半分夢幻の副作用
次の日の目覚めは結構早かった。午前五時には目を覚まし、それから二度寝をしようという気分にはなれなかった。まだ夢心地の中、しばらくベッドの中から天井を見つめていたが、本を読んでいる時のように、天井が迫ってくる感覚はなかった。
ただ、まだ夢見心地で、完全に目が覚めているという感覚ではない。身体に痺れのようなものがあり、まるで金縛りに遭っているかのような錯覚を覚える。目が覚めていっているという意識があるのは、身体の状態が痺れから、ダルさに変わってきたからだった。
痺れの場合は身体を動かそうとしても動かすことができないが、ダルさの場合は、動かそうとさえ思えば動かすことができる。それでも動かせないのは、動かそうという意識が働かないということであり、ある意味、精神的なものなので、却って厄介なものなのかも知れない。
痺れは次第に収まってくるが、精神的なものは、いつ身体を動かそうと思うのか分からない。分かっているのであれば、ダルさを感じていたとしても、身体を動かそうと思うことはできるはずだ。それを感じないということは、最初から動かす意思が働いていないということである。
その時は、身体が動かなかったのは、動かそうという意思がなかったからではなく、すでに身体を動かしているという意識があったからだ。動かしている意識があるにも関わらず、身体が動いてくれない。これも一種の金縛りのようなものではないだろうか。
カッと見開いた目は、部屋全体を見渡していた。普段に比べて、部屋が小さく感じられる。しかし、その割りには、天井までが高い。部屋が縦長になった気分であった。
――以前にも同じような気分になったことがあった――
あれは、この部屋のことではなかった。ベッドに寝ているのに、眠れない状態だった。ベッドは簡易ベッドで、まわりを白いカーテンで仕切られている。そこが病院の処置室であることは目が覚めてすぐに分かった。なぜなら、左腕がまくられていて、肘窩の部分、つまり、肘の反対側の窪み部分に違和感があり、二の腕が冷たくなっているのを感じた。
――点滴を打たれているんだわ――
輸液入れの半分くらいまで液が入っている。刺してすぐなのだろうか? それとも、何本も打っていて、その何本目かの付け替えが終わってすぐなのだろうが。意識が朦朧としていることから、貧血でも起こしていたに違いない。
すぐに看護師さんがやってきて。
「お目覚めになりましたね。もう大丈夫ですよ。どうやら、極度の緊張があったようで、学校で急に意識を失ってなかなか起きないということでしたので、救急車を呼ばれたとのことでした。今までにもこんなこと多かったんですか?」
「いえ、初めてです。貧血を起こすことも今までにはなかったからですね」
この記憶は中学の頃の記憶である。ちょうど踏切のところでクラスメイトの女の子が車に乗せられたのを見てから、彼女がまだ学校を休んでいる頃だった。担任の先生も少し神経過敏になっているようで、何度も病院に電話を掛けてきていたということだった。
「どれくらい気を失っていたんですか?」
「四時間くらいは失っていたと思いますよ。顔色が悪かったので、かなりひどい貧血だったようですね」
四時間というと、かなりの時間である。学校生活の半分の時間ではないか。
その間、梨乃の頭の中で時間は完全に飛んでいた。普通四時間寝ていれば、時間的な感覚は違っても、
――時間が過ぎ去った――
という感覚は残っているはずである。
夢を見ていようが見ていまいが、眠りに就く前は、間違いなく
――過去――
であった。
しかし、気を失っていた時は違った。四時間と聞いてビックリしたのは、頭の中で時間が経過したという記憶がないのだ。
それは時間が止まったという意識でもない。
――気を失った瞬間にすぐに目を覚ました――
という感覚である。
つまり、梨乃にとって、四時間はまったくなかったことになるのだ。
時間がもったいないという感覚ではない。過ぎてしまった時間はどうすることもできないからだ。だが、そうは思っても、その時間に何かあったとしても、それをまったく知らずに通り越してしまったことが口惜しい。いいことであれ、悪いことであれ、梨乃にとっての四時間は、どこに行ってしまったというのだろう?
その日の目覚めは、貧血を起こした時とは違い、時間が過ぎ去った感覚は残っていた。眠っていた時間も自分の意識と、さほど変わっていない。しかし、目覚めは明らかにおかしい。いつものように、目が覚めるまでには少し時間が掛かっていることは普段と変わらないが、夢を見たという記憶もないのに、その部屋が自分の部屋だということを分かっているにも関わらず、違和感があった。
――何かが違う――
そう感じた時、縦長の部屋を感じ、まわりがカーテンに包まれた病院の処置室を思い出したことを自覚した。
普段は、ここまで目覚めの時だと感じることができるほど、意識がしっかりしていない。意識がしっかりしているというわりに身体を動かすことは相変わらずできない。
――ダルさに変わってきているのだから、気の持ちようでは身体を動かすことはできるはずなのに――
と思ったのだが、どうしても力が入らないのだった。
――やはり、金縛りに遭っているのかしら?
痺れは感じない。動かそうと思えば、手足は動きそうだ。だが、動かそうとした瞬間、外部からの力が働いて、動かすことができないのだ。
――誰かに押さえられている?
と感じた時、相手が一人ではないのを感じた。しかも、その力強さは女性ではない男性のものだ。
ぼやけたシルエットの中で一人の顔が浮かんできた。その男は、知っている顔だった。クラスメイトの女の子を車の中に招き入れた助手席に乗っていた男の子ではないか。その締まりのない顔には、理性などとっくに飛び去ってしまっていて、欲望のみで行動している様子が伺えた。
――私にそこまで人の感情が分かるほどの眼力があったなんて――
と感じたが、それは本当は知りたくない、見たくないと思っている人間の汚い部分だった。
――目を見てはいけない――
と思ったが、もう遅かった。目が合ってしまうと相手はさらに増長し、すでに人間ではなくなり、獲物を目の前にした肉食動物そのものだった。
――ダメだわ。もうこのままされるがままになっている方が、ケガをしないで済む――
梨乃は、すぐに諦めの境地に陥った。
一旦諦めてしまうと、気は楽になる。いかに自分の気持ちを一番傷つかないように持っていくかということを考えればいいのだ。ここでは何の理屈も通用しない、すべてが、
――きれいごと――
として一括りにされるのだ。
――私が黙っていれば、誰にも分からないことなんだ――
梨乃は、隠し事は得意ではない。自分の感情を隠し通せるほどの自信はなかった。
――私は正直者なのよ――
ということを自分に言い聞かせて、人に対して隠し事ができないことが、人の信頼を得られる一番のことだと思っていた。
少なくとも、その時まで。
――これって本当に夢なのよね――
まわりの男たちから蹂躙されている。しかも、一人は見覚えのある男である。