半分夢幻の副作用
「ほう、それは奇遇ですね。僕たちは気が合うかも知れませんね」
彼はそれほど驚いていない。むしろ、考え方が同じことで、気が合うという方に気持ちが行っているようだ。梨乃の思いは、小説をラストから読むなどという人は、それほど多くないと思っている。同じような考えの人がいれば、仲間ができたような感覚になる人か、素直に驚く人かのどちらかだと思っていたが、彼は前者のようだ。
梨乃の知っている蔵人であれば、絶対に後者だと思ったのに、どうしたことだろう。やはり、知らない間に、人間というのは、簡単に変わってしまうものなのだろうか。
梨乃にとって、以前知り合いだった人と再会することは、特別なことだった。
あれは、二年前だっただろうか。昔知っていた人に再会し、胸ときめかせたことがあった。
高校の時に好きになった初恋の人だった。その人は、すぐに梨乃を分かってくれたようで、それが嬉しかったのだが、不覚にも梨乃にはすぐに分からなかった。
「ごめんなさい。すぐに分からなければいけなかったんですが、高校時代ぶりですよね?」
「そうだね。十年近くになるかな? でも覚えてくれていなかったのは、少しショックだな」
彼は微笑んでいたが、高校時代の雰囲気とはどうも違って見えていた。
「どこが違っているの?」
と、聞かれてもハッキリとは答えられない気がした。最初こそ思い出せなかったのだが、一旦思い出してしまうと、好きだった相手である。いろいろなイメージが頭の中によみがえってきた。
――いろいろイメージがありすぎるからかしら?
好きになった人には、全体を見ようとしてしまうところが梨乃にはあった。人によっては、好きになったところだけを見つめていたいと思う人もいるのかも知れないが、それでは不安だったのだ。相手のすべてを知らない限り、好きになったとは言えないのではないかという気持ちだからである。
――きっと私は他の人よりも怖がりなんだわ――
今までに何度か感じた思いであった。怖がりだからこそ、すべてを知りたいと思う。一つどこかに不安を感じれば、そこから不安という綻びが大きくなり、限度を知らない恐怖が襲ってくると思っていた。
怖がりだということが幸いしたのか、再会した彼に対しても、全面的に信用ができないでいた。きっと彼から見ると、梨乃のオブラートが見えたかも知れない。オブラートはまわりから見れば誰にも見えないものだろう。だが正面から見ている人には見えている。薄い膜を目の前に張り巡らせているという雰囲気であった。
「僕は君のことが気になっていたんだよ」
「えっ」
高校時代には、恥かしくて告白などという大それたことができなかった梨乃だったが、相手も自分のことを好きだと分かっていれば、告白していればよかったと思った。
告白して付き合い始めたとしてうまくいったかどうか分からないが、どうなっていたかを思うと、気になってしまう。
告白できなかったことで、梨乃の中で勝手に彼に対して壁を作ってしまったのかも知れない。
「私も実はあなたのことが好きだったんですよ」
十年越しの告白だった。今さら告白してもどうなるものでもないが、一つの区切りとして心残りだったことを口にすることができたのはよかったと思う。
「何となく分かっていたような気がする」
――分かっていたんだ。私のどこで分かったのだろう?
ひょっとして、包んでいたオブラートが彼の目から見て、却って梨乃の感情が見えることに繋がったのかも知れない。オブラートは隠したいところを隠すのであって、本心は彼に自分の気持ちを分かってほしいというところにあったのだから、隠したいものではなかったはずだ。
彼が分かっていたと思うと、少し照れ臭かったが、もう十年も経っている。一口に十年というと、かなりの年月である。
梨乃にとっての十年は、いろいろなことがあり、いろいろ考えた時期だったが、あっという間でもあった。あっという間に過ぎたということは裏を返せば、一日一日が長かったと言えるだろう。梨乃は彼の十年も考えてみたが、人の性格を変えるのに、十年が長いか短いか、想像はつかなかった。
見た目は確かに十年前の彼だったが。少し話をしてみると、少し違っている。それは梨乃自身の目が肥えてきたというのもあるかも知れない。
何と言っても最後に会ったのは高校時代だったのだ。大学生活や卒業してから社会人としての数年は、それまでの年月と比較できないものがあるかも知れない。
梨乃は、彼を見ていて、明らかに高校時代のイメージのままではない。好きになった部分を梨乃は思い出していたが、ハッキリとは言えないまでも、イメージは湧いてきた。そのイメージは、再会した時の彼にはなかった。
――やはり付き合わなくて正解だったのかしら?
と梨乃は思った。もし付き合っていたとすれば、彼の本性が見えていたであろうし、嫌いになったかも知れない。今から思うと、彼は女性からモテる方ではなかった。梨乃だけが気になっていたので、競争相手がいたわけでもない。ただ、どうして他の誰もが彼に興味を持たないのか不思議だったのだ。
――彼は、自分の本性をしっかり隠している――
と思えた。
好きだった頃は、そんなことを考えたこともなかった。好きになった部分を見つめていれば、全体を見渡しても、嫌いになる要素はどこにもなかったのだ。
他の人と見る目が違うことは、梨乃にとって嫌なことではなかった。むしろ、それが自分の長所だと思っていた。だが、
――長所は短所と紙一重――
と言われるように、短所の部分も十分にあった。それを認識していなかったのが、高校時代の梨乃で、今はそれを思うと、
――私もまだまだだったんだわ――
と感じるようになっていた。
「もう一度、高校時代に戻ったつもりで、お付き合いできないかい?」
今度は彼の告白だった。
しかし、いきなりの告白に少し戸惑った。もし他の人だったら、速攻で断っていただろう。曲がりなりにも好きだった相手、
――そうね。高校時代に戻った気になるのもいいかも知れないわ――
と感じた。
「少し考えさせて」
さすがに即答は避けた。すると彼の口元がニヤリと歪んだような気がした。本当はその時に、
――ああ、やっぱりこの人とは高校時代までだったんだわ――
と感じた。
それ以上は何も言えず、その時はそれ以上の話はしなかった。
結局、高校時代の募る話を少しだけしかできなかったが、梨乃には新鮮な気がした。お付き合いを断るつもりではいたが、お友達としてなら、問題ないと思ったからだ。
それから数日して彼から連絡があり、
「そろそろ聞かせてもらえないかな? 告白への回答を」
前に一緒に行った喫茶店で、聞かれた。
「やっぱり、まずはお友達から始めたいと思うの」
というと、彼は、
「そうだね。そう言われるんじゃないかって思った」
それほどショックを受けている様子はなかった。
痩せ我慢なのかも知れないが、梨乃には彼が痩せ我慢をするイメージはなかった。痩せ我慢するのを見ると、どうしても恋愛感情としては、冷めてしまう。彼には痩せ我慢をしてほしくなかったのだ。
それが高校時代の彼へのイメージだった。