半分夢幻の副作用
――夢というものが、これほどいろいろ自分に教えてくれるものがあるなんて、思ってもみなかったわ――
と、梨乃は感じていた。
――交通事故を見た踏切で、クラスメイトが連れ去られる場面とがシンクロしたのも、忘れたくないという夢が影響しているのかも知れないわ――
それは、夢に見たことを、現実に見たものとして頭の中に封印してしまったために、現実と夢の狭間において、中途半端に残ってしまったことで、自分とクラスメイトを錯綜させてしまう結果になったのかも知れない。
――でも、どうして踏切なのだろう?
交通事故を見た記憶が鮮明に残っているのは、踏切というよりも、占い師のいた場所だった。踏切を思い出すために、交通事故という頭の中にインパクトの強く残っているアクシデントが、踏切を思い出させるに至ったのだ。
踏切に対して、確かに梨乃は子供の頃から、不思議な感覚を持っている。
遮断機についている赤い点滅。信号のように、赤だけではなく、青や黄色があれば、少しは違うのだろうが、赤い点滅というと、やはりパトランプを想像してしまう。
救急車のパトランプとサイレンの音は強烈な印象を与えている。交通事故の時に、嫌というほど印象に残ったからであろう。
だが、遮断機の警笛の音は、普通であれば、恐怖を感じないはずだ。それなのに、梨乃の中に、遮断機の赤い点滅と、警笛の音は、明らかに特別な恐怖を与えている。
――やはり、踏切には何か忘れてしまいそうになっていて、どこかに引っかかっている記憶があるんだわ――
と感じたのだ。
梨乃は、自分を躁鬱症だとは思っていないが、たまに、どうしても鬱状態と思しき時を迎える時があると思っている。躁鬱症というのは、躁状態と鬱状態を交互に繰り返している人のことをいうのだろうと思っているので、
――私は、躁鬱症ではない――
と思うのだった。
鬱状態に陥った時に感じたのは、昼と夜とでは、見え方が違っているのではないかと思った時であった。昼間はまるで埃が舞っているかのように全体的に黄色く見える。しかし、夜になると一転して、目の前が綺麗に晴れているのだ。
信号機の色も、昼間見ると、青が緑に見え、赤がまるでオレンジ色に近く見える。しかし、夜になると、赤は真っ赤で、青は藍色に近いほどクッキリとした色に変わっているのだ。
――まるで昼と夜とで視力が違うようだわ――
むろん、昼よりも夜の方が視力がいいような気がするだけなのだ。だが、それも考えようで、実際には、夜の視力はかなり落ちているのが普通であるので、鬱状態には、夜も昼並みに見えているという冷静な結論が生まれるだけではあるのだが、それでも、意識として強烈な印象を与えるのが、ある意味鬱状態の正体なのではないかと思わせるのだった。
音についてもそうである。踏切の遮断機の音も、鬱状態の時には完全に籠って聞こえる。まるで、耳に何か詰まっているのではないかと思うほどであるが、その思いを梨乃は、時々感じていた。
――音に関してだけは、鬱状態だけではないような気がするわ――
ただ、籠って聞こえるようになると、不安が梨乃の中に湧いてくることが多かった。言い知れぬ不安を感じていると、気が付けば、
――鬱状態を恐れている――
と、感じるのだった。
音と光という感覚が、梨乃の中で特別になったのは最近になってからのことである。
――特別になったからこそ、占い師の存在を意識してしまったのかしら?
と思うと、もう一つ疑問も感じてきた。
――本当に占い師なんていたのかしら?
それこそ、夢だったのではないだろうか?
その証拠に翌日占い師がいたはずの場所に行った時、占い師はいなかったではないか。確かに、同じ場所に次の日もいるという保証はないが、梨乃は最初からそこに誰もいないのではないかという危惧を抱いていたように思えた。ただ、それは今から思えば感じることであって、実際にその時に感じたのかどうか、自分でも分からない。
そう言えば、占い師の顔をハッキリと覚えていない。相手を占い師だという先入観で見ていたのも事実で、
――この人のいうことは、すべて真実なんだ――
という、あまりにも唐突な考えでもあった。
梨乃は、子供の頃から、相手の職業や立場で、
――この人のいうことなら、間違いない――
と、思うことが多かった。一種の思い込みなのだろうが、危険な発想であるということを、その時は気付いていなかったのだ。
もし、占い師に出会ったことが夢であったとするならば、それは正夢なのか、潜在意識が見せたものなのか、考えてみた。何もないところから、占い師などという突飛な発想が生まれるはずもなく、占い師を創造する何かが、その時の梨乃には芽生えていたのかも知れない。その日の前後のことを、梨乃は思い出してみようと思ったのだった。
◇
梨乃は、占い師に出会う前の日のことを思い出していた。その日は、朝からイライラしていたような気がした。何にイライラしていたのかというと、会社に遅刻してしまったことを苛立っていたのだ。
梨乃が悪いわけではない。その日、遅刻したのは梨乃だけではなかった。数人が遅刻する羽目になったのだが、その原因は、鉄道事故だったのだ。
「本日は、未明に○○駅、××駅区間の間で発生いたしました人身事故の影響によりまして、ダイヤに乱れが発生しております。列車到着がしばらく遅れる見込みとなります。お客様には多大なご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません」
という、毎度おなじみのアナウンスが流れ、誰もが溜息に包まれていた。
梨乃も、
――宙で覚えられるくらい何度も聞かされたセリフだわ――
と思いながら、
「どうして、しばらくとだけしか言えないのかしらね」
と言っている他の乗客の気持ちを理解できた。
「あいつらは、自分たちが悪いなんて思っちゃいないのさ。思っていれば、もっと感情の籠ったアナウンスができるさ」
確かに、抑揚のない棒読みのアナウンスには、毎度毎度ウンザリさせられた。パニックにならないのは、何度も同じことを繰り返していて、乗客もほとんどが諦め気分だからであろう。
逆に何度も同じことを繰り返しているのであれば、どれくらいの遅れになるかくらい分かりそうなものだ。梨乃が苛立ちを覚えるのは、そこだった。
それともう一つ、今までに詰め寄った客に対して、駅員の対応に、
「人身事故ですからね。しょうがないですよ」
と、まるで他人事である。
さすがに詰め寄った客もその場で切れた。さらに、今まで黙っていた他の客も苛立ちを覚え、
「しょうがないとはどういうことだ。お前たち、自分たちに罪はないとでも思ってるんじゃないだろうな」
というと、
「人身事故ですから、気を付けても、飛び込んでこられると、どうしようもないですよ」
という応対だった。
さらに他の客も怒りをあらわにする。
「お前たちは、他の鉄道会社ではこんなことがなくて、自分たちのところばかりがいつも事故ってることに、疑問も何も感じないのか?」
まさにその通りである。梨乃も声を大にして言いたいのは、そのことだった。