俊一郎の人生
を想像しているからなのかも知れない。
――一体どこまで付きまとうんだ――
堂々巡りに関しては、普段から意識している。堂々巡りは不安とは背中合わせの切っても切り離せないものではないかと思うようになっていた。
――まるで、長所と短所のようだ――
長所と短所も背中合わせだと思っている。しかも、紙一重の背中合わせである。堂々巡りと不安は、また違っている。不安の中に堂々巡りが含まれるからだ。
そこまで考えてみると、
――長所と短所も同じではないか?
と思うようになった。
長所の中に短所が含まれているのか、短所の中に長所が含まれているのか、どちらもありのような気がする。
一つの大きな箱を開けると、そこには長所と書いてある箱があり、さらにその箱を開けると、今度は短所と書いてある箱が出てくる。またその箱を開けると、今度は長所と書いてある箱が見つかって……、そんなイメージが、俊一郎の頭の中に浮かんでいた。
俊一郎は、自分の長所と短所を考える時、鏡を思い浮かべた。鏡に映った自分に語り掛けるようにすると、鏡の中の自分は声には出さないが、答えを与えてくれるような気がしたからだ。
それは、鏡の中の自分は、違う自分だと思っているからだ。同じ自分ではあるが、違う世界の自分。そして、それは一人ではない。その時の心境によって、違う自分が鏡に映し出される。まるで鏡は、
――自分の心を映しているものであり、映し出された自分は、別の世界にいる、その時の心と同じ考えの自分なんだ――
と感じていた。
鏡の中の自分も、同じことを考えているに違いない。鏡の中の向こうには、どんな世界が広がっているというのだろう?
鏡の中の世界は、何も同じ時代である必要はないと思うようになっていた。過去に同じような経験をしたことで、鏡を見た時だけ、過去の自分が現れる。
だが、そのことに気付くのは、タブーである。
過去においては、かなり制約されたものを感じ、未来に関しては見ることは許されない。時間というものを感じると、そこにあるのは、
――現代の自分が関わってはいけないこと――
ということになる。
思い出として思い出す分にはいいのだが、疑問を抱いたりすることはない。普通であれば、過去に対して疑問など抱く必要はない。
――過去を変えることはできない――
という発想は絶対のものであって、過去を変えてしまうと、どこに影響がおよび、自分や自分のまわりにいる人が存在できない未来を作ってしまうかも知れないからだ。
俊一郎は、前にもこんなことを考えたような気がした。記憶が曖昧になったり、忘れっぽくなったのは、そんなことを考え始めたからだった。
――普通の人はこんなこと考えないよな――
SF作家であれば、いつもそんなことばかり考えているのかも知れないが、SF小説を読んだこともあったが、あの時の感想として、
――ここまで考えたのなら、もっと深く考えることができないものなのだろうか?
と、中途半端な気分になったのを覚えている。その時は、
――これ以上の考えはしてはいけないんだ――
と思った。
そう思うと、SF小説を読むことに興味がなくなり、それ以来読んでいない。
夢に限界があるように、人間の発想にも限界があるということなのだと思う。夢をそのまま表現することができれば、その人は十分に小説家になれるのではないだろうか。
目が覚める時に夢を忘れて行くというのも同じような発想ではないだろうか。夢には時系列も現在、過去、未来の感覚はあっても、現在と過去が入り組んでいたり、未来だと思っていたことが、実は過去だったりするものだ。
夢には限界があるのかも知れないが、限界を作っているのは、潜在意識である。そういう意味では潜在意識の介入しない夢などありえないというもので、夢を忘れてしまっているわけではなく、元々意識としてあったものがただ映像になっただけなのだ。起きている時には、それを見ることができない、だから、忘れてしまったような気になるだけではないだろうか。
俊一郎は、夢の中でも妄想でもいいから、過去に戻ってみたいという思いに駆られるようになっていた。
ただ、どの時点に戻っていいのか分からない。それが夢なのか妄想なのかで、かなり違うのではないかと思うのだった。
俊一郎は、人の死について、気になっていた。
特に最近、殺したいと思った課長が死んだ。まさか自分の思いが課長を死に至らしめたわけではないのだろうが、気になって仕方がない。
しかも、課長にストーカー行為を受けていたという若菜が目の前に現れた。状況としてはまったくの偶然だったのだが、本当に偶然で片づけられるのかどうか、気になるところだった。
若菜は、死んでもいいという心境になっていた。身体は冷え切っていて、その時の心境を物語っているようで、痛々しさが身に沁みた。
俊一郎は、若菜の話を聞いているうちに、若菜が課長を気にしているのを感じた。ストーカーをしている相手が気になるというのは、普通では考えられない。恋心ではないのだろうが、限りなく恋心に近いものを感じたのだ。
そして、若菜は、何か後悔と不安を抱えているように思えた。
それは、自分が課長を死に至らしめたのではないかという思いが強いということだった。それを感じると、俊一郎は、
――若菜さんが同じことを考えたのだから、課長は俺たち二人以外からも、殺してやりたいという思いを抱かれていたのかも知れない――
と思うようになっていた。
それが、今までに俊一郎のまわりに起こった現実と、それに伴った考えだった。
俊一郎が、自分の中で、
――消し去ってしまいたい過去――
というものをいくつも持っていることに気が付いた。
過去を振り返ったことは今までに何度もあったが、消し去ってしまいたいと思っている過去に目を瞑ってきたのではないかと思う。過去の記憶の中にはすべてが入っているとしても、過去の記憶として引っ張り出す時は、都合の悪いことは封印してしまっているのだろう。そして、都合の悪いことを思い出すのは夢の中だけである。それが戒めだとは言わない。戒めなら、夢から覚める時に、覚えていないということはないからだろう。やはり、潜在意識というのは、都合の悪いことには蓋をするようになっているものに違いない。
俊一郎は、もし戻るとすれば、自分がストーカーをしていた時に戻って、やり直したいと思うようになった。
あの時から自分は変わった。風俗にいそうな女の子を思い浮かべて、友達に連れられて風俗に赴くと、そこで、
――前にも感じたことがあるような――
というデジャブを初めて感じたような気がした。
学生時代のことを思い出すと、今までは、ついこの間のことだったように思えたのに、今過去に遡りたいと思ってから、急にかなり昔のことのように思えてきた。それは、一週間という期間を考える時、一日単位での考えを正反対であるかのごとく、過去を見ようと改めて思ったことで、遠い過去として感じるように、自分の中の何かが心境を操作しているのではないだろうか。そう思うと、俊一郎は、
――考えるのは夢の中ではなく、妄想になるのだ――
と感じた。