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俊一郎の人生

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「寂しさというのは、ストーカーをされていた行為ではなく、ストーカーをしていた人が気になっているということになかなか気付きませんでした。最初は、自分が人から見られていないと寂しさを感じるような、Mのような性格ではないかと思ったくらいだったんですが、どうやら、そうではなかったようです」
 若菜にMの性癖があるかないのかは別にして、相手の男性を気にするというのは、若菜の中で、少しでも寂しさが浮かんでくると、我慢できなくなるところがあるのではないかと思えた。
――死んでもいい――
 と感じたのは、その気持ちの表れではないかとも思えた。
「ウサギは、寂しいと死んでしまう」
 という話を聞いたことがあったが、まさしくウサギの気持ちを若菜が持っているのかも知れないと思うと、
――寂しさの定義って何なのだろう?
 と思うようになっていた。
 俊一郎にとっての寂しさとは、
「お前は寂しいとどんな時に思う?」
 と、以前友達に聞かれた時に、
「心の中に風が通り抜けるのを感じた時」
 このようなキザな言葉を吐いたことがあった。
 だが、
――心の中に果たして風なんか吹くんだろうか?
 と感じたのも事実。寂しさなんて、漠然としてしか感じることはないのだ。
――あの時、素直に、寂しさは漠然としてしか感じたことはないと答えた方がよかったかな――
 と感じたが、それも一つの後悔だった。
 今までに何度も後悔を繰り返しているが、この程度の後悔なら、限りなくしていると思う。その中の一つだが、後から思い出す後悔というのも、珍しいことだった。
――後悔など思い出したくない――
 と、なるべく思うようにしていたからだ。
――そういう意味では後悔ではないのかも知れない――
 後悔というのは、思い出して終わることが多いが、
――思い出したことで、何かが分かるのではないか――
 という思いもあった。何が変わるかは分からないが、少なくとも若菜に出会ったことで何かが変わる気がした。もう少し若菜の気持ちを聞いてみる必要があると、俊一郎は感じていた。
 趣味であるデッサンも、
――ひょっとしたら、寂しいからしているのかも知れない――
 と思った。
 今は彼女もいないが、以前は彼女がいないと寂しくてたまらなかった。だが、最近ではたまにであるが、
――趣味をするのに、他に気が散る要素があると嫌だ――
 と思うようになった。
 もちろん、それが嵩じたのが、課長への
――殺してやりたい――
 という思いなのだが、課長に対しての思いのような、自分がマイナスになるような思いとは別に、彼女がほしいと思っているプラスの思いにまで、
――趣味をするのに、邪魔になる――
 とまで思うことがあった。
 そのことを、人に話すこともあった。
 たまに飲み会に顔を出して、彼女のいないことを人から指摘されると、
「俺には趣味があるからな。彼女なんかいらないさ」
 と口走るが、誰も本気にしてはいない。
 痩せ我慢としか思っていないに違いないが、本人は至って本気だった。
 だがら、課長を殺したいという気持ちを持っていたことを他の人が感じたとしても、
「まさか、本当に殺すようなことはしないだろうし、あいつだったら、趣味を邪魔された相手が彼女なら、別れるとでも言いかねないやつなので、どこまでが本気なのか、分かったものではない」
 と、いうことで話が終わってしまうだろう。
 寂しさというのは、気持ちの上でのことから始まっているので、環境によっても大きく変わってくる。
 それは自然というものが大きな影響を与えることもあるだろう。
 特に季節などはそうである。
「秋は寂しい季節」
 とよく言われるが、誰が決めたのだろう?
 確かに葉っぱや草が枯れて行き、どんどん少なってくるのは寂しいかも知れない。
 しかし、本当なら完全に散ってしまった冬の方が、ぐっと寂しいのではないかと思うのは俊一郎だけだろうか。
 いや、真剣に考えるから、冬の方が寂しいと思うのかも知れない。秋のように、徐々に散っていく姿は、漠然として見ているから、
「昨日まであったものが、今日はなくなっている」
 という、どんどん減ってくるのが寂しさを誘うのだ。
 それは、不治の病に掛かっている人が、自分の余命を知ってしまうのと似ているのかも知れない。
「あなたは余命三か月です」
 などと宣告されたらどうだろう?
 ドラマなどでは、余命を悔いなく過ごすようにどのようにすればいいのかをまわりの人も一緒になって考えて、悔いのない人生を送ることが最後のほろ苦いハッピーエンドに結びついてくる。
 そのことを俊一郎は、考えたこともあった。
――自分なら、どうなのだろう?
 と考える。
 だが、考えて結論が生まれるわけがない。だから、俊一郎は、この手の映画やドラマを見ようとはしない。自分に関係ないと思っているわけではないが、必要以上に考えて、せっかくの人生を悩みながら過ごすのが嫌だからだ。
 そして何よりも、
――救いようのない苦しみに入り込みたくない――
 という思いを感じる。
 それは、
――永遠に解けない謎であり、どこまで行ってもゼロになることのない悩み――
 となる。
――堂々巡りを繰り返すのは嫌だ――
 と、考えるようになり、堂々巡りが自分の人生でどうしても避けて通ることのできない問題であることを再認識させられる。俊一郎は、決して抜けることのできない堂々巡りは、自分にとってのトラウマとして、一生消えない傷となって残ることが分かっているのだった。
 若菜の話を聞いていると、どうやらストーカーをしていたのは、課長のようだった。
――こんな偶然ってあるんだろうか? それとも、偶然などではなく、俺自身が若菜を引き寄せた?
 もし、偶然だとすれば、若菜へのストーカーをしていたのが課長だったということと、昨日若菜に出会ったことと、どちらが偶然性が高いというのだろう?
「ストーカーをしていたその人が、この間亡くなったって聞いたんです」
というところから、
――もしかして――
 ということで話を勧めていくと、課長の雰囲気と、ストーカーの雰囲気が酷似していること、ストーカーと若菜の家が近いことで決定的になったのだ。
 若菜にストーカーを知っていることを話そうかどうしようか迷ったが、結局話をしないことにした。本当は最初に話をしておかないと、後になればなるほど話がしにくくなるのだろうと考えたが、知っているということを何も話す必要はいと思ったのだ。
 俊一郎は、その時はまだ、若菜と親密な仲になるということを、実感していなかったのだ。
 ただ、それは自分が若菜を引き寄せたと考えたからだった。もし、若菜が俊一郎を引き寄せたのであれば、話は変わってくる。もし、そうであるとすれば、俊一郎は若菜に対して感じた第一印象から、かなり印象を変えなければならないだろう。もちろん、まだ知り合ったばかりなので、必要以上の感情を持つこともないし、余計なことを考えることもなかったのだ。
「私は、ストーカーに出会う少し前まで、一人の男性とお付き合いをしていたんですが、その人と別れてからすぐにストーカーに狙われるようになったんです」
 若菜が寂しそうな顔をした。
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次