半分夢幻の副作用
その男性は、人からの紹介だった。その人は会社での先輩女性社員で、その人に対してそういえば以前、
「誰かいい人がいたら、紹介してくださいね」
と言ったことがあったのを思い出した。
「いいわよ、今は格好の人がいないんだけど、適当に見繕ってみるわ」
と言っていた。
彼女は、会社でも後輩の面倒見のいいことで有名だったので、梨乃も安心して頼むことができたのだが、しばらくの間、そのことについて何も話題に上がらなかったので、
――きっと忘れているんだわ――
と感じた。
いい人がいないというわけではないと思ったのは、
――彼女のことだから、他の人にも同じようにいい人がいたら紹介しているのだろう。私に回ってくるまでには相当時間が掛かるのかも知れないわ――
と、最初は思ったものだったが、さすがに半年も経ってしまうと、忘れられていると思う方が自然だった。
だが、不思議なもので、梨乃が忘れられていると思ってから、梨乃の方で、話を持って行ったことを忘れてしまった。忘れてしまってから、少しして、
「紹介したい人がいるんだけど」
と、言って先輩社員が梨乃に耳打ちした。
――わざわざ耳打ちなどしなくてもいいのに――
と思ったが、その時に何か変だということに気が付くべきだったのかも知れない。
だが、梨乃自身が忘れていたことに対しての、相手に対しての済まない気分が、変だという気持ちにさせなかった。自分が頼んでおきながら、相手はしっかりと覚えてくれていたのである。
――やはり先輩は面倒見がいいんだわ――
と感じた。
「ごめんなさいね。なかなかいい人が見つからなくて」
その表情は、申し訳なさそうな顔ではあったが、それ以上に暗さが感じられた。
「いえ、いいんですよ。それより覚えてくれていて嬉しいです」
これは本心だった。
先輩の気持ちを素直に受け入れた梨乃は、相手がどんな人なのかを想像してみた。
――気に入らない人だったら、断ればいいんだわ――
確かに紹介してくれるというのはありがたい。しばらく男性と付き合ったことのなかった梨乃にとって、誰か男性を紹介してもらえるというだけで、嬉しいものだったからである。
「さっそく、今日連絡が取れるんだけど、いかがかしら?」
「えっ、今日ですか?」
さすがにビックリした。ただ、そのビックリはすぐに紹介してもらえるということへの嬉しさもあった。胸のときめきを感じ、自分が女として男性と付き合いたいという本音を持っていたことを今さらながらに思い出すことができたからだ。
「何か今日用事でもあるの?」
「いえ、大丈夫です」
毅然とした梨乃の態度に一瞬、彼女は戸惑ったような表情を見せた。その時点で、梨乃はすでに相手に会う気持ちを固めていたのだし、そうなると先輩に対して全幅の信頼を置くことを考えた。一種の開き直りのようなものである。
「じゃあ、仕事が終わってから」
ホッとした表情になった先輩は、踵を返して、その場から立ち去った。どうやら、相手に連絡を入れていたようだ。
梨乃は今まで、紹介された男性と付き合うのは初めてだった。
紹介されてみたいという気持ちは以前からあったが、学生時代に聞いた話の中で、
「紹介で付き合うと、別れた時に、紹介してくれた相手と気まずくなることになるから、それが嫌なところよね」
というのがあったのを思い出した。確かにその通りである。
――特に会社の先輩社員なので、そこが気になるところだわ――
と思ったが、彼女自身、今までに何人もの相手を紹介しているらしいことで、別れたとしても、そこは仕方がないということで割り切ることもできそうな気がしていた。割り切れないと、なかなか紹介というのもできないはずだからである。
待ち合わせ場所は、会社の近くの喫茶店だった。相手の男性はスーツにネクタイ。パリッとしていて、いかにも営業社員の雰囲気が漂っていた。
「彼は、私の姉の勤めている会社で営業をされているのよ。姉から、いい人がいたらってこの間言われて、それであなたを思い出したのよね」
お姉さんからの話であれば、妹として聞いても不思議ではない。しかし、先輩社員は今年二十八歳だということだが、それより上の姉というと、三十歳近くであろうか。男性の雰囲気も三十歳前後っぽいので、ちょうど向こうの会社でも話しやすかったのだろう。それぞれの立場で利害が一致したというところなのかも知れない。だが、実際に年齢を聞いてみると、偶然なのだろうか、梨乃と同い年であった。急に彼に対して親近感が湧いてきた気がした。
紹介を受けた男性は、あまり自分から口を開こうとはせず、付き添い同士が話をしていることが多かった。お互いに姉妹なので、会話が弾むのは当然かも知れないが、忘れられても困る。最初に気が付いたのは、先輩社員だった。
「そろそろ二人にしてあげませんか?」
と、誰にいうこともなく口にすると、お姉さんも、
「そうね。その通りね」
と、納得して、
「それじゃあ、後はお二人でいろいろお話することもあるでしょうから」
といって、紹介者二人は席を立った。
取り残された感覚が強かったのは、相手の男性の方だった。何を話していいのか分からない様子だったが、次第にグラスに口を付ける回数が増えていくと、少し彼もほろ酔い気分になったようだ。
ほろ酔い気分になると、徐々に彼から話しかけてくれる。仕事のことや、趣味のこと、差し障りのないところで聞いてくる。
梨乃の趣味と言えば、読書くらいだが、さすがに小説をラストを先に読んでしまうなどと言えるわけもなく、
「好きなジャンルはミステリーですね」
と答えた。
「ミステリーは僕も結構好きで読んだりしますよ。トリックを重視した話などを読む時は、ついついラストを先に読んでしまうくせがあるくらいですね」
梨乃は思わず驚いた。ラストを先に読んでしまうなど、自分だけだと思っていたからである。それでも少し興奮しかかっているのを抑えるように聞いていると、
「今までにまわりから何度も、お前の読み方は、ミステリーの読み方ではないと結構言われたりしましたけど、でも、それも個性ですよね」
と、照れ笑いを浮かべた。
梨乃は、本当はここで自分も同じようなくせがあるということを言おうかどうか迷ってしまったが、迷ってしまった分、言えなくなってしまった。自分から言うのであればタイミングさえ見計らえばいつでもいいのだろうが、先に相手に言われてしまうと、自分も同じだということを言うには、すぐに言わないといけないものだと、梨乃は考えていたのだ。
それにしても、同じような趣味を持った人で、さらにくせまで似ているというのは、親近感が湧いてもくるのだが、どこか身構えてしまうところがあり、すぐに自分も同意できないところがあった。
元々梨乃は、人に同調するところがある性格ではない。もっと社交的で人と合わせることができる性格であれば、今までの男性との付き合いも変わったかも知れない。
彼の表情が、次第に崩れていく。打ち解けてくれているのだと思うと嬉しくなってきたが、打ち解けてくれていると思うと、少し違って感じられた。