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俊一郎の人生

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 偶然の方が可能性が低いと思っていたのは、
――力が働いていないものの可能性なんて、本当に低いものだ――
 と感じていたからだ。
 だが、偶然というものに力が働いているとすれば話は別である。同じように力が働くのなら、その時々でそれぞれ可能性の高さが上下したとしても当然である。
 では、偶然にどんな力が働いているというのか。それは、偶然と思わせるために、偶発的な環境を作り出す力である。その力は、起こってしまった事実をその後、それ以降も本人に対して、
――起こったことは偶然である――
 と、永遠に思い込ませなければならない。
 偶然と必然というのは、その時に起こった状況だけでは単純に判断できないのだと思うと、事故で死んだ課長のことも、本当に偶然だったのかも知れないと思うようになった。
 交通事故というのは、自殺や殺人以外では、そのほとんどは偶然である。課長も誰が見ても偶然だったのだろうが、皆が思っている偶然と、今俊一郎が考えている偶然とでは違っていた。
 課長の交通事故に偶然を装わせるように働いた力が、その力を使った本人が意識してしまえば、その時点で偶然ではなくなる。そこにはれっきとした意志が働いているからだ。
 ただ、それが殺意だったのかどうか、力を使った本人に意識がないから分からない。
 その力を使ったのが、俊一郎なのか、若菜なのか、それとも他の誰かなのか分からない。
――まさか、課長本人では?
 死んだ本人が無意識に力を使ったとしても、それは偶然である。それが本人の最後の力だったのだろう。
――ひょっとして、交通事故に遭う人の中には、自殺願望のようなものがあるのかも知れない――
 そういえば、子供の頃に、
「あまり変なこと考えながら歩いていると、事故に遭うわよ」
 と、おばあさんから言われたことがあった。
 その時は、気が散ってしまうから危ないと言われていると思っていた。たぶん、他の人が聞いても同じことを考えたであろう。だが、今から思えばおばあさんは、何もかも分かっていて、忠告してくれたのかも知れないと思った。
 それはおばあさんにしかできないことだ。
 いろいろな人生経験の中で、見えない力の存在を認識し、それを遠回しに話してくれているのかも知れない。
 まともに話しても信じられることではない。大人であれば、
「そんなバカな」
 と一蹴されるだけであろうし、子供に話しても、まず理解されることのないものだからである。
 もし、課長が事故に遭って助かっていれば、俊一郎と同じように、記憶を失ったであろうか?
 失ったとすれば、どの記憶になるのだろう? ストーカーを続けていたという記憶なのか、それとも家族の記憶なのか、疑問に思う。
 課長は、ストーカーを続けていた相手である若菜の気持ちが分かっていたのではないかと俊一郎は感じた。交通事故が偶然であって、見えない力を課長が知っていたとすれば、見えない力は、自分がしているストーカー行為の相手から好きになられたということを感じればどうだろう?
 ストーカー行為をする理由がなくなってしまう。
 ストーカー行為をするのは、相手が気になるからだという理由だけなのだろうか? ひょっとすると、ストーカー行為自体に快感を覚えていて、その快感を一番満たしてくれる相手が若菜だったというのであれば、相手から好かれてしまうと、本人は困惑してしまうだろう。
――だったら相手を変えればいい――
 と、簡単に切り替えられるものでもない。若菜という媒体があるからこそ、ストーカー行為に勤しむわけである。そうであれば、簡単に気持ちの切り替えなどできるはずもないことだ。
 それを性癖というのであれば、課長は自分の性癖を、無意識に自分の中の何かの力が抹殺したことになる。ひょっとすると「自殺」に近いイメージだったのかも知れない。それは見えない力が、自分の性癖の可能性もあるからだ。
 もし、課長の中にある性癖が「自殺」したのだとすると、この時に生まれた力は、かなり強いものだったに違いない。
 俊一郎、若菜の中の見えない力が働いたというよりも、こちらの方がはるかに可能性が高い。
 課長の力が働いて、交通事故に遭ったからと言って、それは自殺ではない。実際に課長が、
――何をしたいか――
 という気持ちと融合して起こった事故であれば、自殺と言ってもいいだろうが、自殺をする根拠がないのに、見えない力が無意識に働いただけでは、やはりそれは自殺ではないだろう。
――ただの偶然――
 と、表に現れた事実とされることと同じ認識になるだろう。
 俊一郎は、ひとまず、課長に対してそれ以上考えるのをやめた。妄想というものは結構疲れるものである。果てしなく続く妄想をどこかで整理しないと、支離滅裂になるからだ。すでに支離滅裂になっているが、一旦頭をリセットすることで、落ち着こうと思ったのだ。
――課長のことは、いずれ、また繋がってくるさ――
 と考えていた……。

                   ◇

 俊一郎は、交通事故の夢を思い出したことで、妄想から抜け出すことができそうな気がした。
 今自分が一体どこにいて、何を考えようとしているのか、考えてみた。
 今のままでは自分の肉体に戻ることができない。しかも、肉体がどこにいて、何をしているのかすら、分かるすべを持っていなかった。妄想に入った時の状態が、自分でまったく覚えていない。
――多分、夢から入ったのだろうが――
 夢の中で妄想を始めるということは、今までにはなかったことだ。夢の中での自分は、余計なことを考えられないようになっていた。考えることは、夢の中で決まっていて、その通りに考えさせられていただけなのだ。
 夢自体が、妄想の一種のようなもので、ただし、夢は潜在意識の範囲内という制限がある。
――ということは、潜在意識というものは、案外と小さな範囲でしかないのかも知れないな――
 と思った。
 潜在意識というものは、考え方の原点であり、いつでも根底に広がっているものだと思っていた。見えている部分がどれほどの大きさなのか分からないだけに、全体が見えてこない。しかも、潜在意識は、自分の意志とは違い、ただ、意識として存在しているだけなのだ。
 たとえば、空を飛びたいと思っても、
――人間は羽根がないのだから、空を飛ぶことはできない――
 という思いがあるから、いくら夢の中であっても空を飛ぶことはできない。
 それが潜在意識の成せる業であり、自分の中の考えの「抑え」でもあるのだ。
 人の考え方が、無限に広がっているのだとすれば、必ずそれを抑えるための「薬」が必要になってくる。その「薬」が潜在意識であるとすれば、潜在意識の定義は自ずと生まれてくるというものだ。
 潜在意識と理性では、明らかに違う。
 理性には意志が存在するが、潜在意識には意志が存在しない。だが、意志の存在は、「力」の有無とは関係ないのではないだろうか。むしろ力が存在し、自分を含めたまわりに影響するのは、潜在意識の方だろう。
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次