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俊一郎の人生

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 若菜は自分が好かれているのを知っていた。だが、自分から声を掛けることはしなかった。彼が声を掛けてくれるのを待っていたのだが、彼もそれに疲れたのかも知れない。仕事ができる男性だったので、どうやら、他から引き抜きがあったようだ。若菜のことが引き金になったのかどうかまでは分からないが、彼にとっては、それが最良の道だったのではないだろうか。
 彼がいなくなって、若菜は自分の人生が転落していくのを感じた。仕事をしていても、まわりから見られている目が気になってしまい、着手した仕事も、何から手を付けていいのか分からないというほど、基本的なことすらできなくなっていた。
 ストレスが溜まっていたのも大きな原因だが、一旦疑問に思ってしまうと、すべてに自信を失ってしまうところがあるのが若菜という女性だったのだ。
 若菜は、そのことを分かっていて、俊一郎に話してくれた。
「俺もその気持ち分かる気がするよ。頭の中がパニックになってしまって、うまく行っていると思っていることが、急に自信がなくなってしまうんだよね。ふと、我に返ると、自分がどこにいるのか分からないような感覚に陥ってしまうんでしょう?」
「ええ、そうなんですよ。パニックになったから自信がなくなったのか。自信がなくなったからパニックになったのかは分からないんですけどね」
「きっと、パニックが先じゃないかな? 自分も同じようなことになった時、パニックから、自分を見失ってしまうような気がするんだ」
 そうは言ったが、堂々巡りを繰り返しているとも考えられる。
 パニックが自信喪失を呼び、そしてパニックになる。だから、また自信喪失になってしまうという繰り返しは、まるで、
――タマゴが先か、ニワトリが先か――
 というのと同じではないだろうか。
 俊一郎にも似たような経験はある。
 学生の頃を思い出していた。
 高校生の頃までは、友達と言っても男性の友達が数人いただけで、女性の友達はいなかった。大学に入ると、いろいろな女の子と会話するようになり、挨拶だけでも友達になれた気がしたくらいだ。
 挨拶してくれると嬉しいもので、そんな中に一人気になる女性がいた。
 彼女は、大人しそうな中に、大人の雰囲気を醸し出していた。だが、清楚な雰囲気が一番の魅力で、
――この人に汚いことなど、絶対に似合わないんだ――
 と思える人だった。
 入学してから数か月経つのに、彼女の笑顔を見たことがなかった。
――ずっと誰に対しても笑顔を見せたことがないのかな?
 と考えていたが、それからしばらくして、
――彼女の笑顔を見てみたい――
 という妄想に駆られてしまった。
 彼女を見かければ、じっと後を追いかけていた。幸いにも彼女は俊一郎をあまり意識していなかったようで、少々遠くからであれば、まさか自分のことをつけているなどということに気付くわけもなかった。
 電車の中でも隣の車両に乗ったりして気を付けていた。一人の彼女は、いつも電車の中では本を読んでいたが、それが何の本なのか分からなかった。
 自分がストーキングしているなど、その時の俊一郎には意識がなかった。
――俺が彼女を笑顔にしてみせる――
 という思い込みが、自分勝手な正義感となり、まわりが見えないのは当然のことで、誰も俊一郎のことなど気にしていないと思っていたが、本当は大間違いだった。
 さすがに何日も毎日のように同じ電車に乗って、一人の女性だけを見続けていると、まわりもおかしいと思ったのだろう。
 俊一郎自身は、日に日に自分の正義漢ばかりが膨れ上がっていき、もはや、
――俺は彼女に笑顔をもたらすことができる唯一の人間なんだ――
 とさえ思うようになっていた。
 彼女を追いかけている時、
「もしもし」
 と、後ろから声を掛けられた。
 そこに立っていたのは、制服警官で、自転車から降りて、懐中電灯で俊一郎の顔を照らした。
「君はここで何をしているんだね?」
 答えないでいると、
「ちょっと交番までいいかい?」
 捕まってしまったという意識から、一気に気持ちが萎縮して恐縮してしまった俊一郎は、警官に従うしかなかった。いわゆる、職務質問というやつである。
 いろいろ聞かれたが、何を答えたのか分からないほど、緊張していた。とりあえず厳重注意ということで解放されたが、それから、彼女へのストーカー行為はしなくなった。
 その時から、俊一郎は暗くなり、道で友達に出会っても挨拶をしなくなった。何か大きなものを失ったような気がして、見えていたものも見えなくなったかのようだった。それが鬱状態の入り口であるということを、その時の俊一郎には分からなかった。
 ストーカーを止めてよかったと思ったのは、それから数か月してのことだった。
 妙な噂が流れたのだが、それは、彼女が風俗でアルバイトをしているというものだった。
「あの娘ならありそうだぞ。風俗にいそうな顔だ」
 と噂している連中の話を聞いて、
――何て無責任な発言なんだ――
 と怒りを感じたが、自分の彼女でもないのに、ここで怒りを感じてどうするものかと俊一郎は思った。
――風俗にいそうだって言っていたけど、本当にそうなのかな?
 彼女の大人の雰囲気の中に感じたあどけなさに俊一郎は参ってしまったのだ。風俗にいそうな女の子は、皆そんな感じなのだろうか?
 俊一郎は、それまで風俗に通ったこともなければ、飲み会の後に風俗に誘われたこともあったが、途中で逃げ帰ったことがあるくらいだった。
――誰に気兼ねすることもなかったはずなのに、逃げ帰ったのは、どういう心境からだったのだろう?
 俊一郎は、そう思うと、
――あの時、逃げ帰らずに行っていれば、俺の人生も少し違っていたかも知れないな――
 と感じた。
 少なくとも、ストーカー行為などしなかっただろう。
 そう思うと、風俗に行ってみたくなったのだった。
 一人で行くにはさすがに忍びない。以前に行こうと言ってくれたのを、
「俺はいいよ」
 と言って、一人帰って来てしまったことを考えると、声を掛けてくれた相手にもう一度頼むのも忍びない。
 そうこうしていると、また飲み会の後に、風俗の話が出た。
――もう、俺を誘ってはくれないんだろうな――
 と思ったが、
「おう、俊一郎、お前も行くか?」
 と、誘ってくれた。
 その誘いは、一人谷底に落ちていく状態を気遣って、手を差し伸べてくれたように感じた。
「いいのかい?」
「何言ってるんだい。いいに決まってるだろう」
 大げさに考えることはない。彼らは、過去のことなど忘れているのだ。
「一緒に来たいやつは連れていくだけだ」
 と言わんばかりの態度は。その時、妙に頼もしく見えたものだ。
 普段から暗かった俊一郎なので、まわりの人から煙たがられているようにしか思えなかったが、どうやら、そうではなさそうだ。
――余計なことを気にしていたのは俺だけだったんだ――
 わだかまりなど最初からなかったことに気付くと、今まで暗かった自分が急に恥かしくなった気がした。
作品名:俊一郎の人生 作家名:森本晃次