半分夢幻の副作用
少し身体を伸ばす仕草をすると、今度は、蔵人の身体が震えているのを感じた。やはり予期はしていても、その場面がやってくるとなると、ドキドキしている気持ちを抑えることができないのだろう。
伸ばした身体が硬くなってくるのを感じると、蔵人の身体にも硬さが感じられた。
――うわぁ、気持ち悪いわ――
お互いに身体が硬くなってしまったのを感じると、梨乃は鳥肌が立ってくるのを感じた。お互いに弾力があれば、それぞれに遊びの部分が残っていることで、身体を重ねていても、さほど違和感はないが、どちらも硬ければ、遊びの部分はなく、相手に合わせるしかなくなってくる。
しかし、相手も同じことを思っているとすれば、文字通りの膠着状態だ。もし自分から動いてしまえば、身体が攣ってしまうのではないかと梨乃は感じた。彼も同じことを考えているのではないかと思ったが、それならなぜ、自分が硬くしたのと同じように、彼も身体を硬くしたのか不自然である。
――まったく同時に身体が硬くなるような気持ちになったのかも知れない――
梨乃は、自分から身体を硬くしたというよりも、彼の身体との体温差が身体を硬直させたと思っている。
――相手の身体が暖かかくてこちらが冷たければ、こちらが硬直してしまう――
では、彼が身体を硬くしたのは、やはり梨乃の身体を暖かいと感じたからだということになるが、おかしな気がした。
だが、よく考えてみると、梨乃の身体の中心部は暖かいが、まわりは外気に触れているので冷たい。それは彼も同じはずなのに、彼の身体に触れていると、まるで身体の芯からの暖かさを感じているように思える。
相手の身体の暖かさを感じる時、それは相手の身体の芯の暖かさを感じているのだ。表面を最初は感じても、次第に体温が伝わってくる。それは、お互いに相手の身体の暖かさを求めているからで、身体を重ねることの意義のようにさえ思えてきた。
最初に感じた気持ち悪さだったが、すぐに紛れてきた。それは、身体に驚きが走り、それが電流となって、身体を一気に駆け巡るからだ。駆け巡っている間に、身体全体のバランスを得ることができ、硬くなった筋肉が、すぐにほぐされてくるのだ。それは彼も同じことのようで、柔らかい暖かさが身に沁みるようになる。
――抱きしめられたい――
男と女が抱き合って、お互いに求めるのは、一気に身体を駆け巡った体温が、神経を刺激するからだ。
――では、その体温の正体とは一体?
ここまで来ると、疑う余地もない。
――血液だわ――
身体を駆け巡るのは、血管を通る血液だと考えるのが自然である。
もっとも、詳しく分析しているかのように書いたが、これは、誰もが本能で分かっていることではないかと思っていた。
この不思議な環境で、梨乃は、相手の身体を求めている自分を感じた。
――しかし、本当に蔵人は、私の身体を求めているのかしら?
このような環境に持ってきたのは、梨乃ではなく蔵人なのに、どうして蔵人の気持ちを疑う必要があるのだろう?
気になったのは先ほどの蔵人の涙だった。
梨乃は自分の身体に違和感を感じない。蔵人が自分の身体に侵入してきたという感覚はないのだ。蔵人が梨乃をここに連れ込んでどれほどの時間が経っているのか分からないが、蔵人は、梨乃を自分のものにしたわけではなかった。
――じゃあ、あの涙の意味は何なのかしら?
蔵人が梨乃を自分のものにしようという意思はあるが、できなかったのかも知れない。それは男としてできなかったのか、相手が梨乃だからできなかったのか、想像はつかない。梨乃の目は完全に覚めていたが、その蔵人の精神状態もかなり落ち着いていた。仰向けになって、天井を眺めているようである。
「起きたのかい?」
蔵人は、いつの間にか梨乃の目が覚めていることに気が付いていたようだ。梨乃が思っているよりも落ち着いている。
「ええ」
「この状況にビックリしているんだろう?」
「当然でしょう? 私はまったく意識がないのよ」
「すまない。でも、君は意識がなかったわけではないんだよ。意識はあったんだけど、普段の君とは違っていた」
「普段の私を知っているというの?」
梨乃はビックリした。
蔵人とは、子供の頃から会っていない相手である。本当に久しぶりなのだ。
「ああ、知ってるよ。君は気付いていないかも知れないけど、いつもそばにいたのさ。まるで影のようにだったんだけど、そういう意味では、僕は君を見失ったことは今までになかったのさ」
「そんなことってあるのかしら?」
「それは君だけにではなく、誰にでもあることなんじゃないかな? 誰も自分のまわりにそんな人がいるなんて気付いていないから、話題にすることはない。追いかける方には見えていても、追いかけられる方は背中を向けているから気が付かないのは当たり前の話だよ」
「それって、あなたの話をそのまま解釈すると、必ず皆誰かに追われて、誰かを追いかけているってことになるわよね?」
「うん、気が付いているか気が付いていないかだけの違いなんじゃないかな? もちろん気付いていない人には、人を追いかけているという意識もない」
「そこが分からないのよ。追いかける人も追いかけられる人も、それぞれ気付いていないのであれば、何もないのと同じじゃないのかしら?」
「だから、それは表に出ていることだけしか見ていないからなのさ。少し考え方を変えたり、見方を変えると、きっと、意識できるようになるんじゃないかな? 僕だって、人に言われて初めて意識するようになったのさ。意識しているからこそ、分かるようになったのさ」
「まるで夢のようなお話しね」
「そうだね。でも、夢の中でだって気付くことがあるかも知れないよ。夢の中にいる「もう一人の自分」という存在を意識することができれば、きっと気付くかも知れないからね」
「夢については、何となく分かるような気がするわ」
「それに半分という発想も大切かも知れない。半信半疑という言葉があるが、それくらいの気持ちでいた方が気付くことがある。人によっては、半信半疑というと、中途半端に聞こえてしまって、信憑性を疑う気持ちになってしまうだろうからね」
「そうですね、中途半端という思いは誰もが嫌がるような気がするわ。私も今までに中途半端な気持ちになるのを嫌って、気が付けば結論を先読みしてしまいそうになっているのが分かるもの」
――結論の先読み?
梨乃は、ここまで話をしてきて、自分の中にある小説を先に結論から読んでしまうくせについて考えされられた。
しかも、目の前にいて、そのことを考えさせようとしている蔵人も、同じように小説を結論から読もうとしている人だというではないか。
――繋がったわ――
蔵人と自分が再会し、身体を重ねていることは別にしても、話をしていく中での二人の共通性についての理屈的なところが納得できるような発想として、やっと繋がったという気持ちにさせられた。
「本当に不思議だわ」
梨乃は、隣に蔵人がいるのに、思わず独り言ちていた。
誰かが誰かを追いかけているという発想を、梨乃は以前から持っていたことがあった。ただ、それは、
――違う時間の自分――
という発想であった。
梨乃の中に、絶えず、