俊一郎の人生
――融通が利かないと、どうなってしまうというのだろう?
俊一郎は、自分に対して、そこまで考えたことはなかった。
元々、融通ということ自体、あまり考えたことはない。普通に生活していれば、融通など、自然と利いてくるように思えていたからなのだろう。
学校でも、職場でも、まわりからあまり流されない人というのは、一人はいるものだ。
「人畜無害な男さ」
と、冗談めかして言っていたが、まさしくその通りだ。
そういう人は今まで、それほど人に邪魔される人生を歩んだことはないだろう。それが一種の役得であり、その人の個性なのだろう。
だが、逆にそんな人を恨めしく思う人もいたりするものだ。その人の存在に気付いていない間はいいが、何かに引っかかるようにして、偶然にも気付いてしまった時、その人の本性が出るのかも知れない。
人畜無害と言いながらも、今までに意識したことがなかったので、問題なかったが、精神的な傾きによってどちらに転ぶか、俊一郎自身、知る由もなかった。人畜無害というメッキが剥がされるのか、それとも、メッキなどではなく、本当の金箔なのか、興味深いところであった。
俊一郎は、会社でもあまり人と話すことはない。
暗いというわけではないが、必要以上のことを話さない人として、まわりは認識しているようだし、俊一郎としても、まわりの人がしているような話は、どうも苦手だと思っている。
仕事の話をしないわけにはいかないので、仕事の話はしているが、そこから派生した話が生まれるわけではない。したがって、飲み会などに誘われることもなく、俊一郎の方でも、
――飲み会で、どんな話をしていいか分からないのに呼ばれたりしても困る。呼ばれなくてよかった――
と思うようになっていた。
そんな俊一郎が趣味を持ったのだから、それは、ただのリフレッシュだけだということはないだろう。さすがに中毒とまではいかないが、生活の一部だと言ってもいいようになったのだ。
しかし、俊一郎はそれを認めたくないという気持ちもあった。
なぜなら、趣味と実益を兼ねたくはないと思っているからだ。
仕事は嫌いではないが、仕事だけをこのまま続けていく気にはならない。
今は三十歳になったが、二十五歳くらいまでは、仕事が楽しくてたまらなかった。
二十五歳と言えば、俊一郎に彼女がいた頃だった。あの頃は、毎日が充実していて、仕事をすればするほど、自分の成果になって行ったような気がしたからだ。
実際にまわりの人から認められているような口調で話をしてくれた。
「君たちが第一線で頑張ってくれるから、仕事もはかどっているんだ」
と言われて、有頂天になったものだ。
上司から、面と向かって言われるのである。有頂天になって当たり前なのだが、
「君たち」
という言葉に、何の反応もなかったことが口惜しい。今なら、すぐに疑問を抱くはずなのに、それをスル―してしまうということは、よほど、社会人として、まだまだ甘かったのか、それとも、新鮮な気持ちだったのか分からない。本当は後者だと思いたいのだが、そう思えるほど、苛立ちはすぐに忘れられるものではなかった。
俊一郎は、学生時代から、おだてに弱い性格だった。
本当は短所なのかも知れない。だが、おだてに弱くても、勉強も仕事もきちんとこなしていたので、おだてに弱いことを短所だとは思わなかった。
「長所と短所は紙一重」
と言われるが、まさしくその通りだ。
俊一郎にとっての長所は、考えてみれば、短所の裏返しだと思える。裏返しが、そのまま紙一重に繋がるという発想は簡単に生まれることではないが、背中合わせだと思うと、理解できないこともない。
――見えないから、遠くに感じるんだ――
鏡でもあれば別だが、自分の背中を自分で見ることはできない。その思い込みが紙一重という発想に結びつけてはくれない。しかし、人の言う、
「長所と短所は紙一重」
という言葉を頭から否定するのではなく、自分なりに考えてみると、見えてくるものがあるはずだ。それが裏返しを背中合わせだという発想に転換することで解決できる簡単なことだという気持ちになればいいということだった。
おだてに弱いという性格をいいイメージで捉えていて問題なかった学生時代とは違い。社会人になると、おだてに弱いだけでは必ずどこかで壁にぶつかるであろうことを、意識してなかったのは無理もないことだが、実際に壁にぶつかった時に、どう考えるかが問題であった。
――何事に対しても、壁にぶつかって悩みを抱えているのは、何も自分だけではないのだ――
という気持ちになることができれば、気も楽になる。
悩みができれば、悩みに正面からぶつかっていくのも大切なことかも知れないが、壁にぶつかった時、いかにショックを最小限に食い止められるかという考えも必要である。それがまわりを見るということであったり、まわりから第三者の気持ちになって自分を見つめ直すというのも、一つの手ではないだろうか。
それが二十五歳という年齢を境に、
――人の言葉を全面的に鵜呑みにしてはいけない――
と思うようになったのだが、おだてに弱かった人間が、急に人の言葉を疑うというのは難しいものだ。
その頃から、仕事や上司に疑問を抱くようになった。
その原因が何だったかは分からないが、少なくとも、二十五歳の時に、いろいろな心境の変化があったように思えてならない。
付き合っていた彼女と別れることになったのも、その頃だった。
それまでは、一緒にいることに何ら疑問を抱いていなかった。
付き合っていた彼女は、一言で言えば、従順な女性だった。普段から口数が少なく、集団の中にいるタイプにはとても見えない。
いつも一人でいるのが似合っているという表現が適切かどうか分からないが、それまで女性とあまり深く付き合ったことのなかった俊一郎が、初めて付き合っていると言える女性だった。
学生時代にも彼女はいたが、交際期間は短かった。
いつも相手から別れを切り出され、
「どうして?」
と言うと、
「分からないの? それじゃあ、しょうがないわね」
と、俊一郎が別れに対して疑問を訴えた瞬間、相手は別れの決心は間違っていなかったと言わんばかりに、自分の中だけで納得し、さっぱりした表情になって、
「それじゃあ」
と言って、去って行った。
別れを一方的に切り出されて、それが分からないからと言って、納得されてしまっては、俊一郎にはどうすることもできない。理不尽な思いがストレスとして鬱積し、トラウマとなって残ってしまっても、仕方のないことだった。
大学を卒業し、就職してからは、
――彼女なんていらない――
と、仕事に集中しようと思っていた。
だが、就職して、仕事に少し慣れてくると、今度は先輩社員から、
「仕事にもだいぶ慣れてきたようだから、そろそろ彼女を作ってもいいんじゃないか? 彼女、いないんだろう?」
「ええ、でも、まだ僕には仕事一筋でいいですよ」
先輩の話は興味を引くものだったが、学生時代の経験からすると、彼女を作ることに抵抗を感じないわけにはいかない。
「そんなこと言わないで、彼女を作ると、人生が違って見えるぞ」
――人生が違って見える?