表裏の真実
「若い連中を被害者だという気はしないけど、家族連れやカップルが事故に遭うのは、あまり関心しませんね。でも、気をつけてさえいれば、何とか事故を防ぐことはできると思うんですよ。つまりは、事故だって自己責任じゃないかってね」
洒落ている場合ではないと由梨は思ったが、岡本の表情を見ていると、そんな気持ちはサラサラなさそうだ。
「そこまで厳しく言うのはどうなんでしょう? 実際の事故の場面を見ていないから、何とでも言えるのかも知れないわ」
「そうなんですよ。実際に見ていないから、何とでも言えるんですよ。事故多発地帯だから、行政が何とかしないといけないという考えは、最初に考えることではないと思うんですよね。ドライバーのモラルの問題だってあるんですよ」
「結構、冷静な目でご覧になっているんですね」
少し、鼻にかかったような様子で、由梨は答えた。きっとこのままなら、売り言葉に買い言葉、収拾が付かなくなるかも知れない。
だが、この会話は避けては通れないことだった。由梨としても、投書までして呼び寄せた相手、相手としても、わざわざ福岡くんだりまでやってきたのだから、それなりの結論を自分の中で見つけたいと思っているに違いない。
ただ、このまま行けば平行線になるのは分かっていた。しかし、それも自分の意見をハッキリというからであって、相手が真剣に話しているのに、こちらが勝手に妥協するということは許されない。相手には必ずわかるはずだし、分かってしまうと、今後相手から、まともに話を聞いてもらえなくなってしまう可能性もあった。
「僕は厳しいことを言っているのかも知れませんが、甘っちょろいヒューマニズムだけで解決できることであれば、元々、事故多発地帯なんて発生しないんですよ。こんな場所なので、若い連中は、どうせ人の迷惑なんか関係なく、無謀な運転をしているんでしょうね。被害者の中には、そんな連中に巻き込まれた人もいるかも知れない。それを思うと、僕は許せなくなるんですよ」
そう言って、口を真一文字に結んで、口の中で歯茎から血を出しているのではないかと思えるほどの歯軋りと、敵意をむき出しにした鬼の形相が、虚空を見つめているのを感じた。
――どうしてここまで憎めるのかしら?
何かを憎んでいるのは分かったのだが、それが人間に対してのものなのか、それ以外の見えない力に対してのものなのかが分からなかった。
「何に対して、そんなに怒りをあらわにできるんですか?」
「人間に対してに決まっているじゃないですか。僕は人間を信じていません。すぐに裏切るし、自分のことしか考えていない。もちろん、それは自分もそうだから、他の人もそうなんだろうと思うんですよ。でも、それ以上に何が憎いかというと、そんな他人を信じようという気持ちが憎いんです。すべてを疑うのはどうかと思いますが、信じることから始めるので、悲劇は起こるんですよ。皆、人間なんて信じられないと思って、もっと慎重になれば、悲劇は減るかも知れません。疑ってかかれということですよ」
岡本の話を冷静に聞いていると、確かにその通りだ。ルールがあっても、それを一人でも守らない人がいれば、それが伝染し、あっという間に守らない人が増えてくる。それが人間というものだ。何となくだが分かっているくせに、
「人は信じあわないと生きていけない」
などという道徳的な考えが蔓延してしまったことで、信じてはいけない相手を簡単に信じて、裏切られる。
「あの人かわいそうだわ」
と人は言うだろう。
しかし、裏切られて初めて、人は人の冷徹さに気づくのだ。
誰も助けてはくれない。むしろ、相手にしないようにしようと、中立を決め込む。頼られたら、自分だって同じことをしているだろう。誰も助けてなどくれるわけはないのだ。
つまりは、相手を信じてしまったために自分の身に降りかかったことは、すべて自己責任なのだ。もちろん、騙した方が悪いに決まっているが、その人が警察に捕まって処罰されても、被害者を全面救済など、どこの誰もしてはくれない。やはり、その理由を、
――自己責任――
とされてしまうからだ。
取材の最初から意見が合わないというのも気になるところだったが、それはお互いに目線が違うからだと思っていた。由梨の場合は、ここではないが、自分の付き合っている人を交通事故で亡くしている。しかも轢き逃げで、犯人も見つかっていない。被害者にとっては、やりきれないものだ。
彼の家族もほとんど諦め状態で、少しでも苦しみから逃れたいのだとすれば、それも仕方のないこと、その本意までは由梨には分からないからだった。
――交通事故は、起こす方が悪い――
これは分かっていることで、どちらも加害者である場合。つまりは、逢坂峠のように、無謀運転の無法地帯では、死んだ人間が被害者であるという意識がどうしても由梨の中から離れなかった。
岡本は、由梨のそんな事情は知らない。しかし、由梨の様子を見ていると、ここまで被害者側に思い入れるのは、自分が一度は被害者側に立ったことがない限り、できることではないと思った。
ただ、もしそうだとしても、岡本には由梨の抱えているものをじれったく感じられた。一つのことにずっとこだわっていて、今の様子を見ている限り、そんな最近の出来事ではないことも分かっている。それなのに、今のような状態だと、このままズルズルと、一生十字架を背負って生きていくことになる。岡本には、由梨の足首に「足枷」すら見えていた。
――なるほど、投書まで送ってきたというのには、何かわけがあると思っていたが、この女性にはやはり何かあるんだな――
と、感じたのだった。
由梨とすれば、松山のことを忘れることはできないが、自分の中では吹っ切れたつもりでいた。だが、どこか煮え切らないところがあったので、その思いをぶつけようと、投書を出したのだ。
今回の取材を受けることで、何がどう変わるのか分からない。もちろん、死んだ人が帰ってくるわけはないし、事故が爆発的に減るなどとも考えられない。せめて、マスコミが動いたことで、行政が何かをしなければいけないと思ってくれれば、それだけでも十分だと思っていた。
それなのに、肝心の取材を行ってくれる岡本が、
「事故を起こすのは、自己責任」
という感覚でいられるのは、少し困ったことだとも思えた。
だが、
「逆も真なりで、同情的な記事を書かれるよりも、冷静に事実だけを連ねる方が、読んでいる人に先入観を与えないかも知れない。下手に被害者側への意見を書くと、人によっては、『またいつものような書き方だわ』と思われるだけで、しらじらしさしか残らないのであれば、その方が困ってしまう」
という考えを自分に問いただしてみた。
由梨も、元々冷静に考えることができる女性だった。最初は、岡本が最初に冷静になってしまったので、反抗心から無理にでも熱く考えてしまっていたが、よく考えると、こちらにも都合のいいように考えることができたのだ。
「そういえば、どうしてここを逢坂峠っていうんですかね? 峠には見えないんですが……」
という意見が岡本から生まれたが、それは当然の意見だった。
由梨もずっと、そのことに疑問を感じることはなかった。