年齢操作
――本来なら堕ちるところまで堕ちたのだから、あとは這い上がるだけ――
という話をよく聞くが、なるほど確かに堕ちるところまで堕ちた気はしているが、這い上がった気がしないのだ。
ということは、最低ラインで踏みとどまっているということだろうか? それも違っているような気がする。最低ラインがどこなのかもハッキリ分かっているわけではない。それなのに次第に落ち着いてくるのは、今の状況に慣れてきているからなのかも知れない。
「三十歳を超えると、後は早い」
という人もいれば、三十五歳という人もいる。三十歳から三十五歳の間で、人は自分の分岐点になる何かを見つけるのではないだろうか。結婚する人、離婚する人それぞれなのだろうが、四十歳になると、惑わずという。四十歳までに惑うことのない性格を作り上げるということなのであろうが、自分の四十歳は、気が付けば過ぎていた。意識することなど、何もなかったのである。
敏夫は五十歳になるまでの人生を四十代にも振り返ったことがあるはずなのに、五十歳になってから思い起すと、振り返ったことすら忘れてしまっているようだ。五十歳と言う年齢が、他の人の四十歳に値するのではないかと思う。この十年の差は、どこから来るのであろう?
離婚してからの数年は、離婚を頂点にして、どんどん山から転がり落ちているのを感じた。最初は、一気に谷底に叩き落された気がしていたが、そうではなかったのである。一気に叩き落されたのであれば、這い上がるだけの気持ちが持たれているはずだ。落ちたスピードのわりに時間が経っていないからだ。肉体的、感覚的には谷底だが、時間的なもの、さらには精神的なものは、そこまで叩き落とされた気持ちがないからであろう。
「肉体的な感情より精神的な感情が優先するのだろうな」
それは、どちらが辛いかということにも影響している。少なくとも敏夫は精神的な辛さには耐えられないと思っていた。だからこそ、急降下してしまった精神状態を何とか時間が経っていないことで、辛くないことを納得させたかったに違いないのだ。
敏夫が好きな女性のタイプは、年齢とともに、若返っているように思えていた。三十代後半くらいまでは、少し年上でもよかったが、四十代になれば、三十前半よりも前、最近では、二十代の女の子、いや、女子大生でもいいと思うようになっていた。
ただ、それが性的欲求から来るものなのか、自分でもハッキリとしない。もし、性的欲求であれば、少し悩むところであるが、最初は娘を思う気持ちに似ていると思っていたので、その気持ちを壊したくないという思いが強くなっていた。
最近よく見る夢は、自分がまだ三十代後半で、女房と別れた頃のことだった。
すでに寂しさや辛さは抜けていたが、違う寂しさが漂っていることを感じた。実際に感じたことのないもので、三十歳代後半というと、
――今までの人生で、一番辛い時代だったのかも知れないな――
その思いが一番強かったはずなのに、今から思い返せば、もう少し違った人生を歩むことができたのかも知れないという思いが頭の中を過ぎるのだった。
――もう、女はいい――
などということを思ったことなどないはずなのに、夢の中では女との関わりのまったく感じられない自分がいることに気付く。
女というものが初めて別世界の人種であるという意識を持ったのだ。子供の頃、まだ異性に興味を持つ前の、自分とは違った性質の生き物だと思っていた頃でも、別世界とまでは思わなかった。だからこそ、異性に興味はなくとも、憧れのようなものがあった。それが小学校の時の先生であったりするのだ。
小学校の頃の先生は、女子大を出たばかりの新人だったのに、子供心に、母親とさほど変わりがないくらいに感じていた。それだけ、年上の女性は皆同じように見えていたのに、最初はそのことが気付かなかった。
先生に憧れのようなものを感じたのはいつからだっただろう? それは友達が先生のことを好きだと言っていたのを聞いたからだろうか。
友達にはスカート捲りのくせがあり、こともあろうに、先生にもしてしまったのだ。その時、先生は顔を真っ赤にして、どうしていいか分からずに、その友達を叱ることすら忘れてしまっていた。敏夫はその時の先生の顔を見て、きっと怒るだろうと思っていた先生が怒らないことにビックリした。それは敏夫が想像していた行動が、全然違った形で現れた、最初で最後のことだった。
――あの時に、俺は先生のことを好きだと思ったのかも知れない――
子供心にはあくまでも憧れだったのだ。それが好きだったという意識を感じたのは、中学に入学してから、つまり中学生になってから、異性に対して興味を持ち始めたと意識し始めた、最初の頃だった。
異性に興味を持ち始めてから、その意識を持つまでに、敏夫は結構時間が掛かった。
――何かおかしいな――
憧れが、憧れだけでは言い表せないように思えたのは、身体に変調を感じたからだ。顔が赤くなったり、下半身がムズムズしたり、特に相手の笑顔を見た時、今まで感じていた大人の魅力だけではなく、可愛らしさを感じるようになったのが分かった時、初めて、それが憧れだけではなく、女性への新しい意識が生まれたことだと分かった。
中学生の頃は、お姉さんばかり意識していた。二十代の女性に一番意識が強かった。三十代から後ろは、母親を意識してしまいそうで嫌だったのだ。
母親が綺麗な人でなければ意識もしなかっただろうが、母親は子供の敏夫から見ても綺麗な部類だった。
それもあってか、どうしても母親を直視できなかった。恥かしいという気持ちよりも、好きになってはいけない相手だという意識が強すぎて、それがジレンマとなって、敏夫の中に残ったのだ。
高校生の頃はあまり女性を意識しないようにしていたが、それが爆発したのが、大学に入ってから、
――高校の頃、我慢なんかしなければよかった――
その思いは、性癖に繋がっていた。
敏夫は、大学生になってから、セーラー服の女の子に異常なまでの意識を持つようになった時期があった。
敏夫の場合は
――熱しやすく、冷めやすい――
という性格のため、セーラー服の女の子への思いが爆発しそうなくらいに感じていた時の辛さが、今度は反動となって、セーラー服を意識することはなくなった。
――変な性癖は消えたんだ――
と、ホッと胸を撫で下ろしたが、それはただ、その時期飽和状態になっていただけで、本当は自分の中で燻っていただけだったのだ。それが表に出てきたのは、二十代後半だっただろうか。別れることになる女房と知り合う少し前のことだった。
――自分の性癖がハッキリしてきたから、彼女ができたんだろうか?
とも思ったが、人間バイオリズムというのがある。精神、体調などが上り調子の時に自分の感覚がまわりに対して敏感に感じるようになり、今まで自分の中で燻っていたものが吹き出してきたのかも知れない。
女房と付き合っていた時も、その性癖は表に出ていた。出ていたというよりも、女房が発見したのだ。
「あなたの行動パターンは分かりやすいのよ」