半分夢幻の副作用
占い師の言ったことをそのまま信じていいのか分からなかったが、あの人は調子の良いことを言っていただけのようにも思う。しかし、考えてみれば吸い寄せられるように近づいていたことも、目の前に急に現れたことも、本当にただの偶然で片づけていいものなのだろうか。
「あなたは、これから占いの世界に深く関わっていくことになるかも知れませんね、占いだったり、おみくじだったりですね」
「巫女ということもありかも知れないということですか?」
「大いにあるかも知れせんね」
梨乃は、占い師に会ったから気持ちが変わってきたのか、それとも最初からイメージとして巫女が頭の中にあったのか考えてみた。
確かに、大学を卒業する時、巫女も考えたことがあった。
「あんた、どうして巫女とかの選択肢があるの? せっかく大学まで出たのに」
と言われたことがあったが、
「いっぱい選択肢があるから、その中に巫女があってもおかしくないでしょう?」
それも一つの理屈だと思っていた。選択肢があっただけで、もちろん、巫女になったわけではないので、その時の心境はすぐに忘れてしまったが、就職活動という人生でも大きな選択を迫られているという特異な精神状態の中で感じたことなので、その時の心境にもう一度なるというのは、無理なことである。
ただ、占い師は、自分の勝手な意見だと言ったが、どうもそうではないように思えてならなかった。
――自分と同じものを感じたのかも知れない――
と梨乃は思ったが、
――ひょっとして、自分の分身のような人なのかも知れない――
実際にはいない人の夢でも見たような気がする。自分の分身というよりも「影」、占い師が影であるなら、逆に占い師が本物の自分で、影が梨乃の立場だったらどうだろう。違和感を感じることになるのだろうか。
翌日、梨乃はおみくじを引いてみることにした。ちょうど会社が休みだったので、近くの神社に行き、さっそくおみくじを引いてみた。
内容は、「小吉」、良くも悪くもないというところか。都合よくとれば、これからの進歩を伺わせる。内容を見ても、すべて条件付きではあるが、達成されるように書かれている。下手に大吉を引くよりもいいかも知れない。
その日一日は、最初から予定もなかったので、のんびり過ごすことにした。家で本でも読もうと思っていた。
本はいつでも読めるように、最初から買い置きをしている。三冊ほど、まだ読まれていない本があり、そのうちの一冊を読むことにした。
――今日は時間があるので、最初から最後まで順を追って読むようにしてみよう――
最近読む本は、テレビで見たものの原作を読んでいるわけではない。相変わらずのミステリーで、読み方もくせが変わっているわけではないので、最初を読んで、すぐにラストを読みに行ってしまう。内容を知らないのに、ラストを読んでいると、まるで途中を最初から知っていたような錯覚に陥るから不思議で、しかも、想像していたような内容と、さほど変わらない途中であることは、実に不思議なことだった。
それだけに、こういった「中落ち読書」が止められなくなっていた。「中落ち読書」というのは、梨乃が付けた読み方で、他に言い方があるのかどうか分からない。もっともこんな変な読み方をする人などいないであろうし、正規な読み方ではない読書法に、名前がついているとも思えない。梨乃はいつの間にか自分のこの読み方が正規の読み方だと勘違いしてしまっていたが、この日のように、一日ゆっくりと時間のある時は、
――普通の読み方というのをしてみてもいいかも知れないわ――
と、たまに感じることもあった。
しかし、結局やってみても、うまく行かないことが多かった。それでも今日もやってみようと思うのは、昨日からの占いやおみくじを気にすることで、心境に変化が生まれたのではないかと思ったからだ。
今回読もうと思った本は、ミステリーの中でも少し変わっていた。
変わっていたというよりも、梨乃が今まで読もうと思ったことのなかったジャンルで、ミステリーの中に恋愛物語が含まれている小説だった。
作家もまだ二十代くらいの女流作家で、最近注目を浴び始めた。
ミステリーと言っても、その中にもジャンルがある。ストーリー重視のものや、トリックを重視するもの、また、作家の特徴として、その作家独自のジャンルというものもある。
たとえば、トラベルミステリーや、一人の弁護士や検事などを主人公にしたシリーズものなどというジャンルには、必ず第一人者がいて、それに続く作家がいたとしても、どうしても礎を築いた人の後追いにしか見えないと思っているのは、梨乃だけであろうか。
梨乃は、神社から帰ってくると、シャワーを浴びて、部屋着に着替えた。そのままベッドに横になり、ステレオから音楽を掛けて、仰向けになって本を開いた。これがいつもの梨乃の読書だった。
シャワーを浴びるかどうかは別にして、椅子に座ってみたりはせず、ベッドで仰向けになるのと、ステレオから音楽を流すのは同じであった。
音楽はポップス調が多く、他の人なら、
「そんなの聴いてると、集中して本が読めないんじゃないの?」
と言われるかも知れないが、
「私はこっちの方が集中するの、読書にも人それぞれあっていいんじゃないの」
と答えるに違いない。
確かに最初は集中できないと思った。しかし、静かな部屋でじっと本を読んでいると、却って気が散ってしまう。途中から耳鳴りが聞こえてくるのだが、耳鳴りも最初は同じ高さの音で響いているだけだったものが、途中から抑揚を持つように感じてくると、その強弱が、次第に自分の胸の鼓動とシンクロしているように感じる。そうなると、散ってくる気が、自分の胸の鼓動の方に集中しているのか、耳鳴りに集中しているのか分からなくなる。もう本を読める状況ではなくなってしまうのだった。
ベッドで横になって、仰向けになると、天井を見つめることから始める。いきなり読書を始めようとしないのは、最初の頃からで、元々本を読むのは好きではなかった頃の名残が今も続いているのだ。
本が好きではなかったからこそ、最初だけ読んですぐにラストの解決編を読もうとしてしまうのだということは自分でも分かっていた。逆にそうでもなければ、ラストから読もうなどと考えるはずもない。まわりの人に言えないのも、
「邪道だ」
と言われることよりも、
「あなた、本当は読書が嫌いなんでしょう? 苦手だってハッキリ言いなさいよ」
と、自分の性格を看破され、さらに詰め寄られることを嫌ったからだ。もしそんなことにでもなれば、二度と文庫本を開くこともないとさえ思っている。今では本というもの自体が好きで、読書も好きにはなってきたが、その次に来るものだったのだ。
いつものように、横になって天井を見ていた。天井の模様は独特で、見れば見るほど天井が迫ってくるように思えてくる。錯覚から身体が急にビックリしたかのようにビクンとなることがあるが、それまではまるで金縛りに遭ったかのように、微動だにしない自分に焦りを感じたりした。