俊一郎の人生
家ではマイホームパパなのに、ストーカーという噂も出ている。ただ、警察が課長の身辺を調査して、ストーカーという話が出てこなかったということは、話の中にどれだけの信憑性があるかということも考えないといけない。
しかし、ストーカー行為というのは、されている本人が勝手に思いこんでしまっている場合もあり、曖昧なところがあるのではないかと俊一郎は思った。
――課長にストーカーというイメージを重ねてみて、拭い去れないところもある――
結局、死んでしまった人のことなので、それ以上考えても堂々巡りを繰り返すだけである。これ以上、余計なことを考えるのは、やめた方がよさそうだった。
会社では、新しい課長が決まるまで、課長のポストは空いていることになった。課長の座っていた席には花束が飾られていたが、
――死んでしまったら、あれだけのことなんだ――
と、少し寂しくもあった。
新しい課長がくれば、すぐに撤去され、あっという間に皆の心の中から忘れられていくことになるに違いない。
俊一郎は、数日してから、またおかしな夢を見た。
死んだはずの課長が事務所の自分の机に座っている。仕事をしている姿は、今までと変わりはないのだが、机の端には花束が飾られている。
――課長は死んだんだよな――
もし、花束がなければ、夢の中での課長は死んだのだという意識はないだろう。死んだ人のことを、二度も夢に見るなど、よほど課長が気になっているのかも知れない。
――いや、いくら気になっているとしても、ここまでというのは、我ながら信じられない気がするな――
夢を見ている間、
――これは夢なんだ――
という意識は、しっかりとあった。
意識があるにも関わらず、夢の続きを見るというのも珍しい。今まで覚えている夢の中で、
――これは夢なんだ――
と感じた時、そのまま夢は覚めてしまっていたのだ。
――本当にそのまま夢から覚めたのだろうか?
というのも、夢から覚めたわけではなく、夢から覚めたという夢を見たのかも知れないし、それ以降を忘れてしまっただけなのかも知れない。ただ、
――その感覚が夢から覚める一つのキーワードだった――
という考え方も捨てきれない気もしていたのだ。
続きの夢としては、課長は定時になると、
「お疲れ」
と言って帰っていく。
課長が部屋を出たのを確認すると、俊一郎も、すぐに仕事を終えて会社を出た。
完全に課長の後を追いかけている。
もちろん、課長には気付かれないようにして後ろからつけていくが、課長は、少し行ったビルの影に隠れて、ビルから出てくる人の姿を目で追っているのだった。
「お疲れ様でした」
定時で勤務を終えた会社員やOLが幾団体にもなって、玄関から出てきて、それぞれの帰宅方向に散っていく。その姿は、どこの会社にも見られるものだ。
しかし、俊一郎は今までに実際に見たことはなかった。想像はしていたが、さすがに夢というもの、想像通りの光景だった。
わずかな隙間から課長はその姿を覗いている。それを見ると、先日給湯室から聞こえてきた、
「一人の人を好きになってストーカーをしていた」
という言葉が思い出された。
実際にストーカーがどのような行動を取るのかということは、これも想像でしかないが、やはり想像した通りの行動を課長がしているのだ。
――それにしても、似合っている――
朴念仁だとしかイメージになかった課長が、目の前でストーカー行為に嵩じている。それをストーカーとして想像し、イメージしているのに、似合っていると感じるのは、どういうことだろうか?
まだ、課長の好きな人は現れないようだ。
課長は、じっと待ち続ける。それを遠くから見ている俊一郎も固唾を飲んでいた。不思議な緊張感が空間を支配している。
――まだ出てこないのかな?
課長が待っているはずの女性が現れる雰囲気はない。一体どうしたことなのだろう?
――あっ、夢から覚めそうだ――
夢から覚めそうになる瞬間を、俊一郎は感じることがあった。それはいつものことではないが、こういう膠着状態の夢を見た時には感じることが多い。
しかも夢から覚める瞬間というのは、これは俊一郎に限ったことではないらしいのだが、どうやら、
――何て微妙なタイミングなんだ――
と感じさせるらしい。
夢から覚めたその時に、
――もっと見ていたい。結論が分からない状態で目を覚ますのは嫌だ――
と考える。
ただ、これは目が覚めて感じたと思うだけであって、目が覚めた瞬間には、
――夢から覚めてよかった――
と感じることの方が多いようだ。
――結局、課長がストーカーだったのかどうかも分からない。雰囲気だけでは判断できない――
と感じた。
確かに怪しい雰囲気ではあったが、相手の女性が誰なのかが分からない以上、本当にストーカーだったのかは、ずっと謎のままである。
夢から覚めてよかったと思ったのは、夢の中で課長が目指す女性を見てしまうと、それは自分の知っている人でしかありえない。誰であっても、あまり気分のいいものではないはずだ。そう思えば、夢から覚めてよかったのだろう。
夢というのは潜在意識が見せるものだというが、まさしくその通りである。夢が突飛であればあるほど、潜在意識以外のものであれば、今度は信憑性を疑いたくなる。そう思うと、どこかで、抑えのようなものが必要になってくるだろう。それが、潜在意識だと俊一郎は思うのだった。
その日、課長の夢を見た時、一人の女性と出会う気がした。夢がそのことを教えてくれているように思う。夢と現実の世界で彷徨っている感覚が今はあるが、それが課長が死んだことで、もう何も確認できないことの中に、その思いが隠されているのではないかと、俊一郎は感じていた。
それからしばらくは、課長のことを気にしていたが、ある日を境に、課長のことが遠い過去のように思えてきた。仕事で何かがあったというわけでもないし、新しい課長が決まったというわけでもない。
課長が決まらない時期がしばらく続いた。
「こんなに決まらないというのも、おかしいわね」
名目上は、部長が課長職を兼任ということで、課長の実務は、課長代理の人が行っていた。課長代理というのが実質では課長になるのだろうが、対外上の課長は、部長が兼任の方がいいのかも知れない。
俊一郎の仕事も、上からのしわ寄せで、増えていたのも事実だった。それでも趣味に勤しむ時間は自分で見つけてこなしていた。
――充実感があるからな――
と感じていたのは、課長に邪魔された時と、状況が違っているからである。
課長に邪魔されていたのは、明らかに悪意が感じられたからだ。本人は無意識だったのかも知れないが、それが感じられなかった。露骨な態度は表情にも出ていて、課長のしてやったりの表情は、今から思い出しただけでも気分が悪くなってしまう。
――もう、あの人のことは忘れてもいいはずなのに――
どうして思い出すというのだろう? すでに恨みもなければ、充実した毎日を送っている自分の生活に不満もないはずだと思うと、課長のことは過去になるはずだった。それを解決してくれたのが、一人の女性との出会いだった。