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俊一郎の人生

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 潜在意識に範囲があるという考えは、その秘められた「力」が表に出てきていない時に言えることではないだろうか。「力」が発揮されることで、潜在意識の活躍できる範囲は、ぐっと広がってくるに違いない。
 夢の中で何かが暴走し始めるとすれば、それは潜在意識が力を持った時ではないだろうか。そう思うと、潜在意識の力が、誰かを自分の夢の中に引き寄せたり、あるいは、誰かの夢の中に入ってしまおうという意識を持ってしまう。
 俊一郎が課長の夢に入り込んだだけなら、
――課長が引き寄せたのかも知れない――
 と思うだけだが、若菜の夢にも入り込んだのだとすれば、潜在意識に力を持ったのは、俊一郎の方だったに違いない。
 もちろん、若菜にも同じ力が若菜の潜在意識に存在したといえないわけではないが、そうなれば、若菜との出会いの偶然も潜在意識の力だと考えれば、納得がいく。
 しかし、すべてを潜在意識で片づけてしまっては、
――片づけられないことがあれば、すべて潜在意識のせいにして片づけることになるのではないか――
 という懸念を抱くことになってしまう。
 そうなってしまえば、ある程度のことを理解できる気がしてくるのだが、それではあまりにも簡単に人生を見てしまうことになるだろう。なるべくそれは避けたかった。
 いや、そんなことを最初から感じさせないように、人間の意志はなっていたはずなのだ。それなのに、俊一郎は余計なことを考えてしまったと言えないだろうか。余計なことを考えて、見えない力の存在に気付いてしまったことで、これ以上、自分が苦しい位置に置かれるのは勘弁してほしい。
――俺は、知りすぎてしまったのだろうか?
 アンタッチャブルな部分に触れてしまったことへの報復が、今の状況だとすれば、俊一郎は頭の中をもう一度リセットする必要があると感じた。
――では、リセットって、どこまでリセットすればいいんだ?
 これ以上考えることは、潜在意識ではなく、理性の問題に関わってくる。
 今まで理性が表に出てこなかったのは、
――ここまで考えが発展してしまうと、理性の出る幕などないだろう――
 という、理性を自分で考えたことが原因であろう。
 潜在意識も理性に出てきてもらっては困るはずだし、理性も、潜在意識に触れたくはないと思っているはずだ。
――この二つは、平行線なのかも知れない――
 決して交わることがないのが平行線である。
 潜在意識も理性も、本人の中では、根底は同じものだと思っている。
 潜在意識は理性よりも限界があり、さらに、理性と違って意志を持たない。理性は、限界がなく、意志は持つが、潜在意識のような「力」というものがない。
 理性には、力があって発揮できないだけではなく、最初から「力」というものがないのだ。
 ここでいう「力」というのは、理性にある意志であったり、限界のない広さというものではない。あくまでも自分だけに対してではなく、外部に対して向けられている「力」のことなのだ。
「理性が邪魔をする」
 という言葉はよく使われるが、
「潜在意識が邪魔をする」
 という言い方はしない。
 それだけ、自分を含めた他の人の心の中に強く意識できるのは、潜在意識の方ではなく、理性の方なのだ。
「理性があるから、人間なんだよ」
 という人がいる。
 それは理性が欲望の反対語のように感じているからだ。確かにそれには違いないが、理性が欲望を抑える力だけだということであれば、そうかも知れない。しかし、理性の裏側には、常に潜在意識というものが存在している。表裏一体と考えてもいいかも知れない。
 潜在意識が表に出ている時は、理性が裏にまわり、理性が表に出ている時は、潜在意識が裏に回っている。後者の方が圧倒的に率は高いと思っているが、夢の中ではそれが逆転するのだ。それが夢の定義であると考えれば、夢から覚める時、記憶に封印されてしまうことも、分からなくはないように思えたのだ。
――では、理性と欲望とは、どのような関係なんだろう?
 俊一郎は、またあまり考えたことのないことを思い浮かべていた。
――欲望については、あまり考えてはいけないことだ――
 と思っていた。
 考えないようにするのは暗黙の了解のようで、考えることは余計なことであり、他の人に迷惑を掛けるからだと理解していたが、食欲、金欲、達成欲など、それぞれに生きる上で必要な欲もある。すべての欲望を否定してしまえば、生きていけないのは、一目瞭然ではないだろうか。
 もし、自殺というものが、意志の働いているものと、無意識に自分の命を断つものと二種類あるとすればどうだろう?
 俊一郎は、意志が働いている自殺を、理性によるものだと思い、無意識に自分の命を断つものを、潜在意識の中に存在している「力」によるものだと思っている。
 理性が自分の意志に働いて、自分の命を断つというのは少し納得いかない気がするが、自分の意志が働いて死に至る時というのは、さらに、潜在意識の中にある見えない「力」が影響していると思うと納得がいく。
 死を覚悟しても、死に切れる人が果たしてどれだけいるのかというのを考えると、普段であれば、決して一緒に表に出ることのない二つが、両方出てくる時というのが、死を決意して、死に至る時だと思うと皮肉なものだ。
 それだけ死を迎えるということに対して「力」を必要とする。
 それは自殺だけに言えることではない。病気で死ぬ時も、本当に死を迎える前には、本人に覚悟の時間が与えられるのではないだろうか。そう思うと、覚悟してから死に至るまで、潜在意識の持つ「力」と理性とが融合することで、死を覚悟できるだけの心構えができるのだと思える。
――どうして、そこまで分かるのだろう?
 と考えたが、それは死を通らなければ分からないことであれば、俊一郎はすでに死んでいることになる。
――すると、今までの記憶や意識は一体なんだったんだ?
 俊一郎は、本当は大学時代に起こった事故ですでに死んでいた。
 その時に、覚悟を持って死に至るまでの時間があまりにも短かったことで、魂の中に、まだ自分が生きていて、大学時代までの記憶が残っていた。
 そして、俊一郎の記憶の中に、最近同じように交通事故に遭った男性が入り込んだのだ。
 その男は若菜と付き合っていた。
 若菜が付き合っていた男性の会社の課長にストーカー行為を受けていたというのは事実である。若菜は課長を殺したいという妄想をずっと抱いていたのだが、彼にはその若菜の気持ちがよく分かっていたのだ。
 課長も交通事故で亡くなった。課長が亡くなったのは、本当に事故である。ただ、若菜が殺したいと思って繰り返していた妄想が、こともあろうに付き合っていた男性に向いてしまったのだ。
 それは若菜が抱いてはいけない妄想だった。そもそも人を殺したいなどという妄想は、簡単に抱いてはいけないものだった。やり方を間違えれば、違う人が犠牲になる。それが若菜の付き合っていた彼だったのだ。
 彷徨っている俊一郎の魂が若菜の中に入りこんだ。
 若菜は入り込んだ魂の正体を知らなかったが、状況から考えて、その頃にはまだ生きていた課長の夢が入り込んだと思いこんだようだ。
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次