表裏の真実
考え方が一つだと、どうしても第一印象がすべてになってしまう。最初に感じたことが間違っていれば、途中から
――何かがおかしい――
と思っても、何がおかしいのか分からない。
なぜなら、一つの意見に凝り固まってしまうと、時系列でしかものを考えることができなくなって、途中まで考えたことを遡って、考え直すことはできないのだ。
そんな時、
――もう一つの世界を通ってきたんじゃないのかな?
と思うことがあった。
進んできた道を、回れ右して真後ろを向いたはずなのに、確認ができないのだ。一度後ろを振り返ると、納得のいくところまで後ろに進まないと、前を向くことができない自分に驚かされる。
――一体、どうしたことなんだ?
そこに呪縛が存在していることに気づくまでに少し時間が掛かり、呪縛の存在を知った時点で、すでに手遅れだということに気づかされる。
その時に、考え方が一つだと、苦しむのはしょせん自分であるということを思い知らされるのだ。
岡本はこの話を誰にもしたことがなかった。言っても信じてもらえないのは分かっているからだ。だが、似たような経験のある人は、意外とそばにいるのかも知れないと、思うようになっていた。
今までにそんな感覚の人が目の前に現れたことはなかった。だが、実は今目の前に同じような感覚を持っている人がいることに、岡本は気づいていなかった。
その人というのはマスターである。
マスターは岡本を見て、
――ひょっとして――
と感じたが、それが確信に変わったのが、岡本が一人で何かを考えているのが分かり、目線が定まっていない時、マスターと目が合ったはずなのに、視線は自分を通り越して、さらに向こうを見ていたのだ。
マスターは、自分にもそういう経験があることを分かっていた。ただ、それを自覚している人は少なく、あくまでも無意識だと思ったからだ。
だが、岡本はマスターと目が合ったことを意識していた。
マスターの方は、岡本が無意識だと思っていたのだが、その理由は、
――もし、少しでも意識していたら、目が合った時、瞳孔が微妙に開いていくのを感じるはずなのに、その感覚がなかった――
と思ったからだ。
マスターは学生時代、心理学の勉強をしていた。
元々、人が嫌いで、子供の頃から友達も少なかった。
人に気を遣うということが嫌いで、
――どうして、人に気を遣いなさいって皆大人はいうんだろう?
と思っていた。
子供だからと言って、大人に守られているという感覚を持ちたくなかった。確かに子供だけでは何もできないのだろうが、大人からの押し付けが子供にはプレッシャーになったりしている。
「最近の子供は」
と、よく大人は言っていたが、自分にだって子供の時代があったはずだ。
確かに今と時代は違っているのだろうが、自分が子供の頃も大人に対して、同じことを考えていたのではないだろうか。立場が変わればあの時の大人の気持ちが分かるのかも知れないが、子供だった頃の自分を置き去りにして、急に大人の立場からしかモノを言わないというのは、片手落ちのような気がする。
大人というのは、子供がそのまま成長したものではないのだろうか? どこで子供の気持ちを置き忘れてしまったのか、それとも子供の気持ちを分かっているつもりでも、叱らなければいけないという義務感からだけで、子供を叱っているのだろうか。
マスターは後者だと思っている。子供の頃に感じた、
――あんな大人になんかなりたくない――
という思いを、ほとんど皆が感じたことだろう。そんな中で、
――なりたくないと思っていても、なってしまったものは仕方がない――
という諦めの境地のようなものを感じているとすれば、それは自分の中の矛盾に気づいた時だった。
最初は子供を叱る時、感情から叱っていたはずだ。
――せっかく躾けをしようと思っているのに、ちっとも言うことを聞いてくれない――
その思いは、親になって初めて感じた思いだと気づかないからだ。
子供を甘やかしても、叱りすぎてもいけない。子育ては難しいものだという思いは誰にでもある。特に初めての子育ては、手探り状態だ。どうしても、育児書に頼ったり、カウンセリングを受けてみたりしたくなるものだ。ママ同士での友達がいればいいのだろうが、いない人にとっては、孤独を感じながらの子育てになる。ノイローゼと背中合わせの状態であろう。
マスターは、自分は独身だが、姉がいた。
姉は自分のことを子供の頃から面倒を見てくれて、さぞやいいお母さんになるのだろうと思っていたが、結婚して実際に子育てに入ると、孤独からノイローゼにかかってしまった。
旦那は、仕事が忙しいらしく、子育てや奥さんのことにはあまり関心がなかった。
「お前のいいように子育てすればいいからな」
と言って、投げやりだったようだ。
姉もそんな旦那に対して、
「いいのよ、ありがとう。私頑張るね」
と言って、健気に一人で頑張っていた。
だが、姉は一つのことに集中するとまわりが見えなくなる性格で、さらに思い込んでしまうと、そこから抜けられなくなってしまう。
育児にとって、その性格は
――百害あって一利なし――
というものであった。
まわりからは、姉が痩せ我慢していたことで、姉が抱えている苦しみを誰も分からなかった。姉の性格は、そんなところにも災いするようで、姉の様子がおかしいと思い始めた時には、姉がいつ自殺してもおかしくない状態まで来ていたのだ。
まわりが気になり始めた頃、姉のストレスは極限に達し、悪魔の囁き一つで、姉は命を落とす。
しかも、その悪魔の囁きは、まわりが姉を見ている前で起こすように仕組まれていた。姉は、通勤ラッシュの時間を狙ったかのように、電車に飛び込んで見せたのだ。
――あの目立つことを一番嫌っていた姉が、最後の最後に舞台に上がったんだ――
と、マスターは思った。
それは姉がまだ二十三歳という若さで、マスターが大学三年生の頃だった。
姉の死は、まわりに対して、最初こそショッキングな事件としてセンセーショナルな話題をもたらしたが、時間が経てば風化してしまった。
――どうせあいつら、姉のことなんかどうでもいいんだ――
とマスターは感じていた。
マスターにとって、まわりが姉のことを忘れていくのと反対に、自分のところに戻ってきてくれたようで、嬉しかった。そういう意味ではまわりの連中が姉のことを忘れていくのは寂しいという思いよりも、自分に返してくれたという意味で、まわりに対しての薄情な思いはなくなっていた。
マスターは、心理学の勉強をしながら、大学に残ることを目指していた。
しょせん、社会に出ても、自分のような人間は適用できないことくらい、自分なりに分かっていたつもりだ。それなら大学院に進んで、このまま心理学の勉強を続け、いずれは助教授から教授へと進んでいく道を模索するのが一番自分らしいと思ったのだ。
姉の自殺はショッキングだったが、その理由が分からないことで、少し自分の勉強してきたことがまだ未熟だということに気づき、
――もっともっと勉強しなければ――