年齢操作
その時の美沙には分からなかったが、要するに親とすれば、世間体が一番だったのだ。未婚の母などというのを自分の家庭から出すというのは、耐え難い恥辱である。それは父親だけではなく母親も同じことを思っているようで、ただ、母親が感じているのは、
「お父さんがそう言うのだから」
という、すべてを一家の大黒柱である父親に委ねているだけである。母親には、家庭の中で自分の意志というのを持つことができないのだった、
美沙はそんな父と母を見て育ったのだ。そういう意味では、自分の不安定な性格は、どうしても母親を意識しているからだ。つまりは、自分にふさわしい男性は、絶対的な自信のある人であり、決断力のある人でなければ、自分に物事を判断する力がないのだという意識であった。
美沙の両親が、どこの家に子供を預けたのか、美沙は教えられていなかった。自分が生んだ子供なのに、まったく違うところで育てられ、子供は母親と言う意識を美沙に持つことなどありえない状況にされてしまった。
美沙が生んだ子供は娘だった。美沙には、子供が娘であることと、生年月日しか分からないのだ。その生年月日も、操作しようと思えばできなくもない。自分の父親ならそれくらいのことは平気でするだろうと思った。
美沙は父親に対して、その時から感覚がマヒしてしまった。同じ感覚は母親に対しても持っているのだが、
――きっと私は、両親が死んでも、悲しい思いなんかしたりしないわ――
もちろん、喜ぶこともないだろうが、
――ただ、知っている人が死んだんだ――
という程度のものである。
しばらくして、美沙はお金をもらう形で、近くのマンション住まいをさせられるようになった。どうやらこれも父親の世間体を重んじてのことだったようだ。
――そこまでしなくても――
と思ったのは一瞬で、
――あの人なら、これくらいするわ――
と、家から追い出されたというよりも、親から離れられたという方が美沙にはありがたかった。何しろお金はもらえるのだから、生活に不自由はない。
――私が人間らしい感覚さえ持たなければそれでいいんだわ――
と、美沙は思った。とにかく、一日一日を、ただ何も考えずに過ごしていけばいいだけだった。
――人に関わることはなるべくしないようにしよう――
大学を卒業し、就職先は父親の息の掛かった会社に就職した。娘ということで、大事にはされていたが、それも無関心になってしまった美沙には、何も感じるものではない。当たり前のように出勤し、事務的に仕事をこなし、夕方定時にはマンションに帰る。飲み事などもすべて断ってきたことで、
「付き合い悪いわね。何様だと思っているのかしら?」
と噂されていることも分かっていたが、噂なんて、しょせん力を持つものではないと思っている美沙には、無視することが一番だったのだ。
美沙がその後どうなったのか、美沙のことをよく知っていた大学時代の友達にも分からない。
「あの子は、急に私たちの前から姿を消したのよ」
それはまるで気配を消して、ひっそりと息をひそめるように生きていくことを宿命づけられた女のようで、忽然とその消息が分からなくなったのも、当然のことのように誰もが思ったことだろう……。
◇
月日が経つのは早いもの。敏夫は四十歳になっていた。
三十歳になった頃に一度結婚したのだが、三年もしないうちに離婚、それまで勤めていた会社を辞め、新しい会社に入ってからは、ほぼ変化のない生活を続け、気が付けばただ一日が終わっていくだけの、何も考えない人生を歩んでいたのだった。
そんなことに気が付くことも稀であった。
酒も飲まず、タバコも吸わない。電車通勤している時に、たまに好みの女性が近くにいれば、ときめいた気分になるが、ただそれだけ、声を掛けてみたいだとか、自分を意識させたいなどという感情は湧いてくることもなく、その時だけ、気持ちがときめいていればそれだけでいいといった、何の楽しみも見出すことのできない人生を歩んでいた。
それでも、最近、ここ数か月のことであるが、少しだけ絵画に興味を持った。中学の頃、美術の授業で、
「君は、絵がなかなかうまいな」
と、先生から言われたことを、ふと思い出したのだった。
実際に美術館などで絵画を見ることなどあるわけではないので、絵画に関しては興味を持つことはなかった。それなのに絵画に興味を持ったのは、中学の頃に言われたセリフがいつも頭の片隅にあったことと、通勤電車の中で、気になる女の子が、手にはスケッチブックを持ち、今時珍しいベレー帽をかぶって、
――いかにも、絵描きさん――
という雰囲気を漂わせていたからだ。
その姿は威風堂々としていて、それが敏夫の興味を引いたのだ。
その女性とは、それから何度か同じ電車に乗り合わせた。
今までであれば、気になる女の子がいても、その女の子を見るのは、その時だけ、二度と目の前に現れることはなかった。
――俺はそういう運命の男なんだ。いかにも俺らしいじゃないか――
と思っていた。
それなのに、絵描きの女の事は、一週間のうちに、二、三度同じ電車の同じ車両で一緒になる。
その女の子は、女子大生のようだった。
自分が好きなタイプの女の子は、本当は物静かなタイプなのに、その子は絵を描くということを、
――アクティブで行動的な趣味なのよ――
と、言わんばかりに見えたのだ。
敏夫と目が合ったことはほとんどない。目が合ったとしても、咄嗟に敏夫が目を逸らした。それは恥かしさからというよりも、
――見てはいけないものを見てしまった――
という意識が強かった。
何を見てはいけないのか、それは何となく分かるようで、考えようとすると、急に目の前に霧が掛かったかのようになり、おぼろげになってくるのだった。
それも、何かの力が働いているのではないかという気持ちが強くなり、それが自分の過去にあるということになかなか気付かないでいた。
絵を好きだった頃を思い出していた。
その頃は何をやっても自分に自信が持てず、人から褒められることなど皆無であり、ひょっとすると、中学生になることまでが、一番感受性のなかった頃ではないかと思えるほど、何も考えていなかった。
それは、今も何も考えていないように思って生活していることとは少し違っている。今は何も考えていないことを意識しているが、子供の頃は、何も考えていないということを意識さえしていなかったのだ。だから今から思い出そうとしても、中学生以前の頃の記憶というのは、ただ目に映ったことがそのまま記憶として残っているだけだ。静止画でしかなく、動いている感覚がまったくないのだ。
そういう意味でいけば、絵画のように動いていないものを覚えているというのは皮肉なものだ。絵画に描こうとして浮かんでくるイメージは、子供の頃に見たのかも知れないと思われる景色が浮かんでくる。
だが、まるで行ったこともないところなのに一度行って見た記憶があると思い込んでしまう「デジャブ」という現象そのものである。