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俊一郎の人生

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「ええ、私が聞いたことに、彼女が答えてくれたんです。私も、趣味は趣味で楽しみたいと思っている方ですからね」
「なるほど、実は私も趣味は趣味だと思っているようなので、よく分かります。ひょっとすると、このお店は、趣味は趣味で楽しみたいと思っている人が集まるところかも知れませんよ」
「そうかも知れませんね。でも、それなら、私はちょっと嬉しい気もします。そのうちに皆自分の気持ちを話すことがあれば、そのことで話も盛り上がるし、皆気心が知れてくると思いますからね」
 マスターの言うとおりである。
 常連と呼ばれる人たちは、何か一つでも共通した考え方を持っているが、理想だと俊一郎は考えていた。特に、デッサンを描いているという女性には興味があり、そのうちに会えたら嬉しいという気持ちになっていた。
 いや、そのうちに会えたら嬉しいというよりも、会える可能性はかなり高いような気がする。会うことが運命づけられているという気持ちに近いと言ってもいいだろう。
 最初は、黙っていた趣味も、しばらくして話をした。
「それはすごいですね。一度見せてください」
 とマスターに言われて、絵を持ってくると、
「なかなかいい絵だと思いますよ、さっそく飾らせてもらおう」
 と言って、彼女の絵はそのままに、油絵の数を減らして、そこに、俊一郎の絵を飾ってもらえることになった。
「君の絵は、近くで見るのと、遠くで見るのとでは趣きが違っているのを感じるんですよ。繊細な部分と、全体のバランスを見る時に見える絵の奥深さが、微妙な距離で別れているからね」
 というのが、マスターの評価だった。
 それは、俊一郎にとって最高の褒め言葉に感じられた。
――少なくとも、マスターは絵に対して、造詣が深い。結構いい目を持っているのかも知れないな――
 と感じていたので、漠然といい悪いだけではなく、批評をしてくれたことが嬉しかったのだ。
「私の店は、元々アンティークな感じにしたいと思っていたこともあって、モノクロームな絵は、落ち着いた雰囲気を醸し出してくれるので、ありがたいんですよ。やっぱり、ここは、同じような考えを持った人が集まるところなのかも知れませんね」
 俊一郎も同感だった。
 ただ、どうしてもモノクロームの絵には暖かさを感じることができない。暖かさを補ってくれるのは、マスターの淹れてくれたコーヒーである。
 モノクロームな絵を見ていると、部屋に充満したコーヒーの香ばしい香りが漂ってきて、「遠くから見る絵のバランスが、深みを帯びて見えるようになる」
 と言ったマスターの言葉を思い出し、思わず頷いてしまうのだった。
「マスターのコーヒーは本当にうまい」
 さらに、トーストや、タマゴの焼ける香ばしい香りが充満してくると、朝の時間が今までのここを知る前の時間とまったく違って充実したものに感じられてくることが嬉しかったのだ。
「そう言ってもらえると嬉しいです。ここを始めた頃から結構常連さんがついてくれたのは嬉しいです。あなたも、結構最初の頃からの常連さんですからね」
 この店ができて、半年ほどで俊一郎が初めてここに来たのだという。すると、数枚飾られている女子大生の絵は、本当に短い間にここに飾られるようになったということだろうか。ますます、どんな女の子なのか、気になるところであった。
 俊一郎は絵を描くことをただの趣味のように最初こそ思っていたが、ここで女子大生の絵を見たりしているうちに、
――まるで生活の一部になっているんだ――
 と、思うようになり、仕事よりも自分の中ではウエイトが高くなっているのを感じていた。もし、絵画を邪魔するような人が現れたら、殺してやりたいとまで思うのではないかと、この頃から思うようになっていた。その思いは薄くなるどころか、次第に大きくなってきている。
――殺意を抱くなどということは、他人事だと思っていたのに――
 と、実感は湧かないまでも、漠然とした気持ち悪さを心に抱くようになっていた。自分の中で絶えず意識していないわけにはいかなくなっていたのだ……。
 同じ店に同じ日に複数回来るというのは、俊一郎には珍しいことではない。モーニングを食べて、一度街に行き、本屋やショッピング街をグルリと回って、昼の暖かさを堪能していたのだ。
 俊一郎は、その日の暖かさもあって、喫茶店ではゆっくりとしていた。日が暮れるくらいにやってきて、いつも二時間くらいはいるが、その日は、そろそろ九時近くになろうとしていた。この店は九時半まで営業している店なので、ゆっくりできる。そこがまた常連が多い理由なのかも知れないが、さすがに九時前くらいになってくると、常連が数人いるだけのアットホームな店内になっていた。
 その日は、前から読んでいた本がクライマックスに差し掛かる頃だったので、最後までは読もうと最初から心に決めていたこともあって、九時近くまでになったのだ。集中して読みこんでいたということもあって、まわりがまったく見えていない。一度店内を見渡してから、一時間以上は集中して読んでいたようだ。
 ただ、本人の意識としては、十分ちょっとくらいの感覚だった。それほど時間の感覚と実際とに差があったのだ。
店を出ようと扉に手を掛け、開けようとすると、なかなか開かない。
「あれ?」
 少し力を入れると、扉がやっと開いた。その瞬間、外から押し返されるような風を感じ、咄嗟に扉に掛かった手に力が入る。
――人間の反発力とでもいうべきものなのかな?
 と、感じたが、風の勢いの強さにビックリしてしまった自分が、少し照れ臭くもあったのだ。
 どうやら表はかなり風が強いようである。それは数時間前に感じた暖かさとはまったく違う強い力で、体感気温の低さを想像すると、何も考えずに表に出てしまったことを後悔したほどだった。それは、家を出てくる時、テレビをつけていたのに、その時にやっていた天気予報をもう少しまともに見ていれば分かったことではないかと思ったことだ。
 ここ数日、極端な寒さはなかったが、久しぶりに暖かかった今日の昼間、何も考えずに信じてしまった自分がバカだったのだろう。
 あまり天気予報を信用しない俊一郎だったが、最近の天気予報は、以前に比べれば信用できると思っていただけに、スルーしてしまったことが口惜しい。
 それでも、最近の寒さのせいか、服装の上での寒さ対策はしてあったことだけは、幸いだった。ただ単に、服装を変えるのが億劫だったというだけなのだが、それでも不幸中の幸いが一つでもあったことは、救いに値する。強い風を、どこまで防げるかは分からないが、
――慣れてくれば、何とかなるものさ――
 という考えを俊一郎は持っているので、さほど心配をしていないのも事実だった。
――店を出てから少し早く歩けば、そのうちに家に帰りつくさ――
 と思い、後は、意を決して表に飛び出すだけだった。
 一度風に押されて中に入ってしまったが、今度飛び出す時は覚悟の上である。一気に飛び出してしまえば、後は慣れるのを待つだけだった。
 そのまま一気に表に飛び出した俊一郎は、扉で感じた反発力ほどの勢いを、表の風には感じなかった。
――これなら、何とかなるかな?
 と思い、真っ暗な風の強い夜の街に飛び出した。
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次