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 デジャブというのは、特異現象のように感じるが、こうやって考えると、気持ちの持ちようで、いくらでもデジャブを理解することができるのかも知れない。一口にデジャブと言っても、感じている人の数だけは、少なくとも存在しているのではないかと思えてくるから不思議だった。
 子供の頃に絵画にはまったく興味がなく、小学生の頃、中学に入ってからも、絵画なんて自分とは関係のないものだとしてしか、思えなかったのだ。
 それなのに、先生に一度褒められると、有頂天になった。
 将来自分が描いた絵が、展覧会に出品され、それが受賞作品になることで、表彰台に上がる自分の姿。そして、マイクを向けられて、
「まさか、こんな賞をいだたけるなんて、思ってもいませんでした」
 と、お決まりの文句を話すのだが、考えてみれば、自分の作品が受賞することを以前から分かっていたような錯覚になっている自分に気付いていた。
 そしてセリフも最初から考えていたように思え、夢とはいえ、
――よくもここまで自惚れられるものだ――
 と、自分に感心してしまうのだった。
 それでも、すぐに絵を描くことが好きになったわけではない。美術の授業で、好きでもない絵を描かされてウンザリしていたのも事実なので、ちょっと褒められたくらいですぐに好きになれるほど、性格が純情にはできていなかった。
 それでも、徐々に描くことが好きになる。それも、
「絵を描いていると落ち着いた気持ちになれるからな」
 という先生の一言があったからだ。
 それまでの敏夫であれば、皮肉にしか聞こえなかったことなのに、その時は素直に聞けた。よほど精神的に落ち着いていたのかも知れない。
 そういう意味では絵を描くようになったのも、運命だと思っていた。部活に参加することはなかったが、一人で絵を描けるスポットを探し、最初はスケッチから始めた。風景画が主で、家の近くにある神社に出かけて、描いてみたりしていたが、自分で見ている分には、それほど上手だとは思わなかった。
 一つはバランス感覚に欠けているのが自分で分かっていたからである。平衡感覚が欠如しているとでもいうのか、まずどこに最初鉛筆を当てていいのかが分からない。
「それが分かれば一人前だ」
 と先生が言っていたが、
――それでは、最初から何も進まないではないか――
 と思ったりした。
 一つの何かに興味を持つことが前に進むことだというのを初めて感じたのがその時だった。それまでは言葉で何を言われても、口うるさくされるのを同じ感覚で、
――自分で何も感じないのだから、しょうがないじゃないか――
 と感じるようになっていた。
 絵画に興味を持っていた時期は、今まで短いものだと思っていた。確かに、高校に上がる頃には、興味が失せていたのも事実で、高校受験の間の精神状態が影響したのも、間違いないことだろう。
 ただ、今から思い出すと、時系列で思い出すことができるのだ。以前にも中学時代のことを思い出したことがあったが、その時は、絵画に対してのことを特別に思い出したわけではなく。漠然としてしか思い出していないので、ただ流れるだけの時間を感じただけで、時系列などという意識もなかった。
 今回思い出した絵画への思いは、感情を中心に思い出していた。そのせいもあってか、感情は、移り変わることを前提としてでは思い出せないということもあり、時系列は勝手についてくるものである。意識の中になければ存在しないと同じであった。
 時系列で思い出してくると、漠然としてしか思い出さなかったものが、ただの夢のように、自分一人の感情でしか展開していないことに気付く。それは実際に中学時代のその時に、自分中心でしか感じていなかったものが存在していたのではないかと感じるからであった。
 自分中心でしか感じていないものというのは、色を感じさせない。暖かい冷たいなどの感覚もない。障害があっても、痛いという感情すらないのではないかという感覚もあり、それがすべて漠然としてしか感じていないことに結びついてくるのだった。
 絵画は、色が命だ。最初の頃は鉛筆でのデッサン画が中心だったが、そのうちに油絵に興味を持ち始め、色を塗ることを覚えたのだが、途中で急に興味が失せた。それよりも、デッサンでの鉛筆画の方に興味が戻っていた。しかし、一度興味の離れた鉛筆画に、再度興味を戻すのは、難しいことだった。敏夫が絵画に興味を失ったのは、この時だったのだ。
 絵画に興味を持ち始めて、急に冷めてしまったことで、挫折感のようなものはなかった。元々何事にも無関心な自分に戻っただけだったからである。
 中学時代を思い出したのは、やはり気になる女の子が手に持っていたのがスケッチブックだったからだ。スケッチブックということは、油絵ではなく、デッサンなのだろうと思ったからで、見た目自分に興味のありそうな女の子が描こうとしている絵がどのようなものなのか、思わず、昔の自分との比較を試みようとしているのが分かる気がした。
 その女の子は女子大生のようだった。通勤電車の途中にある駅でいつも降りる彼女だったが、その駅には女子大があった。短大だったと思ったが、時々、クラスメイトと思しき女の子から声を掛けられ、挨拶を交わしているのを何度か目撃したのだ。
 タータンチェックのスカートと、マフラーが印象的だった。お気に入りなのか、よくその格好を見かける。
――ひょっとすると、絵を描く時の自分の服装だと決めているのかも知れない――
 と感じた。
 そういえば敏夫も絵を描く時には着る服を決めていたような気がする。
――おかしなところにこだわるな―― 
 と自分で苦笑したことがあったのを思い出した。
――ハンカチもチェック柄だったら可愛いのにな――
 まるで自分の娘くらいの年頃の女の子に、気が付けば胸の高鳴りを覚えていた。それは忘れかけていた女性への思いであり、女性として好きになった時の気持ちと同じであった。
――女性を好きになることは、相手が誰であれ、ときめきを感じるもの。悪い気分などあるわけはない――
 と感じていた。
 ただ、若い頃とは少し違っているのを感じる。
 離婚してからは、自分の生活とともに、性格までもが変わって行っているように思えてならなかったが、それは、離婚を頂点として、まったく人生が変わってしまったと思っていた。

                   ◇

 ピークは結婚した時ではなく、離婚した時だった。
 結婚期間中は、結婚前よりも、幸せだった。特に新婚時代には、これ以上の幸福はないような気がしていたくらいで、過去のこともすべて水に流されたと思ったほどだ。水に流されてしまえば、今までの自分の罪もすべて許されたように思え、それ以降、自分に不幸は訪れないだろうとまで感じたものだ。
 ただ、それも独りよがりな発想だった。自分に甘くなってしまうと、横柄な態度をまわりに取ってしまっても、無理のないこととなってしまう。
 離婚の原因も詳しくは分からない。
「自分の胸に聞いてごらんなさい。どうせ、あなたには分からないでしょうけどね」
 と言われた。
作品名:年齢操作 作家名:森本晃次