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 美沙が、お忍びの恋だと思っていたわりには、相手の敏夫は、まわりから公認されているように思える方が嬉しかった。誰かに認められることのあまりなかった敏夫には、美沙という彼女ができたことを、一人でもたくさんの人に知ってもらいたいという気持ちが強まっていたのだ。
 敏夫はまわりの人に対して、自分が劣っている方だと思っていた。そう思いたくない気持ちの表れが、他の人と同じでは嫌だという考えになっているのであって、ただ、美沙も同じ他の人と同じだというのが嫌だという考え方を持っていたが、敏夫ほどまわりに対して自分が劣っているという風には思っていなかったのだ。
 それは男と女の違いでもあった。
 男ほど相手の実力を認めるもののようで、女性はあまり相手の実力を認めてから自分を顧みるよりも直接自分を見てしまうもののようだ。
 敏夫は何となくそのことに気付いていたが、美沙は気付かない。美沙は、あまり強く意識することはなかったが、自分が女性であるということで、男性とは性格が違っているのではないかと思うのだった。
 時々二人は喧嘩していた。喧嘩の理由はその時々で違っていたが、喧嘩の理由になった元々の考え方の違いのせいであるということに敏夫は気付いていた。根本的な理由が同じなので、根本的に解決できない限り、喧嘩が絶えることはないのだ。
 美沙はそのことに気付いていないので、
「どうしていつも喧嘩になるのかしら?」
 と、喧嘩が収まって、落ち着きを取り戻すと、喧嘩していたことすら忘れてしまいそうなほど、気持ちが晴れやかになっている。
「ケンカするほど仲がいいって言うだろう?」
 と、諭すように言うが、
「そうよね」
 と、美沙は簡単に納得してしまう。これほど簡単に納得するくらいなら、それこそ本当に、
「どうしていつも喧嘩になるのかしら?」
 と言いたくなるのも無理のないことである。
「熱しやすく、冷めやすい性格だからだよ」
 と、まるで今の状況をそのまま口にして説明すれば、それがすべてなのだが、それは口が裂けても、敏夫が口にできる言葉ではなかった。敏夫にも似たようなところがあり、だからこそ、美沙を好きになったのだし、美沙の気持ちがよく分かるというものだった。
 付き合っていた時期がそれほど長くなかったわけではないのだが、期間以上に付き合っていた時間が長かったと思っているのは、美沙の方だった。
 敏夫が感じている期間は、実際の期間と変わりはなかった。だが、美沙が感じている時間は、敏夫よりもずっと長かったのだ。
 破局の原因は、美沙が妊娠したことだった。
 敏夫はなるべく気を遣っているつもりだったが、それは美沙の身体のことを気遣ってのことだった。子供ができたのなら、二人で育てようという考えを持ったのは敏夫の方で、美沙の方が、身籠ってしまったことで、少し苛立ちが強くなっていた。
 しかも、美沙の父親が猛反対していた。
 元々二人のことに関しても付き合っていることを知っていたが、あまりいい気分ではなかった。世間体をすぐに気にする美沙の父親は、敏夫のことをあまり知らないくせに、敏夫の家庭が普通の庶民であることに差別的な目で見ていたのだ、
 表に対してはさほど強くはなかったが、露骨な視線を持っていて、その視線に一番敏感だったのが、美沙だった。
 美沙はそんな父親の目に反発したかった。付き合う人は父親の眼鏡に適うような相手ではなく、自分が好きになった相手だということを一番最初に感じることのできる人で、その人が父親に対して反発できる相手であることを望んでいたことも事実だったのだ。
 敏夫の子供を身籠ったことに美沙はすぐに気が付いた。
――敏夫は喜んでくれるだろうか?
 期待半分、怖さ半分だったが、実際に敏夫に話した時、一瞬戸惑いを見せた敏夫を見て、美沙は、一気に怖く感じてしまった。
 それからの美沙は、完全に鬱状態に陥った。精神的には完全に殻に閉じ籠ってしまい、誰とも話さずに部屋から出てくることもなかった。
 敏夫はすぐに我に返って、美沙と新しく生まれてくる自分の子供に対しての覚悟を決めることができたのだが、美沙が閉じ籠ってしまった殻をこじ開けることはなかなかできなかった。
 少しだけ精神的によくなった美沙に対して、敏夫はホッとして、自分の決意のほどを打ち明ける。美沙にも敏夫の気持ちが分かって、嬉しい気持ちにもなっていたが、最初に受けたショックを解消させるまでには至らなかった。
――どうして、最初から今のような態度を示してくれなかったのだろう?
 美沙が求めているのは、かなり男にとっては辛いことだった。きっと敏夫でなくても、最初から美沙が望んだような態度を取ってくれる相手というのは、まず今の美沙のまわりにはいないだろう。美沙にとってみれば、敏夫と一緒にいることが、本当の幸せなのだということをその時に分からなかったのだ。
 それでも、最初は敏夫の優しさが嬉しくて、甘えていた。
 ただ、美沙は自分で気付いていなかったが、甘え下手だったのだ。甘え下手な人はたくさんいるが、そのほとんどは自分が甘え下手だと意識している。そんな女性の方が、男から見ると可愛げがあって、甘えさせてあげたくなる。美沙のように甘え下手を自覚していない女性は、男性から見ると、甘え方が不自然で、白々しさに変わってくる。
 敏夫も次第に美沙に対して疑問を抱くようになった。もちろん、そんな素振りを見せることはなかったのだが、女の勘の鋭さなのか、それとも美沙自身の勘の鋭さなのかは分からないが、美沙は敏夫に見限られていく自分を感じていた。
 見限っていないわけではなかったが、子供もできたことで、できるだけ美沙を大切にしていこうという決意を持っていた敏夫も、美沙が自分に疑念を抱いているのを感じると、この先二人でうまくやっていく自信がなくなった。
 ここまで来ると、後は破局にまっしぐらであった。
「敏夫さんは一体何を考えているのかしら?」
 と、美沙が感じれば、
「せっかく、こっちが優しくしてあげて、これからのことを真剣に考えて行こうと思っているのに」
 と、敏夫は思う。
 敏夫の考え方は自己中心的なところがあり、それが高圧的な態度となって表れることで、一番神経が微妙な美沙にとって、これほど辛いことはない。敏夫ばかりが悪いというわけではない。元々は美沙が敏夫を信じることができないことから波及していることだからである。
 最後通牒は、敏夫が出してきて、それに対して答えられないという返事をしたのが美沙だった。
 美沙の父親は、美沙の口から二人が別れたという話を聞いて、すぐに対処を考え始めた。すでに堕胎できないところまで来ていたことで、生まれた子供は養子に出すということで、美沙の将来をリセットした形にしたのだ。
 敏夫に対しては、もう美沙や子供に関わらないという約束で、何も追及されることはなかった。敏夫にとってもリセットできたのであろうが、敏夫にも美沙にも、お互いに消すことのできないトラウマが根強く残ってしまったのは、当然であろう。
 美沙の親は、子供の精神的なところまで関知はしていなかった。
 敏夫に何も責めを負わせなかったのもそれが一番の理由であろう。
作品名:年齢操作 作家名:森本晃次