俊一郎の人生
曜日が同じだと、一週間を一つのサイクルだとして、感覚的にはそれほど期間が経っていないように感じる。中途半端だと思ったのは、そのためである。
今日は、仕事が終わって、そのまますぐに帰ってきたので、それほど待たせたとは思えないが、もし、本屋にでも立ち寄っていれば、もっと遅くなったことだろう。この寒い中、彼女はずっと待っているつもりだったのだろうか?
「ずっと待っていたのかい?」
「そんなに待っていませんでしたよ」
「もし、俺が遅くなっていたら、どうしていたんだい?」
「しばらく待って帰ってこなかったら、来週の今日、もう一度来るつもりでした」
と、若菜は答えた。
若菜を部屋に招き入れると、急に自分の部屋に寒気を感じた。
いや、寒気というよりも、ゾッとするような気配で、それが若菜から発せられていることに、すぐ気付いた。とりあえず、コーヒーを淹れて一緒に飲もうと思ったが、それまで若菜は一言もしゃべろうとしなかった。
「一体、どうしたんですか?」
「私、今自分がよく分からないんです。この間、もう死んでもいいと思っていたのかと思うと、今度は、自分以外の人に死んでほしいと思うようになっているのに気付いたんです。前にストーカーをしていた人がいたって言ったでしょう? 私は、その人に死んでほしいと思っていたら、事故で死んだっていうじゃないですか。最初は私がそんな風に思ったから、あの人は死んだのかって思っていたんですけど、でも、考えたら、その人のことだから、私以外にも恨んでいる人がたくさんいたんじゃないかって思うんです。だから、私以外の誰かが彼のことを殺したんじゃないかって思うようになって……」
俊一郎は、ゾッとした。確かに彼女の言う通りだ。自分の恨みなど、彼女がストーカーを受けていたことに比べれば小さなことである。それに、自分だけが課長を恨んでいたわけではないということは前から分かっていたが、まさかストーカー行為をしていたなどと思いもしなかった。
――でも、俺も昔はしていたんだよな――
相手がそこまで恨みに思っていなかっただけなのか、しかし、彼女の話を聞いていると、俊一郎も、他の人にどんな恨みを買っているのか、分かったものではない。ゾッとしたのは、そのせいだった。
若菜の話に対して、俊一郎は何も答えることができなかった。その日の若菜は、そのまますぐに帰ったのだが、なぜ一週間後に現れたのか、俊一郎は分からなかったが、一週間という単位は俊一郎にも気になる期間であった。
一日があっという間に過ぎる時というのは、一週間を思い出すと、結構長かったりする。逆に一日が結構長い日が続いた時というのは、一週間はあっという間である。
あっという間に過ぎた一週間でも、一週間前を思い出そうとするか、かなり前だったと思うのに、結構長かった一週間というのは、一週間前を思い出すと、今度はまるで昨日のことだったような気がする。それは、まるで、
――点と線の世界――
のようだ。
一週間というのが線であり、一週間前というのが点である。
しかも、そこに時間という概念が絡み合っていることで、見えていると思っている感覚が歪になっているのかも知れない。
この間思うに至った、人生のタイミングを感じた時に、自分の歩いてきている道を若菜は歩いているわけではないと思った感覚。それは自分にも言えるのかも知れない。
過去を振り返った時、本当にいつも同じ見日が見えているのかを疑問に感じることがあった。それを思い出していたのだが、それがその時の精神状態の違いによるものなのか、それ以外にも何か特別な感覚があるのか、俊一郎には分からなかった。だが、一週間という単位を、俊一郎だけでなく、若菜も感じている。
――ということは、若菜以外にも同じような感覚を一週間に抱いている人もいるはずだ ――
と思うようになった。
若菜と出会ったことで、今までに感じたことのないいろいろなことを感じるようになった。
それは、若菜と出会わなくても、いつかは感じることになるはずのもののような気もするが、若菜と出会ったタイミングが、ちょうど、俊一郎にいろいろなことを考えさせるタイミングであったのかも知れない。
――それは若菜にも言えることなのかも知れない――
若菜も一人でいろいろ考えるところがあると言っていたが、なかなか結論に至る考えが浮かぶことはないと言っていた。
それは俊一郎も同じだったが、若菜と出会うことで考えが繋がるようになった。
――人と考えが共鳴することがあるという話を聞いたことがあったが、こういうことを言うのかも知れない――
と俊一郎は思った。
人との出会いが自分にもたらすものは、一足す一は二にとどまることがなく、三にも四にもなるということを示しているのではないだろうか。
――若菜さんが媒体となって、いろいろ見えなかったことが見えてきた。ただ、それが俺にとっていいことなのか悪いことなのか、よく分からないな――
集団の中にいたくないという性格は俊一郎も若菜も同じだが、二人という世界にお互い分からなかったことを見つけ出すカギを見つけたのだった。
その日の夜、俊一郎は、
――若菜さんとは本当は初対面ではなかったんじゃないか?
と思うようになった。
ストーカーを繰り返していたというのが課長ということもあって、過去のどこかで俊一郎と若菜は接点があったのではないかと思ったのだ。それは、思い出したくない過去だったからなのかも知れないが、気になるのは、最近自分が忘れっぽくなってしまったことであった。
覚えていようと思うことを覚えられない。
「メモに書いておけばいいじゃないか」
という人もいるだろう。
しかし、メモに書いたとしても、書いたメモを見て、その時どんな心境でメモにしたのかを思い出せない。ひどい時にはどこに書いたかすら覚えていない。
メモに残すということは、それだけその時に感銘を受けたことであり、忘れたくないと思っていることである。その時は理解しているつもりで、
――後からメモを見れば、その時の心境も思い出すはずだ――
と思っていた。
確かにメモに残し始めた最初の頃は、メモを見るとその時の心境を思い出すことができるのだが、今では、その時の心境を思い出すことができないので、メモを見ても、何を考えて書いたのかというところまで行きつかない。ただの落書きと化してしまっているのだった。
それがいつ頃だったのだろうか?
デッサンを趣味にし始めた頃だったという意識を持つようになったが、それは、
――一つのことを手に入れると、何か一つ失うことになる――
という考えに基づいている。
その考えに根拠があるわけではない。だが、今までに何かを手に入れた時、何か失ったような気持ちになることがあった。
彼女ができた時でもそうだった。
嬉しくて有頂天になっていたが、手放しで喜べない自分がどこかにいたのだ。
――好事魔多し――
ということわざを思い出したが、それが不安から来るものであることは分かっていても、不安がどこから来るものなのか分からない。一つのことに行きつくと、さらにその先を見ないといけないのは、
――永遠に結論など見えない堂々巡り――