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俊一郎の人生

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 と、今までの寂しさと退屈な休みが、一変したことを喜んでいた。
 元々、芸術的なことは嫌いではなかったが、小学生から高校生の頃までは、まるで押しつけのようで、嫌だった。確かに芸術に触れるというのは、悪いことではないが、それが押しつけだと思ってしまうと、受験勉強と同じで、億劫になっても仕方がないだろう。
 時に俊一郎は、飽きっぽい性格だった。ただ、それは持って生まれたものだとばっかり思っていたのだが、実際には、押しつけだと思ってしまったことが飽きっぽい性格に拍車を掛けていることに最初は気付いていなかった。確かに元々飽きっぽい性格だが、急に嫌いになったりはしない。芸術に関しては、大学に入学する頃までに、すっかり嫌いになってしまっていたのは、芸術と受験勉強とが頭の中でシンクロしてしまったからなのかも知れない。
 それでも、見つけた趣味が「デッサン」だったのは、ちょうどよかったのかも知れない。それほど大げさなものではなく、お金も掛からない。場所を独占しないとできないわけでもなく、スケッチブックと、鉛筆だけあれば、それでいいのだ。
 さらに、飽きっぽい性格だという自覚があるので、休みのたびに、毎回するわけではなく、一か月に一度くらいは自分で、「休筆日」としていた。時間も、毎日二、三時間程度にして、三十分に一度は休みを入れるようにしていた。自分のペースで、意気込みすぎないように自分でも気を付けているつもりでいたのだ。
 デッサンを始めてから、俊一郎は毎日が少しずつ変わって行った。一気に変わったわけではないところが、俊一郎らしい。最初から一気に変わってしまったら、何が変わったのか、意識できないからである。意識できないと、前の自分との比較ができず、いい方に変わったという意識を持つことができないからだ。
 少しずついろいろな小物も揃えていった。そのことも、一気に変わらなかったことが幸いしていると俊一郎は考えていた。
 元々、形から入る方ではない。最初に形から入ってしまうのを却って嫌うくらいだ。大して上達しているわけでもないくせに、モノだけ先に揃えてしまうと、まわりからいかにも「画家」のように見られてしまう。
「画家さんですか?」
 と、聞かれて、
「いいえ、そんな、ただの趣味ですよ」
 という言い訳をするのが億劫なのだ。
 言い訳が嫌だというわけではない。自分の目指したいものに対して、自分よりも先に他の人に見られているようで、それが嫌なのだ。
 他人が見れば照れ笑いに見えるかも知れないが、相手が間違った思い込みをすることに、慌てて否定しなければいけない自分に自嘲しているのである。
 そう思っている俊一郎が形から入るわけがない。最初は、デッサンが趣味だということをまわりに知られないようにしていたくらいである。
 しかし、まわりに対して黙っておくことのできない性格でもある俊一郎は、最近では自分の趣味がデッサンであることくらいはまわりの人に話している。
「ほう、なかなか高尚な趣味だね」
「いやいや、遊びの延長ですよ」
 と、言いながらも、我ながらでもないと思っているのは、毎日に充実感を与えられたような気がしてきたからだ。
 デッサンを始めた頃に比べて、さすがに自分でも上達したと思っている。
 他人にも見せたこともあるが、
「これはなかなかなものじゃないか」
 と言われて、嬉しかったが、その気にはなれなかった。自分が相手の立場であれば、
――自分にできないことをできる人はすごい――
 という意思が基本的に備わっているからだろう。この言葉をお世辞と取ってしまえば、相手に悪い。ひょっとしたら見たくもないものを見せられて、感想を言わないといけない立場になれば、きっと迷惑に思うに違いないからだ。
 それでも、最近は少しずつ自分が変わってきたことを感じていた。一番大きく変わったのは、気持ちに余裕ができたことであろうか。絵を描いている時は一生懸命に描いているのだが、それ以外の時、充実感が長続きするようになったのを感じた。それは絵を描いた後の充実感だけではなく、普段の生活についても同じだ。特に仕事でも、業務時間が終わった後の充実感が、今までとは違っていたのだ。
――仕事が終わってから、何をしようか――
 などと考えたこともなかった。
 まっすぐ家に帰って、ハッキリ見ているわけではないテレビを付けて、ブラウン管から流れてくる映像を漠然と感じながら、寝る前までの時間を何事もなく過ごす。それが、趣味を持つ前のことであった。
 絵を描くようになってから、サブの趣味として、読書をするようになった。絵を描くのは自分から何かを作り上げるという能動的な趣味だが、読書のように作られたものを読むという受動的な趣味も持ち合わせている。
 絵を描くまでは、本を読むなど考えられなかった。短気なところがある俊一郎には、ゆっくり段階を踏むようにして読み込んでいく本は、苛立ちを感じさせるだけだったからだ。セリフだけを斜め読みして、まったく内容も分からずに、読み進んでしまって、
――なんだこの本は――
 と、自分のことを棚に上げて、勝手に、
――面白くない本――
 として烙印を押してしまっていた。
「それなら本など読まなければいいのに」
 と人に言われるであろうことを想像していたが、まさにその通りである。
 俊一郎にとって、気持ちの余裕などまったくなかった頃のことである。
 ただ、それでも本を読もうという意思だけはなぜかあった。イライラしてくるのが分かっているくせに、
――読んでいるうちに、何かが変わるかも知れない――
 という思いだった。
 もちろん、他力本願なので、変わったとしても、
――自分が変えた――
 という意識があるわけではないので、感動に値するところまではいかないのだろうが、気持ちに余裕を持つことができれば、描いている絵も、もっと上達するに違いないと思うのだった。
 その根拠は、
――違った視点から、物事を見ることができるかも知れない――
 と感じるからであって、見えている視点が今までと角度が違っていれば、それだけで、
――自分が変わった――
 と言えるのではないかと感じるのだった。
 ここ一年くらい前から、休みの日に通っている喫茶店では常連となっていた。その店が気に入ったのは、壁に数枚絵が飾られているが、そのうちの半分くらいは、油絵ではなく、いつも俊一郎が描いているデッサンであった。
「マスター、この絵は?」
「これは、以前ここの常連だった人がいて、その人が趣味で描いている絵だったんですよ」
 まるで、俊一郎は自分のことを言われているような気がしたくらいだった。
「ほう、そんな人がいるんですね」
 と、最初、まるで他人事のように聞いてみた。
「ええ、その人は女子大生だったんですが、そういえば、最近はほとんど来なくなりましたね。学校の方が忙しいのかも知れませんね」
「趣味で描いているということでしたが、専攻は違っているのかな?」
「そのようですよ。趣味と実益を兼ねている人もいるでしょうが、彼女自身、趣味は趣味で楽しみたいって言ってたのを覚えています」
「それは、マスターが最初に聞いたんですか?」
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次