俊一郎の人生
若菜は、俊一郎が入り込む前の夢の中で、何度も課長を殺そうとしたのではないだろうか。試みては見たものの、いくら夢の中でも殺すことはできなかった。若菜は、
――考え方の違いがあるんじゃないかしら?
と思ったのかも知れない。
俊一郎は、
――死んでほしい――
と思っただけで、殺そうとまでは思っていなかった。そちらの方が気持ちが深くないと思われがちだが、殺したいと思うほど強い思いであれば、却って願いを叶えることは難しいのかも知れない。
俊一郎にとって、若菜の夢に入り込んだ理由が何か分からなかったとしても、これだけのことが分かっただけで十分であった。これ以上知ることは、ひょっとするといけないことなのかも知れない。そう思うと、そのうちにこの夢から覚めていくのではないかと感じるのだった。
だが、不思議なことに、夢から一向に覚める気配がなかった。なぜなのだろう?
若菜は、以前として俊一郎を殺すという妄想を抱き続けている。俊一郎は殺されないように、夢の中の若菜に出会わないようにしないといけない。
幸い、若菜が俊一郎を殺そうというオーラが発せられてから、俊一郎と若菜が出会っていない。最初に若菜の夢であることに気付かなかったのも、そのせいだったのであろう。
夢の中にしては珍しく、何事もなく空気が流れるだけの時間が過ぎていく。夢の中で時間が過ぎている感覚を味わうというのも、なかったことのように思えた。夢は時系列などあってないようなものだと思っていた。感じたこと、思ったことをいきなり情景として思い浮かべるのが夢だからである。
俊一郎がここまで分かっていることを知ってか知らずか、夢の中の若菜は、夢の中の俊一郎を見つけた。
手には、ナイフを持っている。今までの若菜から想像もつかない悪魔のような形相は、逆に断末魔の表情にも見えた。今にも心臓が破裂しそうな胸の鼓動が聞こえて来て、肩で息をしているのがよく分かる。
夢の中の俊一郎はそんな若菜に直視し、逃げることができなくなっていた。足は竦んでしまい。前にも後ろにも行けない心境は、一歩でも動けば断崖絶壁を想像した時とよく似ている。
「あっ」
今まで第三者として夢の中を見ていたつもりの俊一郎の目が、急にそこから離れ、あろうことか、夢の中の俊一郎の視線に変わっていた。
目の前には断末魔の若菜の表情。その時には不思議な感覚はなかった。
すると、今度は急に恐怖がスーッと身体から抜けてくるのを感じた。脱力感を感じると、怖くて凝視できなかった若菜を凝視できるようになっていた。
――死ぬのはお前だ――
と、視線を若菜に送った。
別に力づくでナイフを奪い、立場を逆転されたわけではない。その時、自分は間違いなく助かるという意識があり、若菜を凝視するだけでよかったのだ。
だが、その時に、本当は気付くべきだったのかも知れない。このことが、この後の展開で、自分がどうなってしまうかということをである。その時々を必死に感じるというのは、夢ならではの感覚なのかも知れなかった……。
◇
若菜の夢に入り込んだ一つの原因としては。課長が交通事故に遭う夢を見ていたはずなのに、いつの間にか死んでいるのが自分だったという結末を見た時であった。
怖い夢ではあったが、今までにも怖い夢は何度も見たことがあった。しかし、考えてみれば、今までどんなに怖い夢を見たとしても、自分が死んでしまうところを見たという経験があっただろうか?
それを思うと、突然、夢の中から魂が抜けだしてしまったような感覚になる。
人は死ぬ時、肉体と魂が分離するという。全面的に信じているわけではないが、他に説明のしようがない以上、これ以上の説得力というものはない。やはり死んでしまうということは、突然魂が吹っ飛んでしまうことと似ているのかも知れない。
死んでしまった後のことを考えたことはない。死ぬということを考えること自体、
――してはいけないこと――
というイメージを抱いていた。もし、死んでしまった後のことを考えてしまうと、本当に死を引き寄せるのではないかと思うからだ。死というものが理論的に解明されていない以上、説得力はないが、信じないというわけではない。理屈が少しでも通ることなら、発想として受け止めるに十分な説得力を持っているかも知れないからだ。
それは若菜の夢の中で起こるであろうことの前兆、あるいは、虫の知らせだったのかも知れない。
――若菜に殺される――
ということを暗示しているとすれば、きっと、若菜に夢の中の自分が殺された瞬間に、夢から覚めるだろう。
だが、人の夢から覚めたという経験は、当たり前のことだが、今までにはない。本当に若菜の夢から分離できるのかが疑問だった、
何よりも、そのまま夢から覚めるのであればいいが、元の自分の夢の中に戻らないと、目が覚めないというようなことにでもなれば、自分がどうなってしまうのか、怖くて仕方がない。
「夢の中を行ったり来たりできるとすれば、楽しいだろうね」
と、人の夢との共有について、子供の頃にあどけない発想を友達と話したことがあった。さすがに子供でも、
――そんなことができるはずはない――
と思っていたからこそ、
「俺にはこんな発想もできるんだぞ」
と言わんばかりに胸を張って、話を競ったものだった。
それがまさか今になってそのことを実感させられるなど、思ってもみなかった。
しかも、子供の無邪気な発想ではない。妄想だけで済むのか自分でも分からない世界に入り込んだのだ。
若菜の夢は、最初分からなかったが、自分の夢と似ていた。現実世界とは明らかに違っているので、夢の世界は、人それぞれに世界を持っているわけではなく、同じイメージの世界を作り上げているようだ。
それは、その人にとっての現実世界との背中合わせの世界なのかも知れない。だから、違う世界であっても、同じような光景しかないのだ。登場人物は同じであっても、夢の主人公が違えば、まったく違う人なのだ。
――ということは、この夢の中にも、自分は存在しているのだろうか?
それは若菜が意識していない限り、いないに違いない。しかし、俊一郎は、若菜の夢の世界でも、自分がいることに予感めいたものがあるのだ。
夢はまるで、本のページのような気もしてきた。
一枚一枚は厚みがないのに、重ねれば厚みが出てくる。夢も人それぞれにページの厚みしかない薄さなのに、重ねることで、平面が立体になっているのであろう。
若菜と俊一郎の夢は、ちょうど隣り合わせだったのだろうか? いや、それであれば、あまりにも偶然すぎる。隣り合わせだったとしても、そこに何らかの意図が含まれていれば、偶然は必然に変わってしまうであろう。
俊一郎は、ふと今自分の身体がどうなっているのかということに気が付いた。それは、展開されている夢をどこで見ているかということからの発想だった。もし、見ている夢は眠っている本人の頭の中で繰り広げられているのだとすれば、若菜の夢の中に入り込んでいる自分の元の頭の中に、自分はいないことになる。
――まわりから見れば普通に眠っているように見えるのだろうか?