表裏の真実
親切の押し売りには違いないが、サプライズをすることに絶対不可欠な条件として、事前のリサーチを必要とすることが、由梨には納得がいかなかった。
由梨は、子供の頃の学芸会や運動会というものが大嫌いだった。最初はなぜ嫌いなのか分からなかったが、本番の前に行われる「予行演習」、つまりはリハーサルというものの存在がどうしても分からなかった。
父兄の前で演技を披露するのに、リハーサルなしで行うというのは、無理があることを理解はしていた。しかし、
――見せるために、体裁だけを繕って練習することの意味がどうしても分からない――
と感じていた。
――普段のありのままを見てもらえばいいじゃない――
この思いは、父兄参観日にも似ている。
わざと分かりやすい問題を出しては、生徒が正解するのを親に見せつけようとする。一種の茶番にしか見えなかった。すっかり興ざめしてしまう。
だから、由梨には予行演習やリハーサルのような、事前の調査というのが、ずっと納得がいかなかった。
もちろん理屈は分かるのだが、理屈が分かっても納得できるものとできないものがある。事前の調査というのは、このパターンに相当すると言ってもいいだろう。
――たった一言ですむのに――
まわりの人はきっとそう思っているだろう。
しかし、その一言を口にできるかできないかというのは、その人の性格を左右する大きなポイントでもあるのだ。
ただ、事前のリサーチを納得できないと思っているのは、あくまでもサプライズの場合だけに限定される。それはサプライズをするための材料、つまりはステップとしてのことで、サプライズ自身が事前のリサーチであれば、由梨は喜んで事前のリサーチに望んでいる。
今回だってそうだ。
自分が投書まで出して呼び寄せた岡本のために、今回の取材のネタになりそうな人を事前にリサーチしておいたのだ。もちろん、岡本も少しはピックアップしているかも知れないが、後はその時のぶっつけ本番で誰かを探すという醍醐味もある。しかしこの場合の取材の成功率は限りなく少ない。なぜなら、町全体が閉鎖的なイメージのありそうなところだというのは、下調べでも分かっていた。いきなりやってきた面識のないルポライターに軽々しくいろいろなことを話してくれるというのも無理がある。
だが、岡本独自が気になったのは、この街の特徴として、町長と街の人との関係が、異様なほど密着しているということだった。
町長は時間ができれば、街に出て、農地や市場や商店街の人に挨拶に行っていた。その時の会話も町長の方で事前にリサーチしていたようで、すっかり会話に花が咲いた後の、訪問を受けた街の人は、町長が自分なんかのために、忙しいのに足を運んでくれたばかりではなく、話を合わせようとしてくれたことに感謝していた。それは選挙戦を目前に日空けているからだという理由からではない。絶えず町長は、町に出かけていたのだ。
そのことは由梨も知っていた。知っていて、何も言わない。ただ、心の中では、
――何を企んでいるのかしら?
としか思っていなかった。
冷静に見れるのは、最初から疑って見ているという、ぶれない気持ちの表れなのであろう。
運転は、岡本が行い、ナビを由梨が行った。逢坂峠までは、車についているナビで十分だったので、車を走らせた。通勤時間からは外れていたし、都心部へ向かう道とは逆方向なので、スイスイ車は進んだ。そのうちに店舗も会社を見ることもなくなり、すれ違う車すら、まばらになってきた。いよいよ田舎道に足を踏み入れることになる。
岡本は自分の田舎町を思い出していた。
――あの閉鎖的な街、二度と戻りたくない――
という思いがあるからなのか、車を走らせながら、見たくないものに出会いたくないと念じていた。
田舎町にいた頃は子供の頃で、しかも家に車はあったが、農作業に使う軽トラックがあるだけだった。閉鎖的な街だけに、街の人間だけで自給自足を行っていたので、他の土地にいく必要もなかったのだ。だから、いつもは徒歩か、せめて自転車で道を走るだけだった。
育った街は盆地になっていて、山に囲まれた中は平地だった。山に向かって一直線に続いている道を自転車で走っていると、どんなに走っても山に近づくことができないという錯覚にいつも襲われていた。
だから、今回の取材で田舎道を車で走りながら、山に向かって走っていて、いつの間にか目の前に山が近づいてきたのを見ると、
――まるで山の方から近づいてきたような気分になる――
と、感じさせられた。
――このあたりから、俺はすでにこの街の何かにとりつかれているのかも知れないな――
と感じていた。
それが何なのか想像も付かなかったが、どちらかというと霊感のようなものが働く岡本には、異様な雰囲気が漂っているのが分かる気がした。それを別に怖いとは思わない。それだけは田舎町育ちの強みなのだと感じていた。
平地が終わり、いよいよ山道に突入すると、今まで直線だった道が蛇行し始めた。山道なのだから当然のことだが、山道に入ると急に天気が悪くなってきたのか、雨も降っていないのに、道路が濡れていた。
「雨も降ってないのに」
と岡本がいうと、
「確かにそうですね。山道に入ると、こんな感じになるのかしら?」
と由梨が語った。
「由梨さんは、実際にこの道を通るのは初めてなんですか?」
「そんなに頻繁に通ることはないですが、初めてというわけではありません。最近は久しぶりな気はしていますが、今まで雨が降っていない時に道路が濡れているのを意識したことはなかった気がします」
と言って、走る車から道を観察していた。
「何だ。そういうことだったのか」
先に気が付いたのは岡本だった。
「どういうことなんですか?」
「簡単なことですよ。道の横に溝が流れているでしょう? 溝の水が道まで溢れ出しているから、その水が道全体に広がって、まるで雨が降ったかのように見えるんです。特に坂道で、しかも、蛇行しながらだと、溝から水が溢れているのを気にしてしまうと、運転がおろそかにまりますからね」
「そういうことだったんですね」
「ここは、山の中で森林が立て込んでいることもあり、木が水分も出すので、表に出ると結構湿気がすごいかも知れませんね。それに水が溢れる音も、ゴーって感じで聞こえてくるんじゃないでしょうか?」
「そうかも知れません。一度降りてみたいものですね」
「分かりました。途中適当なところで車を止めてみましょう」
そう言って少し車を走らせると、途中、コンクリートの建物があり、その隣に、車の引込み線のようなものがあったので、そこに止めることにした。
表に出た二人は、二人とも第一声は、
「寒い」
というものだった。
下界はまだまだ暑さの残った季節で、半袖で歩いていても、なんら不思議のない時期だったが、山に入った途端、一気に秋を通り越していた。さらに、
「確かにすごい湿気ですね」
「想像以上の湿気に僕もビックリしているんだ。肌にこの湿気が忍び込んできそうな気がするくらいだよ」
「同感です。こんなに湿気が多いから、余計に寒気を感じるんでしょうね」