半分夢幻の副作用
と、主人公はホッとした様子になって、大笑いするほどだったが、実際に研究を行った医者は、苦笑いするだけだった。
患者が帰ってから、医者は独り言ちた。
「本当にこれでよかったのだろうか?」
主人公は、家に帰って、ベッドに入る。そしていつものように眠りに就こうとする。
今度は、
「眠れない」
ということはなかった。彼は、そのまま眠りに就けたのだ。
「なんだ、結局俺は、眠れないという夢を見ていただけなんだ。心配して、バカみたいだ」
と思いながら、眠りに就いたのだ。
ただ、その時にどうして医者が彼のことを手放しで喜べなかったか? それは医者にしか分からなかった。
彼に分かることはありえないからだ。そして、彼以外の他の誰も同じである。
「これはわしだけが、永遠に秘密を持ったまま、生きていくしかないんだな」
と、溜息をついている。
主人公はその日、ぐっすりと眠りに就いた。だが、彼がそのまま目を覚ますことはなかった……。
梨乃は、そんなストーリーを思い出しながら、
――笑えない小説――
を頭に描いていた。
小説を思い出すと、夢に入り込むまでに、
――何も考えてはいけない領域――
が、存在しているように思えた。
主人公は、
――開けてはいけない、パンドラの匣を開けてしまったに違いない――
自分もこのまま睡魔に襲われていく中で、
――本当なら何も考えてはいけない領域に入り込んで、このまま目が覚めないのではないだろうか?
と感じた。
いくら意識があるとはいえ、そんな小説をすぐに思い出すのだから、自分の中で睡眠に落ちる時にいつも意識してしまっていたことを感じさせられた。
小説の場面を思い浮かべると、
――このまま落ち込んでしまう夢を、果たして見ることができるのだろうか?
と感じた。
それは、このまま目が覚めないのではないかということを思わせた。要するに、このまま死んでしまうという意識である。
――死ぬなんて嫌だわ――
死に対して、今までに何度か考えたことがあった。一体死ぬことの何が怖いのかということである。
痛かったり、苦しかったりするのが嫌なのか、それとも、この世に未練があって、
――まだまだ死にたくない――
という思いが一番強いのか、梨乃は、時々考えるようになった。
一番そのことを考えていたのは高校時代。人生の最初だと思える分岐点を通り越してすぐのことである。
中学までにも感じなかったというわけではないだろうが、深く考えるようになったのは、高校になってからだった。
中学というと、梨乃にとって、遠い過去である。
覚えていることは断片的なことばかり、もちろん、その断片的なことは、重要なことばかりである。
今の自分にどれだけの影響を及ぼしているのか分からないが、梨乃にとって中学時代と高校生以降とでは、明らかに溝があったと感じさせるほど、中学時代までの思い出は断片的だ。
高校時代も断片的ではあるが、意識の中の距離が違うのだ。高校時代は断片的な思い出であっても、そこから幅を広げて思い出すことができる。それだけ記憶は浅いところに封印されているからだった。
中学時代の夢を今でも見ることがある。それはいつも同じ夢だった。きっとそれが自分にとって一番意識が強いことなのだろう。他にもインパクトの強いことであったとしても、しょせんは自分に直接関係のあることでなければ、夢に見るほどの、
――一番大きな意識――
というわけではないのだろう。
それは中学時代、本当に最後の頃のことである。
高校入試の当日、体調を壊したことがあった。元々精神的に弱いところがあると思っていた梨乃は、それまでに一生懸命に勉強も重ね、学校の先生からも、
「志望校への合格は、ほぼ大丈夫だと思う」
という太鼓判を押されていた。
両親もそれを聞いて、
「よかったわね、一生懸命に勉強した甲斐があったじゃない」
と言ってくれた。しかも、
「だから、緊張しないで本番は頑張ればいい」
とも言ってくれていた。
ここまで言ってくれているのだから、精神的にはかなり楽なはずなのに、却って梨乃は萎縮してしまった。先生の太鼓判が、結構プレッシャーとして襲い掛かってきていたのだった。
プレッシャーを感じ始めると、
――私ってダメよね。まわりが皆大丈夫だと期待してくれているのに、肝心の本人だけが萎縮してしまっているなんて――
そんなことをまわりに言えるはずもない。余計に一人で硬くなってしまう。日に日にプレッシャーが高まってくる。なぜなら、本番日までどんどん縮まっているからだ。
それは時間だけという意味ではない。まわりの余裕という空間が時間とともに狭まっている感覚である。
実際の受験の日、案の定、体調を崩した。
朝から頭痛はするし、吐き気もある。まずお腹を壊した。トイレに何度も夜中駆け込んで、肝心の睡眠時間が削られてしまった。
――何て長い夜なのかしら?
さっさと朝になって、ダメでもいいから、早く試験が終わってほしいと思ったくらいだった。
終わってしまってからの後のことなど考えられない。とにかくこの状況を逃れたかった。
それが中学時代の記憶だったのだ。
だが、実際に見た夢は違っていた。シチュエーションは同じなのだが、感覚が違うのだ。
試験を受けている最中、それまで早く終わってほしいと思ったことを後悔した。
今まであれだけ暖かく見てくれていたまわりが、試験に失敗した途端、手の平を返したように、相手にしてくれなくなる。
誰も何も言わなくなり、目線は完全に見下しているのだ。
「あれだけ応援してやったのに、何よ、この無様な結果は」
耳鳴りとともに聞こえてくる声に、
「ああ、ごめんなさい。私の力が足りなかったのよ」
「違うわよ。あなたの成績なら絶対大丈夫って先生も言ったでしょう? それなのに、試験に不合格だなんて、お母さん信じられないわ」
「そんな、お母さん……」
「あなたは本当に娘の梨乃なの?」
「えっ……」
「娘の梨乃なら絶対に合格するはずよ。それが不合格だなんて、そんなバカなことはないわよ。娘の梨乃をどこにやったの?」
「えっ? そんなこと言われても、人間なんだから、失敗だってするでしょう? 試験に不合格だったのは私が悪いんだけど、そんな絶対合格なんて決めつけるような言い方はやめて」
「あなた、娘が人間だっていうの?」
「ち、違うの?」
「違うわよ。娘は、私が作ったサイボーグよ。絶対以外の何物でもないのよ」
ここまでくれば、もう何が何だか分からない。普段であれば、
――これは夢なんだわ――
と感じるかも知れないことだが、相手は母親である。頭が混乱してしまい、夢と現実の世界に嵌りこんで抜けられなくなっているのだろう。
――どうして、こんなことに……
と感じていると、夢から覚めている。
この時は普段と同じような、
――夢から覚める感覚――
というものがまったくない。気が付けば目が覚めているのだが、完全に目が覚めているにも関わらず、意識が夢と現実を彷徨っている。
目が覚めても、その日一日は母親の顔を見るに忍びない。本当に体調が悪くなってきているようだった。