俊一郎の人生
彼女は、立ち上がり、俊一郎に抱き付いてくる。
――ここからがプレイの始まりなのか?
心地よい雰囲気が身体全体で感じられた。
キスをしてくれると、身体がとろけそうである。しばしキスを味わうと、またしても、初めてではない感覚に襲われた。そう感じると同時に、彼女は身体を離したのだ。
俊一郎をベッドに連れていき、腰かけさせた。そのまま俊一郎の服を脱がせに掛かったが、ここまで来ると、身を任せるしかない。
そこから先は、時間があっという間だったのかも知れない。
――こんなものなのか?
童貞喪失という「記念」に感じた思いだった。
ただ、彼女への思いは、まぎれもなく、自分の最初の「オンナ」であるという思いだった。
風俗の女性に恋をしたというわけではないが、この感覚も、以前に感じたような気がした。ただ、それは、失恋という思いと紙一重のような気がした。
――恋愛経験もないのに、失恋もないものだ――
まさしくその通りだ。
恋愛をしたことなどそれまでにはなかった。好きになった人はいるが、告白したこともなく、片想いだけだった。
だが、この日をきっかけに、俊一郎の中で何かが変わった。彼女ができたのも、そのすぐ後で、ずっとそれを初恋だと思っていた。
できた彼女と一緒にいる時、
――前にも同じような感覚に陥ったことがあったな――
と感じていた。それは風俗の女の子に感じたものと同じなのかまでは分からなかったが、懐かしさという意味では同じだった。俊一郎にとって男と女の関係は、元から記憶の中にあるものを引っ張り出すためのものではないかと思うほど、記憶の中に封印している意識が気になって仕方がなかったのだ。
それが俊一郎の大学時代だった。
社会人になると、少しニュアンスが違っていた。
まずは仕事が中心で、それまでは恋愛をしてはいけないとまで思っていたほどで、懐かしさを感じたり、
――前にも同じような感覚に……
などということもなかった。
時々一人になると寂しさを感じたが、恋愛の最初に感じる前にも感じた思いというのは、その寂しさに対しての反動なのかも知れないと思った。
反動が最初にやってくるというのは、おかしな感覚であるが、無理もないことかも知れないと最近は思う。何か予感めいたもののかわりに、感じるのだとすれば、これも虫の知らせに近いものだ。
それに、この感覚は自分だけではないと思う。なぜなら、風俗の彼女が言っていたではないか。
「お客さんだけではなく、他のお客さんも同じことを思うのよ」
その話を思い出すと、デジャブという言葉が就職してから気になるようになった理由も分かる。学生時代には知らなかった言葉だ。
――なぜ知らなかったのだろう?
まるで自分にはこの話題がタブーだったのではないかと思うほどだ、デジャブなどというのは、誰にでも感じることで、その気持ちになれば、まわりからも話題として上りそうな気がしたからだった……。
◇
若菜が好きな人が辞めたことで、自分も会社を辞めたというのは分かったが、なぜ、こんなことになったのかということにはまだ繋がっていなかった。
「若菜さんは、デジャブというのをご存じですか?」
「えっ」
少し驚いた雰囲気だった。初めて会った人から、いきなりこんな話をされるとビックリするのは無理もないことだろうからである。俊一郎は、何を話していいか分からない中で、さっき思った学生時代の思いをそのまま話題にしただけのことだったのだ。
「すみません。何を話題にしていいか分からなかったものだからですね」
というと、少し若菜は苦笑したが、
「実は私も、今、デジャブを感じていたんですよ。初めて来たはずのこのお部屋なのに、以前にも来たことがあるような気がしていたんですよ」
「そうなんですね」
俊一郎は、さほど驚いた雰囲気はなかった。今までにも自分がデジャブのことを考えていると、まわりの人も実は同じように考えていたなどということは珍しくなかったからである。
「驚かないんですか?」
「ええ、今までにも同じようにまわりの人が考えていたってこと、結構ありましたからね」
「そうですか」
今度は、若菜が少し寂しそうな気がした。
「若菜さんにはそんな経験ありませんか?」
「ありますけど、本当に同じ思いであってほしいと思った人には絶対に同じことを考えていたってことはなかったんですよ。不思議なものですね」
「それは、結局はお互いが合っていないということの証明のようなものだったんですかね?」
「いえ、そんなことはなかったと思います。私はただの偶然だと思ってましたけど、偶然ではないにしても、合わなかったことと直接関係があるとは、私にはどうしても思えないんですよ」
「私も、学生時代によくデジャブを感じたものです」
というと、若菜は、
「私は学生時代というと、思い出したくない過去もありましたね。思い出したくないというよりも人に言えないと言った方がいいかも知れません」
人には一つや二つ、人に言えない過去があるものである。俊一郎も風俗に通っていたことも人に言えない過去の一つだった。
最初に連れて行ってもらってから、アルバイトでお金ができると、そのお金を風俗に使うことを覚えてしまった。
風俗に通っていた本当の理由は、そこに本物の自分を見つけることができると感じたからである。
――普段の自分が人と接する時は、本当の自分じゃないんだ――
と思っていた。
どこか自分を良く見せようという思いだったり、嫌われたくないという思いがあった。風俗嬢が相手でも同じであり、むしろ、その思いは強かった。
しかし、普段の自分は、もしまわりから相手にされなかったり、嫌われたりしても、
――しょうがない。そんな相手なんだ――
とすぐに諦めていたが、風俗嬢相手に嫌われたり相手にされなかったりすることを考えるのは、我慢のできないことだった。
――本当の自分は風俗嬢の前でしか見せることがない――
と思っているからだと、学生時代から思っていた。
それは、同じ良く見せようという思いでも、どれだけ相手が真剣に聞いてくれるかというのを見定めるからだ。
――相手が商売だ――
などと思うから、風俗嬢に対して偏見を感じるのであるし、また、情に流されやすい自分の性格をどこまで制御できるかということも、大きな問題なのかも知れない。
最初は決まった相手がいたわけではない。
自分の話をどれだけ真剣に聞いてくれるかということだけで、相手を見ていた大学時代。それは相手が風俗嬢でも、大学の友達でも同じ高さの視線だった。
風俗嬢の目線を感じると、大学の友達の目線が、どうにも真剣に見えてこない。元々大学生活自体が、生活感のあまりない雰囲気なので、人を見る目がどうしても軽くなってしまう。
軽いから気にならないだけで、真剣な目線を探そうとすると、まともにこちらを見ていないことに気が付いた。だからといって、風俗嬢に情が深まったというわけではない。最初に感じていた虚しさは次第になくなっていったが、彼女たちへの感情が深まることはなかった。
それだけ、最初から感情移入が大きかったのかも知れない。