表裏の真実
「どうして、今日はこんなに自転車ばかりが私のまわりで気になってしまうのかしら?」
由梨は、自転車を一台ずつ抱き起した。
「あれ?」
そのうちの一台は、昔自分が乗っていた自転車に似ていた。その自転車も盗難にあって、結局見つからなかった自転車だったが、間違いなくここにあるのはその自転車だった。何しろちゃんと名前が書かれている。
「誰が盗んだのか分からないけど、名前をそのままにしておくなんて、何て大胆な盗人なのかしら」
と、怒りとは別にその大胆さに驚嘆すらしている由梨だった。
ただ、盗まれたのは自分であり、盗んだ人が一番悪いのは分かっているが、不注意だったという意識はある。したがって、盗まれたものは仕方がない。それを今度は元々自分のものだからと言って、乗ってしまっては、自分が盗人になってしまう。それは自分で許せることではなかった、
「だったら、見つけなければよかった」
どうしていまさら盗まれた自転車を見つけなければいけないのか、今日という日は、過去に忘れてしまったことを思い出す日なのかも知れない。
いや、忘れてしまったことを思い出したのではなく、忘れきれないことを引きづってしまっていることを自分に言い聞かせる日だったのではないだろうか。思い出してしまったことは仕方のないことだが、思い出すにはそれなりに何かの理由がある。それを思えば、忘れてしまったわけではないので、思い出したというよりも、意識させられる日だと解釈する方が、辻褄が合っているような気がして仕方がない。
――他にも忘れられずに引きづっていることがあるような気がする――
そう思うと、目の前に浮かんできた光景が、七日辻だった。
――大好きだった忘れることのできない人を亡くした場所――
それが七日辻だった。
「そういえば、だいぶ行ってないわ」
彼が亡くなって少しの間は花を手向けに行っていたが、次第に足が遠のいてくると、本当に行かなくなってしまった。忘れようという意識が強かったからなのかも知れない。
七日辻というのは、S町の中でも比較的都会に近いところにある。しかし、都会と言ってもまだ田んぼが残っている部分があるそのちょうど田んぼに囲まれた部分に位置していた。
それだけに、見晴らしはよかった。
元々、見晴らしもよかったことで、信号もつけられていなかった。四つ角ではあるが、完全な十字路というわけではない。なぜなら、主要幹線道路をまたぐように走っている支線は、斜めになって交差しているからだ。
支線と言っても、実は福岡市内に向かうには、この支線を使って、二キロほど進んだところへ出てくる道が一番の近道だった。二キロほど進んで出てくる道は、この十年くらい前にできたバイパスだった。今でこそ、信号がついているが、その信号も最近ついたもので、住民の意見がやっと叶ったのだ。
このあたりに田んぼが残っているのは、なかなか土地の買い手が現れなかったからだ。いくら死人がほとんど出ないとは言え、交通事故が起これば、車は田んぼに突っ込んで、横転していたり、一回転して、天井が田んぼに乗っかっていた李しているのを見れば、さすがに土地の買い手もいないだろう。土地を買って開発しても、度々車に突っ込まれでもしたら溜まったものではないからだ。
だから、まわりにはマンションをはじめ、駐車場や飲食店などの店舗が軒を連ねているのだが、この一角だけは、手が付けられていない。
このあたりを歩く人も、今はほとんどいない。車の事故はどんなに悲惨なものでも、死人は出ていないのに、歩行者というのは、どこまでも車に対して弱いものだ。あっけなく惹かれて死んでしまった人は松山だけではなかった。本当の事故多発地帯としてスクープしてもらわなければいけないのは、ここなのかも知れない。
それなのに敢えて由梨は取材を逢坂峠にした。
由梨の気持ちとしては、
――松山さんを、静かに眠らせてあげたい――
という気持ちもありながら、事故多発地帯を許すことができない自分の気持ちのジレンマから、逢坂峠に焦点を絞って取材を申し込んだのだ。
静かに眠らせてあげたいという気持ちとは裏腹に、彼にもう一度会えるものなら会いたいという気持ちがあるのも事実で、七日辻には、今でも一週間に一度は赴いていた。
しかし、そのことを知っている人は誰もいない。七日辻に歩いていくのはある意味自殺行為のように言われていたからだ。
歩く人はほとんどおらず、特に支線は車が離合できるほどの広さではない。そんな狭い道をその先に店や住宅や会社はほとんどない。あるのは倉庫だったり、以前からの地主の豪邸がある程度だった。豪邸に住んでいる人は車での移動なので、歩く人はほとんどいない。つまり、運転手も歩行者など眼中にないと言ってもいいのだ。
由梨も免許証を持っていて、自分の車を持っていないということであまり車の運転はしたことがないが、OL時代に、一度だけこの道を車で通ったことがあった。もちろん、一人ではなく、助手席には後輩を乗せていた。その時も、
――まさか、こんなところを人が歩くはずもないわ――
と思いながら走っていた。
七日辻に差し掛かった時も、事故多発地帯だという意識はあったが、歩行者への意識はなく、安全運転の自分には、どこが事故多発の要因があるのか分からなかった。助手席の後輩は、
「こんな一直線の道だったら、飛ばしたくなるのも無理はないかも知れないわ」
と答えていた。
「そんなものなの?」
「ええ、たまにしか運転しない先輩には、分からないかも知れないわね。ずっと運転していると、想像以上にストレスが溜まるものなのよ。ストレスが解消できるのであれば、自然とアクセルを踏む足に力が入るのも仕方がないんじゃないかしら?」
と言っていた。
その言葉にウソはなく、きっとこの言葉を口にさせた気持ちが、事故多発の正体なのに違いない。
七日辻にはバス停がある。主要幹線道路のバス停なのだが、七日辻という名前のバス停から実際の交差点までは、数十メートルの距離がある。
ここで降りる人はほとんどいないのに、どうしてバス停が存在するのか、前から疑問だったが、その理由を確かめようとまでは思うことはなかった。
バス停を降りると、七日辻までが見えてきた。
――前にも同じ光景を見たことがあったわ――
松山が交通事故で亡くなったと聞いて、一度も行ったことがなかったはずの七日辻の光景が頭に浮かんできた。その時、後ろから迫ってくる車を必死に避けようとする自分がいて、反射的に避けることで自分が何とか助かったと思った矢先、後ろでうめき声が聞こえた気がした。
その声は松山の声で、まさしく断末魔の声だった。
「松山さん」
必死で近づこうとする由梨だったが、近づこうとすればするほど、松山の姿が遠ざかっていく。
――これは夢なんだわ――
そう思った瞬間、松山が交通事故で死んだという知らせを電話で受けた記憶がよみがえってきた。
「ああ、松山さん」
必死で松山に追いすがろうとする自分の腕が、透けて見えてきた。松山に近づこうとすればするほど、自分の存在が消えていくのを感じた。
――やはり夢なんだわ――