俊一郎の人生
デッサンのスケジュールをめちゃくちゃにしかねないスケジュールを組まれることもしばしばで、何度、臍を噛んだことだろう。口惜しさを表に出さないようにしていたつもりだったが、隠せるほど器用ではない。きっと、誰か分かる人には分かっていたことだろう。だが、どちらかというと鈍感な課長には分からなかったはずだ。それなのに、示し合わせたようにスケジュールを組むのは、ただの偶然ではないように思えてならなかった。
――ちくしょう――
逆恨みなのは百も承知なので、心の中に閉まっておけばいいと思っていた。しかし、課長が死んだと聞いた時、
――まさか――
と思った。
その時の俊一郎の気持ちとしては、怒りが頂点に達していたのだ。
苛立ちがストレスとなり、ストレスが爆発すると、気持ちの中で抑えが利かなくなる。そんな時はふてくされて寝てしまうのが一番なのだろうが、その時はどうしても寝つけなかった。
「殺してやる」
思いが嵩じて、妄想になってしまった。気が付けば、それは夢で、いつの間にか寝ていたのだ。
――ということは、眠れないという意識の夢を見ていたということかな?
今までにはない経験だった。
目が覚めるとスッキリとした気分になっていた。俊一郎は、間違いなく夢の中で課長を殺していた。
その方法が、歩道を歩いている課長を、車道に突き飛ばすことだった。まるで夢と現実が交差した瞬間だったと思えてならなかったのだ。
課長の葬儀はしめやかに行われた。事件性も疑われたが、実際に近くに誰もいたわけでもなく、捜査はすぐに終了し、事故か自殺のどちらかが残ったのだ。
警察の捜査では、課長の身辺で、自殺するようなことはないだろうという結論だった。奥さんも子供もいることだし、表立ったところで、自殺を臭わせるようなところはなかったのだ。
すぐに遺体は返されて、葬儀が行われることになった。
会社の社員も何人か出席することになったが、俊一郎もその中の一人だった。
かといって何もお手伝いできるわけでもなく、ただ列席するだけだった。女性事務員がその役目を負うことになった。
女性事務員二人が呼ばれて、葬儀のお手伝い。お手伝いと言っても、葬儀会社がほとんどのことはするので、遺族の人についていたり、持ち込まれたお弁当やお膳を運ぶ程度だった。
彼女たちは、動きがあるから、さほど時間を感じなかったかも知れないが、ただ、列席しているだけの俊一郎にとっての葬儀は、やたらと時間が無駄に長く感じられたのだ。
しかも、夢の中で殺してしまったという負い目がある。夢の中と同じ死に方をしたと聞いたことで、さらに負い目があった。しかし、ここまで徹底していれば、負い目というよりも、開き直りがあったのも事実だった。
――課長がいけないんだ。俺の趣味を邪魔するような勤務体制ばかりを組んだりするからだ――
葬儀の間、そんなことばかりを考えていると、前半は無駄に長く過ぎてしまったと思っていた時間も、後半は無駄ではあったが、あっという間に過ぎたような気がした。葬儀も終わり、その日は一度会社に帰り、仕事をすることもなく、会社を後にすることになった。
会社に帰ってきた時、給湯室から女性社員の声が聞こえてきた。
「死んだ人の悪口を言うのは気が引けるんだけど、課長はあまりいい性格ではなかったようね」
「そうね、スケジュールの立て方も、まるで嫌みのような立て方だったものね」
「そうじゃないのよ。人から聞いた話なんだけどね」
「えっ?」
どうやら、給湯室にいる二人から会話が聞こえていた。何人いるか分からないが、会話の中心は二人だった。
――噂は本当だったんだ――
と、俊一郎は思った。
「課長は、誰か一人の女性を好きになって、ストーカーのようなことをしていたって話なの」
「そこまでするような人には見えなかったけど……」
「そうね。私もちょっと信じられなかったわ。あまり女性に興味があるような雰囲気ではなかったものね」
二人の話を聞いていて、立ち止まって考えていた俊一郎も、課長がそこまでするというのは少し意外だった。会社での勤務態度から見ている限りは、確かに女性に興味を持つタイプではない。見た感じは朴念仁に見えるのだ。
給湯室での会話はそこで一旦止まってしまった。それ以上会話が続かないのは、それだけ課長が朴念仁であって、想像の域をすでに超えているからだ。想像もできないのに、それ以上会話が進むわけはない。しかもそれが故人への悪口に当たるからだ。
俊一郎は、いつ給湯室から二人が出てくるかも知れないと思い、忍び足でその場を通りすぎ、事務所の扉を開いて入っていった。
――今の話、偶然に聞いたんだけど、本当に偶然だったのだろうか?
少し疑いたくもなるほどのタイミングだった。まるで、俊一郎に話を聞かせたいと言わんばかりではなかったであろうか。
死んでしまった課長は、あまり部下には慕われていないのは分かったが。家庭では、
――いい父親――
だったようだ。
親戚にも悪く言う人はいなかったし、マイホームパパの雰囲気しか、話しには出てこなかった。
それなのに、女性社員から聞かされた内容。ストーカーなどという言葉は、一体どこから出てきて、どのように想像すればいいというのだろう?
俊一郎が新入社員の時の飲み会でのことだった。
課長は、俊一郎の隣にいたのだが、あまりお酒を勧めようとはしなかった。
――どうしてなんだろう?
席順はあらかじめ決められていた。
というよりも、新入社員の隣には直属の上司というのが、まるでしきたりのように決まっているようだ。
「俺は、こういうしきたりは嫌いでね」
と、一言俊一郎に言って、一人で課長は呑んでいたのだ。
俊一郎には、他の社員や先輩がどんどん注ぎに来る。
「どうだい? 仕事には慣れたかい?」
「ええ、おかげさまで」
と、答えながらお酒を勧められる。
あまりアルコールの強くない俊一郎は、ゆっくりと飲んでいた。まわりの社員もさすがに課長の手前、大っぴらに勧めることもできない。
俊一郎にはそれがありがたかった。あまり呑まなくても済みそうだからだ。
その時は、課長に感謝した。課長が、こういうしきたりが嫌いだということで、
――意外と物わかりのある課長なんだ――
と思った。
確かに課長はそういう意味での、しきたりのようなものを毛嫌いする性格は、俊一郎だけではなく、他の課員にもありがたがられていた。しかし、それだけに、スケジュールの立て方の露骨さに、誰もが反発していたのだ。
「課長は物わかりがいいだけに、この露骨さにも、その人の信念が感じられるよな」
と、まわりから話が聞こえてきた。
課長の考え方は、誰もが嫌だと思うようになっていた。そのことを課長は分かっていたのかどうなのか。俊一郎は分かっていなかったのではないかと思っていた。
しかし、
――それは思い違いだったのかも知れない――
と感じた。
給湯室での女の子の会話を聞いて、課長のストーカー説が浮上してくると、俊一郎は、その中にある裏返しの性格を感じるようになった。