半分夢幻の副作用
「いいですか? あなたのことをこれから占いますが、なるべくいいことだけを信じるようにしてください。ひょっとすると、あなたにとって悪いことを言うかも知れませんが、気にしなくてもいいです」
「えっ、それで占いと言えるんですか?」
「ええ、いいことも悪いことも確かに占いとして出るかも知れません。しかし、それはあなたにとって、いいことに結び付けられることを信じられば、いいと思います。私にはあなたにとって悪いことだと思うことでも、本人にはいいことかも知れませんし、逆にあなたにとっていいことでも、私は悪く言うかも知れません。占いとは、なるべくいいことを言わないと商売になりませんからね」
と、まるで商売のからくりの裏を聞いた気がした。
――本当にこの人、占い師なの?
ニッコリと笑って、
「では」
と、彼女は手相を見ながら、いろいろと講釈を垂れている。
なるほど、彼女は手相を見始めると、完全に自分の世界に入り込んでいるようだ。何かが乗り移ったかのような雰囲気さえする。
――この場の雰囲気が、そんな気にさせるのかしら?
と、梨乃に思わせたが、不思議なことに、彼女の言葉は、梨乃にとっていいと思える部分しか聞こえてこなかった。
いや、本当は口にしているのだろうが、梨乃の中で都合のいいことしか、覚えていないようだ。
――まるで夢を見ているようだ――
と、感じたが、それは本当に夢を見ている感覚ではなく、夢から覚める時に覚えていることというのが、次第に減ってくる感覚に似ている。
この場所自体が異様な雰囲気に包まれているのだから、そのように感じても不思議ではないのだろう。そのことを感じていると、どれほどの時間が経ったのか、講釈は終わっていた。
「いかがでしたか? あなたにとってあまり悪いことは聞こえなかったのではないかと思いますが?」
まるで見透かされたようで、梨乃も少し興奮したかのように、
「え、ええ、確かにその通りなんです。都合の悪いことは、右から左に流れたような気がするくらいに、まったく意識の中に残っていないんですよ」
「それが意識の錯覚というものなのでしょうね」
「というと?」
「最初に私が、あなたに忠告しましたよね? 忠告したことで、あなたは、自分の中にある自己防衛本能が過敏になった。そこで私は少し間を置いてあなたに対して占いと行ったんですよ。あなたは、きっと夢の中にいるような感覚に陥っていたのではないかと思います。覚えられることと覚えられないことが明確に感じられたはずですよ。それがあなたにとっても自己防衛。ただ、誰もが自己防衛を持っているはずなのに、それを使いこなせない人もいる。だから、私たちの商売は成り立つんですよ。あなたに最初に忠告したのは、あなたにとってのこともありますが、私にとっても、あなたの自己防衛がどれほどのものかを確かめたというのもあります。それによって、こちらも占いに出てきたことをどこまで話せるか、決まってきますからね」
「そんなに謎解きをしてしまっていいんですか?」
「ええ、占いと言っても、それは万民を救うものではありません。一人の人間だって救うことはできないでしょう。占いに出たことをそのまま話すことで、その人が自殺してしまわないとも限りませんからね。そうなってしまっては、私たちはどうすることもできません。商売どころではなくなりますからね」
――この人は、過去に何か嫌な思いをしたことがあるのかも知れないわ――
「占い師さんというのも大変な商売なんですね」
「ええ、だから、占い師になろうという人には、それだけの覚悟を持ってもらうように心掛けているんですけどね」
と言って、梨乃の顔に睨みを利かせた。
――おや? この人は私が占い師になるかも知れないと思っているのかしら?
「あなたは、今、ここに吸い寄せられるように来られたでしょう?」
「ええ」
「私は、あなたに占い師への興味を感じました。今はまったくなくとも、そのうちに、もっと興味を持つのではないかと思います。もっともこの気持ちは、占いに出たわけでも何でもありません。私が勝手に思っているだけなので、安心してくださいね」
と言って、初めてニッコリと笑った。
意外と笑顔はステキであった。そこには占い師の顔はなかった。ただ、その顔を見ると、前にどこかで見たことがあったような気がしたが、すぐに打ち消そうと思った。占い師に対して、余計な気を回すことはやめようと思ったからだ。せっかくの彼女の忠告を聞いておくのも悪くないだろう。
占いに何が出たのか、それは悪いことはあまりなかったのだが、その中で一番気になったのが、彼女が梨乃の性格の中で、小説を結論から読むくせがあることを看破したことだった。
それだけ一つをとっても、彼女の占いの腕が恐ろしいくらいに的中していることが分かる。最初の彼女の忠告がなければ、恐ろしい思いをすることになったかも知れない。そう思うと身体がゾクッとしてしまい、身の縮む思いになっていた。
梨乃は、占いが終わり、お金を払うと、そのまま、歩いて駅まで急いだ。
――何か熱っぽさを感じるわ――
普通に歩いているつもりでも、足が重たくて、よろけているように感じる。こんなことは初めてだった。
――明日も行ってみよう――
家路を急ぎながら、梨乃はそのように考えていた。
◇
家に帰りつくと、そのまま布団に倒れこんだ。
「ご飯は?」
という母の言葉に、
「いい、食べてきたから」
と、それだけ言うのがやっとだった。とにかくベッドまで辿り着くと、そのままなだれ込むように襲ってくる睡魔を払いのけることもせず、甘んじて受け止めた。気が付けば服も着替えずに眠り込んでいたのだ。
気が付いた時は、深夜の二時半になっていた。
「嫌だわ。着替えずに寝ていたのね」
目が覚めると、すぐにシャワーを浴びた。いつもに比べて、寝起きはスッキリしていた。徐々に目が覚めるというよりも、すでに目は覚めていた。
――夢、見たのかしら?
ハッキリ言って、自分でも分からない。
普段であれば夢を見た時というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものなのだが、その時はまったく分からなかった。気が付けば完全に目が覚めているのだ。夢を忘れていったのか、最初から見ていなかったのかの判断は、つくはずはなかった。
だが、常々梨乃が考えている夢に対しての考え方は、
――夢とは常に見ているものである――
というものだった。
目が覚める時の状況で、夢を覚えていて、次第に忘れていく時、そして、本当は見ているのに、一気に忘れてしまう環境に置かれたために、夢を見ていないと思わされる時の二種類があるという考えだ。
その考えは自分に都合のいい考えだ。しかし、似たような考えをごく最近、感じた気がした。
――そうだ、昨日の占い師――
彼女も、言っていたではないか。
「都合の悪いことは聞かないようにしてください」
その言葉を素直に聞けたのは、自分の夢への考え方に共鳴するものがあったからだ。そもそも昨日の占い師との出会いは、どこか現実離れしたところがあった。梨乃の中であまりにも都合よく感じられたような気がしてならない。