表裏の真実
むしろ、黙っていた方が、彼女の方から話したくなるのが分かっているからだった。投書までするのだから、何かを訴えたいという気持ちは誰よりもあるはず、その気持ちを必要以上に煽ることもないだろう。
この店に連れてきたのも、何かを思ってのことに違いない。
「この街には交通事故の多発地帯が二つあるんです。一つはいかにも事故の起こりそうな場所と、もう一つは見晴らしがいいんだけど、なぜか惨状と思えるような事故が発生する。でも、そこではこれも不思議なんですが、死亡事故というのはなかったんです」
「それもおかしな現象だね」
「ええ、私はそのうちに、どうして誰もその不思議な現象について何も言わないのか疑問に思うようになったんです」
「それで?」
「私は、この街に来たのは高校生になってからだったので、交通事故の話は人づてで聞いたのですが、最初はなかなか理解できませんでした」
「ほう」
「どうやら、皆、それぞれに中途半端にしか知らないようだったんです。それも中途半端に抜け落ちている部分が違っていたので、最初は同じことの話をしているのか疑問に思ったくらいでした」
「それはそうでしょうね」
「でも、よく聞いてみると、一つの話だったんです。次第に埋まらなかった部分が埋まってくるようになると、どうやら、この街には何か触れてはならないものが存在しているようで、それを親から子に、まともに伝えてはいけないことのようになっていたようなんですよね。子供の好奇心で、いろいろ冒険してみたりして、秘密に近づこうとすると、親たちが一喝してそれ以上探らせないようにする。だから、皆の認識が少しずつ違っていたんです」
「なるほど、それで、由梨さんの頭の中では繋がりましたか?」
「ある程度は繋がったつもりなんですが、どうしても埋まらない部分がある。つまり、微妙に違っている認識であっても、皆が共通して知らない部分がある。それこそがこの町では開けてはいけない『パンドラの匣』だというわけなんでしょうね」
「なかなか鋭い観察力だと思いますね。僕があなたの立場でも同じことを考えたでしょうね。ただ、それには一度自分が冷静になって客観的にまわりから見つめ直す必要がある。そういう意味では難しいことだったはずですよ」
岡本は、由梨の話を聞きながら、自分のことも思い出していた。
自分がルポライターになった理由は、子供の頃にあった。
東北の田舎町で育った岡本は、完全に閉鎖的な街の出身だった。
街によそ者が来ることもほとんどなく、街は完全にまわりから孤立していた。
まわりの街は、「町おこし」などと称して、都会で行われるイベントに参加したり、宣伝のビデオを作ったり、ポスターを貼ったりして、アピール合戦を繰り返していた。
しかし、彼の育った街は、まったくそんなものには興味を示さず、市町村合併が流行った時期でも、この街は蚊帳の外だった。
自分たちからアピールすることはもちろんなく、まわりの街からの合併話もなかった。
市町村合併には合併しようと考える方も、合併される方も、当然自分たちの立場が弱くなることを嫌うだろう。自分たちだけで街を盛り上げていけるのであれば、合併などありえない。合併することで達成できることを考えるから、合併を視野に入れるのだ。
岡本の育った街は、自然には恵まれていた。自給自足だけでもやっていける街だったのだ。
そんな街が他の街と合併しても、別に利点はない。せっかく閉鎖的な街として今までやってきたのだから、これからもできるはずだ。
しかし、街の人全員がそう思っていたわけではない。
中には、
――今はそれでもいいかも知れないけど、時代が進むにつれて、まわりの街がどんどん強大になっていくのに、このままだと呑み込まれてしまう――
と考えていた。
呑み込まれるというのは、物理的なものだけではなく、
――時代に呑み込まれる――
という発想もあったのだ。
時代に取り残されると言ってもいいだろう。
元々過疎になりかかっているこの街の存続は、自分たちだけではどうにもならないということを、本当に分かっているのかと考える人もいた。
ただ、そう思う人は、街を出て行くものだ。
家族と大喧嘩してでも出て行く人も結構いた。
「こんな腐ったようなところにいられるか」
と言って出て行くのだ。
大喧嘩はしてみたものの、出ていくというものを引き留めることはできない。もし、引き留めてこの街に残ったとしても、それ以降、その人は街に禍根を残すことになるだけで、街のためになることはないだろう。
――いずれは、心を入れ替えることになるんじゃないか――
と思っている街の大人たちは、ほとんどいない。
そういう意味で、街から出て行く連中を止めることはできなかった。
「他の過疎街とどう違うんだ?」
と言われるかも知れないが、当事者である街の人間たちにとっては、まったく違っている。
「俺たちはこの街を出て行かなかった。それは若い頃には、いずれ都会に出てみたいという思いはあったが、すぐに考えを改めた。この街の人間は、やっぱりこの街を離れられないんだって思うからね」
という意見が多かった。
もう一つ、この街を出て、都会に行った人間も、挫折することはあるだろう。しかし、誰一人、街に出戻ってくる人はいなかった。
街から出ることに対しては、さほどの抵抗はないが、街に戻ることに関しては、かなりの抵抗があるようだ。
岡本も、高校を卒業すると、その街を出た一人なのだが、
「あの街には戻ろうとは思わない」
と言って、さらに、
「まるで結界のようなものがあるんだよ。この街に戻ってくるとするにはな」
とまで感じていたようだ。
一度表に出てしまうと、生まれ育った街とはいえ、自分の中ではまるで夢幻の類にしか思えない。まるで、砂漠の中に浮かぶ「蜃気楼の街」と呼ばれる伝説のようではないか。
砂漠のような超自然的な場所では、究極の状況に陥ると幻を見るという。そんなところには伝説がたくさん生まれるのも当然のことであり、岡本もいくつか聞いたり、本で読んだりもしていた。
それはやはり生まれ育った街に対しての思い入れがあるからで、戻ることのできない場所だと思えば思うほど、意識してしまうものなのだろう。
岡本にとって、子供の頃の思い出が風化してしまうことはなかったが、それが今も存在しているような意識がないのだ。あくまでも思い出の中だけに存在しているオアシスは、まさしく「蜃気楼の街」だった。
岡本がルポライターになったのは、自由に取材で全国を回っていると、そのうちに生まれ育った街にひょっこりと戻ることができるのではないかと思ったからだ。
――そんなバカなことありえないよな――
と思いながらも、考えてしまうのは、
――自分が著す言葉には、無限の力がある――
と感じているからなのかも知れない。
実際にいろいろな街に行ってみて、自分の生まれ育った街よりも、もっと興味深いような街もいくつかあったりした。
――世の中って広いものだ――
と感じたのも真実で、
――ルポライターをしていると、一つの考えに凝り固まってしまわないようにしないといけないな――
と感じていた。