俊一郎の人生
ただ、目の前で繰り広げられていることが想像した通りであれば、信じられないことだが、理屈は通る。元々この夢だって、普通の夢を十分に逸脱しているようではないか。そう思うと、人が離れていくのを、固唾を飲んで見守る俊一郎だった。
そこに横たわっているのは、自分ではない。だが、見覚えのある顔だった。
――意識が交錯しているようだ――
その人の顔は、まさしく課長ではないか。
すると、大人の雰囲気を持ったその女性は、若菜だということになるが、果たして、少し離れたところで立ちすくんでいるのは、紛れもなく若菜だったのだ。
震えから一歩も前に踏み出すことができないようだった。だが、彼女が何にそんなに震えているのか、彼女のことを知っているつもりの俊一郎には分からなかった。
まるでどんでん返しのようだ。
歌舞伎などで、急に部隊が百八十度回転し、まったく違った様相を示しているようであるが、この夢の中では、舞台は同じで、人間が入れ替わっている。それもどんでん返しの一つとして捉えていいものなのだろうか。
夢の世界は、俊一郎の考えた通りに展開していく。しかし、夢というものはそんなに簡単に自分の考えた通りに展開していくものであろうか。ここでまた一つ、俊一郎に疑念が浮かんだ。
――これは本当に自分が見ている夢なのだろうか?
誰か他の人が見ている夢の中に、自分が入り込んでしまったような感覚である。まるで「夢の共有」とでもいうべきであろう。
若菜の震えが怯えだと思いながら、再度、倒れている人を見た。
――あれ?
今度は、そこに倒れている男の顔は、俊一郎の顔だった。それも大学時代の俊一郎ではなく、今の自分だ。鏡に映せば同じ顔を見ることができるであろう顔が、断末魔の苦痛を顔に浮かべて、虚空を見つめている。
再度、若菜の顔を見た。
今度の若菜は、震えていない。怯えなどどこにも感じない。俊一郎はその時、また突飛な発想が浮かんでいた。
――この夢の本質は、若菜の表情にあるのではないだろうか?
死んだ人が中心になっているかのように見えるこの夢の本質は、横たわっている男ではなく、若菜の表情なのだと思うと、さっき考えた「夢の共有」を説明することができる。
この夢を本当に見ているのは若菜であって、同じ夢を俊一郎は共有している。だが、俊一郎が見ている夢は、本当に若菜が見えている光景と同じなのかが疑問であった。
若菜の方に、その意識があるのかどうか、微妙な感じがする。もし若菜に意図があるとすれば、俊一郎を引き寄せる主旨がどこにあるというのか、考えないわけにはいかないだろう。
――若菜は夢の中で、二人の男性を比較しているんだ。課長に対しては、殺してしまったことに対して後悔の念で震えているが、俺に対しては――
そこまで考えると、それ以上考えるのが怖くなった。
若菜は、俊一郎を殺そうと思っているのだ。それは、課長を殺してしまったのが俊一郎だと思っているからなのか。逆に、俊一郎に、自分たちのことがバレてしまって、邪魔になって殺そうとしているのだろうか?
――邪魔になって?
邪魔という発想は、俊一郎と課長の間にも存在したものだ。この三人の間に存在する共通のキーワードは、「邪魔」という言葉であった。
夢の中ではあるが、こんな形で三人が繋がるなど、俊一郎には皮肉にしか思えなかった。
俊一郎は、迷っていた。自分の夢ではないという考えが浮かぶまでは、主人公である自分を第三者として見つめることが夢を見ていることだと思い、夢には介入できるものではないという意識だった。
夢が若菜のものだと思うようになると、確かに夢を見ている自分が介入できるはずはないのだが、誰を中心に見ればいいのかを考えるからだ。
――待てよ?
これが若菜の夢だということであれば、夢を見ている若菜もどこかにいて、夢の中の若菜を第三者の目で見ているのかも知れない。そう思うと、俊一郎は、夢の中だけではなく、夢のまわりにいるであろう若菜を探してみようと思ったのだ。
夢を見ている若菜は、そんなことを考えている俊一郎が、夢の外にいるなど想像もしていないかも知れない。自分の夢に誰かが入り込んでいるなど、俊一郎だって考えたこともない。
――人の夢に入り込む方が分かりやすいものなのかも知れないな――
と考えるようになっていた。
夢というのが潜在意識の見せるものであるとするならば、主人公はあくまで自分でなければいけないはず、しかし、この夢のように自分の知らないことが夢の中で繰り広げられると、さすがに不思議に思うだろう。
まずは恐ろしさを感じ、怖い夢だという意識を持つ。夢だと思って見ていると、
――どうせ夢なのだから――
という意識が夢を見ている自分のどこかにあるはずだ。それなのに怖い夢を見たという感覚になるのは、きっと自分の想像もしていないことを夢に見るからではないかと思っていた。
確かに夢から覚めた時に、怖い夢というのは比較的覚えていることが多いが、それがすべてではないはずだ。それなのに、怖い夢に限っては、それをすべてだと錯覚してしまうことが多い。それは、恐怖という意識が先に立っていることと、恐怖というセンセーショナルなイメージが、夢を忘れられないものにしてしまったと錯覚させるのだった。
夢に限らず、怖いものという感覚は、人それぞれに違い、同じ人でも、その時々で、怖いものの正体が違っているものだ。
夢の中の怖い部分は、本当は、誰かの夢に入り込んでしまったという意識を感じるからなのかも知れない。目が覚める時には、そのことを忘れてしまうので、恐怖からは切り離されるが、恐怖という感覚だけは残ったまま目を覚ますのだ。
ただ、人の夢に入っているということに恐怖を感じるだけで、本当に怖い夢だったかどうかは分からない。だから、怖い夢を見たと思い目が覚めた時に覚えている感覚は、一番最初に怖い夢を見たものと同じだったりする。
俊一郎にとっての怖い夢の記憶は、
――もう一人の自分――
であった。
それは夢を見ている自分ではない。夢を見ている自分はあくまでも第三者であり、夢の中の登場人物ではない。
夢の中の主人公以外に、もう一人、自分が登場するのだ。
それまで主人公の目線から見ることのなかった夢が、もう一人の自分の出現によって、主人公の目線で夢が展開される。
もう一人の自分が鏡以外で存在しているという事実は恐怖以外の何ものでもないが、それよりも、
――主人公である自分の視線で夢を見ている――
ということが、本当は一番の恐怖なのかも知れない。それを思うと、目が覚めて覚えている夢というのは、主人公である自分が見た部分だけに限られるのではないだろうか?
俊一郎は、若菜の夢の中で普段なら考えられないような発想を思い浮かべる。
――本当にこれは夢なんだろうか?
という疑念が浮かんできた。
夢の中でここまでいろいろな発想ができるなど、考えられなかったからだ。そういえば、夢にしては鮮明な気がする。
――ひょっとして、怖い夢だと思っているのは、いつもこういう感覚の時なのかも知れない――