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墓前に佇む・・・

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「海だ。ナンパだ。バカンスだ」
 などと、キャッチフレーズを勝手にでっち上げ、それが健康な成年男子全員が抱く欲望だと思っていた。
 確かに、ナンパでときめきを感じたいという意識がないわけではない、むしろ人に悟られないように隠している分、感覚としての割合は強いものである。しかし、それが夏の時期の海という意味ではまったく意識が違っている。嫌なものに我慢しながら得なければいけないときめきなど、本当のほしいと思っている感情ではないと思う。
 しかし、出会いというのは不思議なもので、彼が一人の女性と出会ったのは、夏のしかも海だった。
 なぜ彼が夏の海にその時いたのかというのは、本人も分かっていない。考え事をしていて、気が付けば海にいたと言えばいいのだろうが、説得力があるはずもない。まだ、
「何かの知らない力に呼び寄せられた」
 と言った方が信憑性がある。
 それだけ彼は誰からも相手にされず、コンパに誘われたとしても、ただの人数合わせだった。
「俺一人がいなくなったって、誰も気づかないさ」
 と、逆に誘われたコンパで、相手も人数合わせに付き合わされているような女の子を見つけて、二人でいなくなったとしても、誰も気にはしないだろう。そんなちっぽけな妄想を抱いて、コンパにはいつも参加していた。
 だが、人数合わせはしょせん人数合わせでしかない。ただ放っておいてくれればいいものを、酒の肴として扱われることも人数合わせの大きな「仕事の一つ」だった。
 放っておいてくれればどれほど気が楽なものか。なぜなら自分の世界に入っている時は時間が早く流れるが、いつ振られるか分からないと思うと、おちおち一人で考え事ができるはずもない。いつ受けるか分からない攻撃に備えなければいけないことがどれほど情けないことか、他の連中に分かるはずもないと思っていた。
 ただ、その時に海にいたという意識は自分で思い出したものではない。自分に大きな影響を与えることになる女性と知り合うきっかけになったことを、彼女本人から知らされたことで、
「君のいうことなら、間違いないだろう」
 と言って、彼女が微笑んだのを見て、その時、何とか記憶の奥から引っ張り出すことに成功した。
 彼の名前は大久保茂。大学卒業を来年に控えて、就職も何とか内定に持ち込むことができ、学生時代のことを少しずつ思い出にしていこうと思っていた頃だった。
 大学時代はもちろん、小学校の高学年くらいから思い出そうとしていた。大学二年生の頃の記憶の方が、中学の記憶よりも前だったような意識があるほど、記憶を探るというのは、時系列がしっかりとはしていなかった。
 だからといって、大学二年生の頃が、何も考えていなかったわけではない。しいて言えば、毎日をどのように過ごそうかという意識の元、いつも悩んでいたように思えてならなかった。大学卒業の頃というと、さほど考え方が変わっているわけではない。どちらかというと就職を目の前にして精神的に不安定なのは今の方である。
 だが、考え方としては、
「今も昔も期待と不安が渦巻いている時は、不安の方に気持ちを支配されないように意識していた」
 ということであった。
 中学時代も不安と期待が渦巻いていたが、いつも前面には不安が壁を作っていて、期待が何であるかが遮られて記憶していた。だが、今はその理由が分かる気がする。
「期待は不安と紙一重で、しかも、裏返しの位置にある。したがって、期待を見ようとすると、どうしても近くにある不安を避けて通ることができない。不安を押しのけてでも期待を浮き彫りにすることができれば、期待を表に出すこともできていたはずなのに……」
 と、考えていた。
 そこまで分かっているというのに、どうして、不安を押しのけることができないのだろう? むしろ意識しない方が、知らぬが仏で、期待を表に出せるのかも知れない。そのことを教えてくれたのが、彼女だったような気がする。そして何よりも、意識の中に潜在している持って生まれたものを引き出してくれたのが彼女だったのだ。
 彼女……、名前を櫻井麻衣というが、麻衣と知り合ったのは、決して偶然などではなかった。コンパで知り合ったわけでも、ナンパしたわけでもない。今から思い出しても信じられないくらいのことなのだが、何と彼女の方から訪ねてきたのだった。
 どうやって家を見つけたのか分からないが、麻衣は茂のアパートの前で待っていた。茂の住まいはアパートといってもコーポに近いので、新築だった。会社に通うのは少し遠く不便なのだが、家賃の安さは十分で、慣れれば不自由もない。田舎でははあるが、電車通勤には不便さはなく、駅まで歩いてすぐだということと、静かな環境というところが気に入っていた。
 茂は会社の人を部屋に連れてきたこともない。仕事が遅くなって最終になることもあるが、終点なので、寝過ごすことはない。逆に言えば、始発駅でもあるので、朝は必ず座っていける。もちろんそれだけが部屋を決めた理由ではないが、それほど彼の頭の中では結構いろいろなことが考えられていて、現実的であることが分かる。
 本当の理由は、小高い丘の上にある墓地に、いつでもお参りができることだった。このあたりは、五年ほど前までは、見る影もないほどの田舎で、
「陸の孤島」
 という表現が当て嵌まるほどの過疎地であった。
 それがここ五年でかなり変わってきたのは墓地から見えるところにある小さな島で開発が行われるのが決定したからだ。
 島自体というよりも、海底開発が行われ、島から入って、海の中に大きな施設を作ろうという計画が持ち上がったことで、このあたりに開発者が住むためのマンションやアパートがたくさん作られた。
 目の前に見える島は、「クジラ島」と呼ばれていて、島自体はまるで背中部分を表に出したクジラのように見えることから「クジラ島」と言われている。もちろん正式には違う名前がついているのだろうが、開発計画も通称の「クジラ島」をそのままに、「クジラ島開発計画」と銘打って、都会の方では人材募集を行っていた。
 だが、こういう計画にはえてして時間が掛かるもの。完成予定としてはまだまだ掛かるということだった。最低でも十年は掛かるのではないかというのがもっぱらの噂で、元々リゾートになど興味のない茂にとっては、
「何年先でも関係ない」
 としか思っていなかった。
 その日、茂は仕事を定時に終え、まだまだ西日を感じることのできる時間に部屋まで帰ってきていた。歩いていて、後ろから差してくる日差しの強さと足元から伸びる影が気になってか、その時はずっと足元を見ながら歩いていた。部屋の前に誰かがいるなどありえないことだったので、
「足元を見て歩いている方が疲れなくてよさそうだ。どうせ誰が見ているわけでもない」
 と、独り言ちながら歩いていた。
 元々、人の目を気にする方ではないと思っていた茂だったが、一人で田舎に住むようになると、
「俺って、気にしていないと思っていることを、無意識に気にしてしまっているのかも知れない」
 と思うようになっていた。
作品名:墓前に佇む・・・ 作家名:森本晃次