俊一郎の人生
と、どの種類のトラウマなのか分からないまでも、必要以上の意識はなるべくしないようにしようと思うのだった。
彼女ができても、こっそりと風俗には通っていた。
――見つからなかったからよかったものの――
と考えていたが、本当は彼女には分かっていたのかも知れない。
大学時代に付き合っていた彼女は、従順だった。俊一郎がすることに対して、何も文句は言わない。ずっとそばにいて、見つめられていた。
恥かしさと、誇らしさの二つがあり、誇らしさから、
――俺は、彼女の前では何をしてもいいんだ――
というくらいに思っていた。
まさに、「役得」な気分であったが、いつまでもそんな状況が続くはずなどない。
薄氷を踏むような関係だったのかも知れない。少し体重を掛ければ、氷は割れて、そのまま寒水の中に真っ逆さまである。
だが、それも今から思えば妄想のようなものだった。その頃から、俊一郎の妄想が激しくなったような気がしていた。妄想がそのまま記憶として残ることもあるくらいだ。
普通なら、そんなことはないのだが、
――これも交通事故の後遺症なのかな?
と思うと、大学時代の記憶の一つ一つが怪しく感じられる。
風俗の記憶も、怪しいものだ。だが、覚えていたいという記憶には、意外と間違いがないように思える。大学時代の記憶の中で歪に歪んでしまったとすれば、思い出したくない記憶が、どのように意識の中に残っているかということが問題であった。
医者が言っていた、
「失われた記憶」
というのは、自分が意識して忘れようとしたものなのかも知れない。
医者は、
「何とも言えないね。すぐに思い出すかも知れないけど、ずっと思い出さないかも知れない。でも、何かのきっかけで、一つを思い出すと、芋蔓式に、すべてを思い出すような気がするんだ。しかも、忘れていたということすら、思い出してしまうと、意識がない。つまりは、君は思い出したとしても、思い出したという意識がないから、結局は思い出したという事実は誰にも分からないだろうね」
と言っていたではないか。
思い出したとしても、それは自分が意識できるかどうか、医者の話では、意識できないと断言していた。なぜそこまで断言できるのか、ひょっとすると、俊一郎以外にも同じような症状の患者を見たことがあったのかも知れない。そう思うと、医者の滑らかだった口調も分からなくもない。
俊一郎は、
――自分の不安定な記憶が錯綜し、おかしな妄想を抱かせているのかも知れない――
と感じた。
確かにありえないと思えるような妄想を、あたかも真実のように思い込んでいる自分を思い起すと、自分でも信じられない気分になる。妄想というものが自分に何をもたらしているのか分からないが、大きな影響を与えておるのは事実だ。
――覚えている夢は、何か理由があって覚えているんだ――
という思いを前から感じていたのだが、覚えているというのが、怖い夢が多かった。
――そういえば、交通事故に遭う前にも交通事故に遭った夢を見たような気がするな――
今だから思い出したのであって、交通事故の夢が、まさか正夢だったなど、意識したことはなかった。交通事故に遭うまでは、夢に理由があると思っていたが、交通事故から復帰してからは、そんな意識は消し飛んでしまった。交通事故は記憶だけではなく、意識まで吹き飛ばす、自分にとって大きな出来事だったのだ。
今までに交通事故に遭ったという意識はあったのだが、それがどれほど自分にとって大きなことだったのか、意識したことはなかった。
――ケガも治れば、精神も落ち着く――
と思っていた。記憶を失ったところがあるとはいえ、生活に復帰して失った記憶が影響してくるような問題はなかった。身体と精神は比例していることも、交通事故で実感したと思ったくらいだった。
最近、夢のことをいろいろと考えていたが、正夢を見ることがあったなどという意識は感じたことがない。夢に対して今考えていることが、昔からの考えだと思っていたのだ。大学生になるまで、その時々で節目があった。その節目には、必ず正夢を見ていたような気がする。もちろん、子供が見る夢なので、たかが知れているが、それでも子供心に、
――すごい夢を見たモノだ――
と思っていた。
夢が現実になったのか、現実に起こることを予知するかのように夢を見たのか、よく分からなかった。それは今でも分からない。多分、永遠に分からないような気がする。
ただ、それは、夢というのが、現実世界にいる間、疑問に思ったとしても、その疑問を解消するだけの答えを与えてはくれないものだということなのだろう。もし、その答えが分かったのであれば、自分のこれからの人生を最初から知ってしまったような気がするからだ。
「人生、先が分かったら面白くない」
という人がいるが、先が分かったら面白くないというよりも、分かっていることを忠実に生きていくだけなら、まるで自分は操り人形という意識を永遠に消せないまま生きていくことになる。これは面白くないというよりも苦痛である。
「あなたは余命五十年です」
と宣告され、しかもそれに逆らうことはできないということになれば、自分の意志はあってないようなものだ。
正夢がそこまで大げさなものではないのだろうが、正夢となって起こることは、そのほとんどが自分にとって悪いことなのだ。
交通事故が、その最たる例であり、他にも自分の努力で回避しようとしてもできなかったことがほとんどだった。
もし、他の人に言えば、
「お前の努力が足りないからだ」
と言われるに決まっている。それは、正夢ということ自体を信じていないからだ。
俊一郎も、正夢などということを信じていなかった。実際に何度か正夢を見ても、それでも信じられないと思っていたくらいだった。
やはり決定的だったのは、交通事故の時だろう。あの時はさすがに交通事故で死んでもおかしくない状態で、それほどのケガもなく助かったもだから、信じないわけにもいかない。正夢を見ていたからこそ、咄嗟の時に、身体が反応して助かったとも言えるからだ。
しかし、それから正夢を見たという記憶はない。
――今までに見た正夢は何だったのだろう?
と、思った時、自分が記憶を失っているという意識が初めて芽生えた。
医者から、
「記憶を失っている」
と、言われてもピンと来なかった。やはり自分の中で意識として湧いてこないと、俄かに信じられるものではないからだ。
正夢を見なくなったことと、記憶を失ったことに気付いたこと、その二つをほぼ同時に近い状態で感じたのは、偶然だったのだろうか?
思い返した瞬間は、
――偶然ではなかった――
と思っていたが、冷静になって考えてみると、
――偶然だったのかも知れない――
という思いの方が強くなった。
前は、偶然なんて、そう簡単にあるものではないと思っていたが、冷静になると、偶然の方が、必然よりも可能性としては高いのではないかと思うようになっていた。
必然には何かの力が働いていて、偶然は、何の力も働いていないという考えを持っていたが、偶然というものにも、何かの力が働いているように思うようになったのは、たった今だった。