表裏の真実
ただ、すべての夢は怖い夢しかなく、覚えていない夢も覚えていないだけで、怖い夢だったのかも知れない。だが、夢をどうして覚えているのかということを考えると、すべてが怖い夢だという発想は少し違うような気がした。
これは他の人の意見を聞いたことがないので、由梨だけの意見だが、目を覚ます寸前で、最大の恐怖を感じることで、
――夢なら一刻も早く覚めてほしい――
と感じるからだと思っている。
夢から覚めても、その恐怖が強く意識の中に残っている。かといって、恐怖だけが残っているわけではなく、恐怖にいたるまでの過程まで覚えているのだ。つまりは、夢を見始めてからの記憶があると言ってもいいだろう。
その日の夢は、前付き合っていて、交通事故に遭った松山の夢だった。
松山が死んでから、
――彼と夢の中ででもいいから会ってみたい――
と思っていたのだが、そんな時に限って夢に出てくることはなく、松山が夢に出てくる時というのは、松山のことを忘れかかっていた頃だというのは皮肉なものだ。
それは、松山がまるで、
――俺のことを忘れないでくれよ――
とでも言っているかのようだった。
しかし、松山が出てくる夢の中でも今日の夢は、最後には恐怖を感じさせられる夢だった。彼の顔が豹変し、急に笑い出したかと思うと、由梨を死の世界に引きずり込もうとするのだ。それはまるでアリ地獄に落ちた由梨の足元を松山が掴んで離さないような雰囲気だ。最初は恐怖に不安がよぎるような表情の松山を見て、自分が必死になって抜け出すことが、松山の救うことになると思い、松山を助けると、また今までのように、いつもそばにいてくれるような錯覚を覚えたのだ。しかし、もがけばもがくほど吸い込まれるアリ地獄に、どうしようもないと感じた由梨は、松山の顔を見た。すると、そこには恐怖と不安に歪んだ顔をしていたはずの松山の顔があったはずなのに、今度は唇が鼻近くまで避けた口元に、まるで奇声を発するかのような恐ろしい形相に変わっていた
その瞬間に目が覚めたのだが、最初に感じたのは、
――よかった。夢で――
という思いだった。
松山が出てくる夢から目が覚めた時、いつも感じていた思いだった。
松山が出てくる夢が、いつも怖い夢だということを感じるようになってから、自分が目が覚めても覚えている夢というのが、怖い夢という共通点を持っているということに、初めて気が付いた。それまでは、何となく分かっていたのかも知れないが、意識していたわけではなかった。
――一瞬気づいて、すぐに忘れてしまったのかも知れないわーー
と感じていた。
一瞬気が付いて、気づいたことをすぐに忘れてしまうということは、現実社会でもあることではないだろうか?
――今、何かをしようと思ったのに、何だったか忘れてしまった――
と感じることも何度かあった。
それは何度かあったといっても稀なケースで、頻繁にあるものではない。
しかし、本当はもっと頻繁にあるのではないかという考えは、分かっていたかも知れないと思いながら、意識することができなかったこともあるとすれば、もっと頻繁なことではないだろうか。何かを意識するということは、思い浮かんだことを理解できたかどうかということよりも、どれだけ印象的なことだったのかということの方が大きいのではないだろうか。
由梨はその日目を覚ましてから、そんなことまで考えていた。
見た夢を覚えている時は、忘れないうちに、いろいろな発想を交えて記憶させようという思いが働く、それは忘れないようにするためで、覚えていない夢が多い中で覚えているということは、それだけ自分にとって、何か意味のあることだと感じるからだった。
――もし松山さんがそばにいてくれたら、私のしていることを、どう感じてくれるだろう?
怖い夢でも敢えて、松山が夢の中に出てきたということは、何かの暗示を示しているのかも知れない。
「やめた方がいい」
とでも言いたいのか?
しかし、由梨はここまで来てやめるつもりは毛頭なかった。
由梨には由梨の考えがあったがらだ。しかし、それは危険の孕んでいるものであって、松山から言わせると、
「そんな無茶するんじゃない」
と言ったに違いない。
それだって百も承知の由梨だった。
特に松山から無茶だと言われてやめるわけにはいかない。これは松山のためにやることでもあったからだ。
ただ、この時由梨は、自分がこれからしようとしていることが、松山自身の名誉を傷つけることになることをまだ知らなかった。
「知っていたら、こんなことしなかった?」
と言われても、その話を知ったタイミングで心境がどのように変わるか分からない。自分の中で、
――もう、後戻りはできない――
と感じた瞬間があったとすれば、そこから以降は、いくら何があっても、決行したに違いない。それほど、いったん覚悟してしまってからの由梨の決意というのは、固かったのだ。
由梨は、今朝の夢見の悪さも、表に出ると忘れてしまっていた。子供の頃は怖い夢を見たその日は一日中、その夢をずっと引きずっていたが、大人になるにつれて、怖い夢にも慣れてきたのか、意識しないようになっていった。
「お待たせしました」
岡本が宿泊しているホテルに到着すると、岡本はすでに朝食を済ませ、すぐにでも出かけられる用意をしていた。
岡本は福岡に来るのに、新幹線を使った。ルポライターと言ってもフリーなので、福岡にある支店の社用車というわけにもいかない。
由梨も免許は持っているが、車は持っていなかった。そのため、レンタカー屋さんに寄って、あらかじめレンタカーを借りにいったのだ。
そのためにホテルへの到着が十時前になってしまった。すでに朝食は済ませているのは分かっていたが、部屋でゆっくりしているのかと思えばすでにロビーで用意万端、待ち受けていたとは、少しビックリだった。
「レンタカー借りて来ましたので、今日はこれで取材の方、お願いいたします」
というと、
「それはありがたい。僕もフロントからレンタカーを借りようか考えていたんですが、もし由梨さんがお車で来られたらということも考えて、待ってみました」
「それはよかったです。私も確認すればよかったんですが、昔から一人で突っ走るところがありまして……」
それは本当だった。
子供の頃から人に相談することなく、勝手に決めてしまって、親から怒られることが多かった。
そこで自分が悪いことをしたんだと思えるような性格ならいいのだが、自分が悪くないことを理不尽に怒られているという意識が強いので、反発してしまう。その気持ちは大人になっても変わらないが、大人になるにつれて、自分の取っている行動に対しての理屈が分かるようになってきた。
――私は、人に親切の押し売りをして人から喜んでもらいたいといつも思っているんだわ――
つまりは、サプライズを成功させたいだけなのだ。
ただ、サプライズを成功させるには、相手の本当に望むことを事前にリサーチすることが絶対条件だということを子供の頃は分かっていなかった。それが子供の頃に反発した理由だったのだろう。
しかし、大人になるとそうではなくなっていた。