゃないかなと思うんだけど、こっちもまわりからの目を気にしてしまうと、悪くなくても、何か悪いことを自分がしたと思ってしまうんだよ。誰が悪いわけでもないのに、それだけに僕は誰にこの思いをぶつけていいのか分からない。一人で籠っているうちに人間不信になってしまったというわけさ」
「それがあなたの背負っているものなのね? 人は大なり小なり、何かを背負って生きているものだって思っているんですけど、私はあなたを見ていると、やっぱりあなたに私の背負っているものを背負わせる気にはなれない気がしてきたわ」
緊張しての戸惑いではない。一生懸命に考えて、考えれば考えるほど、また同じところに戻ってくるような袋小路に入り込んだのではないだろうか。だが、彼女は最初から決意をしていたはずだ。決意が少しくらい鈍ろうとも話を止めるような、彼女はそんな女性ではなかった。もし、決意が鈍って話をやめてしまうような女性なら、あれからもう二度と茂の前に顔を出さないだろうし、偶然であっても、出会うことは決してなかったに違いない。ただそれが本当にいいことなのかどうか、その時の茂にも麻衣にも分かるわけはなかったのだ。
茂は自分の中に何か違う感覚が芽生えていることを、その時まだ気付いていなかった。それが以前から感じていたものを思い出そうとする感覚なのか、それとも、これから起こる自分の心境の変化なのかが分からなかった。ただ、そのことに樹里が絡んでいること、そして運命の悪戯か、姪っ子である由梨が樹里にそっくりであることが影響してくるのだが、樹里がいなくなったことへの自責の念は、ただ、まわりからの目だけでないことに違いはないようだ。