表裏の真実
最初に話をしなければ、次第に話をする気がなくなってしまうのも事実で、いつの間にか自分の隠れ家としてのバーに変わってしまった。
それでも、
――里見という人が現れるかも知れない――
という思いがあったのも事実だったが、半年経っても、その男は現れることはなかった。二人は何を話していたのか気にならないわけではなかったが、この店の常連になっていくにつれて、
――このまま、里見という人と会わないのであれば、それに越したことはない――
と思うようになっていった。
ただ、この店に来るようになって、マスターと話をしていると、事故多発地帯への意識が強い客がこの店には多いということを教えてくれた。ここに時々来ていた松山が、その事故多発地帯の一方で轢き逃げされたというのも、皮肉なものだった。
実は、由梨は一度里見に連絡を取っていた。彼に、ここの事故多発の記事を書いてほしいと頼んだからだ。
彼に近づくには、この店に現れるのを待つよりも、自分から話題を作ってアプローチする分には、それほど辛さを感じないと思ったからだった。
ただ、里見からは断られた。
「ちょうど今、重要な記事を書いている途中なので、それが終わるまで動けない」
ということだった。
さらにお願いしてみると、最後に彼はこう言った。
「戦死した戦友のために、俺はここで辞めるわけにはいかないんだ」
このセリフが何を意味しているのか、由梨には分かった。そして、
――彼の邪魔をしてはいけない――
と感じたことで、彼への取材申し込みは断念したのだ。
その時、
「じゃあ、僕の知り合いで、一人ルポライターを紹介しますよ」
と言って紹介されたのが、岡本だったのだ。
岡本は、由梨の送った投書の話に興味を持ったようだった。最初は難しいかも知れないと由梨は感じていたが、その理由として、
「岡本君は、自分の興味を持ったことにしか、動こうとしないから、ハッキリとお勧めだとは言えないけど、彼の仕事は間違いないと思うよ」
ということで、岡本に連絡を取ったのだった。
岡本は、躊躇うことなく応じてくれた。
「里見さんからのご紹介なら、大丈夫ですね」
ということで、福岡に乗り込んでくれたわけだが、岡本も里見がこの福岡で何をしようとしていたのかよく分かっていないようだった。
里見は、松山が死んでから福岡に立ち寄ったという話を聞いていない。もちろん、岡本が知っている範囲での話なのだが、岡本は里見が由梨の死んだ彼氏と密接な関係であったということは知らないだろう。
マスターに岡本を見かけたことがあったかどうか聞いてみたが、マスターは、
「初めてのお客さんですね」
と言っていた。
マスターも、松山の死に何らかの胡散臭さを感じているのは事実のようで、
「由梨ちゃん、あまり深入りはしない方がいいかも知れないよ」
と釘を刺していた。
岡本に逢坂峠の取材をしてもらってからの反響が大きかったことで、由梨に対して好意的だった人が、急によそよそしくなってきた。最初は、逢坂峠の記事とは無関係だと思っていたが、一人の奥さんが、
「由梨さんは、どうして、逢坂峠の取材をしたんですか? 町議会で問題になったようで、由梨さんに対して皆がよそよそしくなったのは、そのせいだって、ウワサがあるんですよ」
と言っていたのには、少しビックリさせられた。
しかし、これも由梨の想定内のことであった。
――これで、松山さんの死と、町議会の関係が分かった気がする――
と思った。
由梨は、途中から松山が死んだのは、七日辻ではないような気がしていた。いくら田んぼの死角になる場所に遺体が落ち込んだからと言って、誰も気づかないというのもおかしな話だ。疑えばキリがないが、彼の死をすぐに発見されないようにしたのは、実際の死亡場所が違うところだったと考えるのが自然だと思ったからだ。
逢坂峠で死んだのだとすれば辻褄が合う。もし、遺体の移動がままならなくとも、最悪逢坂峠で死んだのだとしても、交通事故なら疑われない。完璧にごまかすには、七日辻で轢き逃げ事件にしてしまうことが一番だと考えたとすれば、考えた人はかなりの慎重派の人で、それだけバックに大きな組織が動いているのかも知れない。
だが、肝心なところになると、まるで霧が掛かったように見えなくなってしまう。
――きっと、皆肝心なことを知らないのかも知れない――
それぞれに自分の役割に関しては熟知しているが、全体像が見えている人はいないと考えるのが妥当ではないだろうか。何かの弾みで糸が繋がってしまうのを恐れているからだろう。
――松山さんはどこまで知っていたのだろう?
肝心な部分にかなり深く入り込んでいたのは間違いないと思う。しかも経理関係の仕事をしていたのだとすれば、何かの談合のようなものだとも考えられる。
そんなことを由梨が考えるようになって、岡本から連絡が入った。それはビックリさせられる知らせだったが、これにより、由梨の考えていることがますます信憑性を帯びてくることになるのは皮肉なことだった。その知らせを聞いて、由梨は岡本に会わねばいけないと思った。場所はバー「サンクチュアリ」、ここしかないだろう。
「実は、里見さんが死んだんだ」
「えっ、どうして?」
「警察では自殺だということになっているんだけど、里見さんは自殺をする理由なんかないはずなんだ。実は、これはまだ内々の話なんだけど、彼が大手出版社から、引き抜きの話が生まれてからすぐのことだったんだ。前途に未来が見えてきたはずの彼が、何を根拠に自殺なんかするはずはないというのが、彼を知っている人の間では、その話題で持ち切りなんですよ」
「彼の表だけしか見ていない連中が、自殺を装ったということなんでしょうね」
「そういうことだと思う。それよりも、一刻も早く、彼には消えてほしいというのがあるのかも知れない」
「どういうことなんでしょう?」
「実は、S町の町議会で、逢坂峠の事故多発地帯を何とかしようというプロジェクトがあり、その建設に絡んでの落札がついこの間、行われたんです。僕は、その記事を密かに里見さんが追いかけていたのを知っていたので、この落札と、里見さんの自殺とがどこかで繋がっているような気がしてならないんですよ」
「そんなことがあったんですね」
「実は里見さんの記事の中に、もう一つ面白い取材を見つけたんですが、きっとこれは記事にするつもりのないものだったんでしょうね」
「どういう内容なんですか?」
「この間、由梨さんと逢坂峠の取材をした時、僕が疑問を呈したのを覚えていますか?」
「どういう内容でしたっけ?」
「ダムの規模が大きすぎたので、ダム湖の底に沈んでいる村は一つではなかったのではないかという疑問を話したと思いますが」
「ああ、あのお話ですね。覚えていますよ」
「実は、里見さんはそのことを密かに書いていたんですよ。そして、事故で死んだ松山さんは、そのもう一つの村の孫に当たる人だったらしいんですよ」
「ええ? それって何かの因縁を感じるんですけど」