年齢操作
そこに共通しているのは、時間という観念だ。十年という違いの感覚が敏夫の中にあり、もし、自分で答えを見つけることができるとすれば、そこに何かがあるのではないかと思えるのだった。
敏夫は、真美としばらくの間、会わなかった。避けていたわけではないのだが、ひょっとすると、真美の方で避けていたのかも知れない。それも身体を重ねてからすぐにことだったので、敏夫とすれば、不安が募っていた。
真美がどのように考えているかが不安だった。
気持ちの高ぶりから身体を重ねたのであれば、衝動的な行動になるのだろうが、我に返ってしまうと、自分がしでかしたことがどういうことか考えると、敏夫を遠ざけるのも分からなくもない。
真美は処女だった。誰も真美を相手にしようとしなかったのか、真美が頑なに他の男性を避けてきたのか、敏夫は、後者だったような気がする。真美の身体は固く、開くにはかなりの緊張をほぐす必要があった。それは男性に対しての頑なさではなく、敏夫という相手に対して頑なだった。今までに処女を相手にしたこともあったが、同じように身体を固くしていたが、敏感な部分をほぐしてから開いてあげると、心も一緒に開いてくれた。しかし、真美に限っては、敏感な部分をほぐしても、頑なさは変わらなかった。身体だけではなく、精神もほぐす必要があるのだ。どのようにほぐしたのか、敏夫はその時のことを覚えていない。まるで吸い寄せられるような時間が過ぎていき、共通の暖かな時間が二人を包んだ時、真美は初めて敏夫に心を開いた。それは男性としてであり、今までの真美とは、完全に態度が違っていた。
真美が敏夫に会いたいと言ってきた時、
「敏夫さんを、本当のお父さんじゃないかなって思ってたんだけど、私の思い過ごしだったみたい」
「どうしてなんだい?」
「私には分かるの。敏夫さんが、私を父親として見ているわけではないということが。そして私も敏夫さんを父親だと思って見ると、その先に見えてくるはずのお母さんを感じないの」
「じゃあ、いつだったら、お母さんを感じるんだい?」
「お母さんは、いつも一人だった。本当のお母さんは、今のお母さんとは違う人だって分かっているつもりなんだけど、敏夫さんに抱かれた時に、その先に見えたのが、今のお母さんだったの。その時のお母さんの顔、とても寂しそうだった」
「寂しそうというのは?」
「まるで私が、遠くに行ってしまうのを見透かされた気がしたの」
「遠くに行くのかい?」
「いいえ、私が敏夫さんに抱かれた時、お母さんは悲しそうな顔をしたの。まるで私と永遠の別れを感じているような……。それでいて、私に対して、遠くを見るような、まるで他人を見るような冷たい目をしたの。あれは、嫉妬の目だって、すぐに分かったわ」
その時、敏夫は真美がいう「生みの親」というのが、朝子ではないかと気が付いた。分かっていたような気がしたが、確証があったわけではない。だが、嫉妬という言葉を聞いた時、朝子という女性は嫉妬深い女性であることを思い出したのだ。
その点では、美沙は従順で、嫉妬深さは雰囲気からは感じられなかった。それだけに、好きになった人を殺したくなるという感覚が分からなかった。相手が何か自分に対して嫉妬させるようなことをしたのであればまだ分かるが、何もないのに、ただ漠然と殺したくなるという心境は合点がいかない。
――嫉妬深い人間になりたくないという気持ちが強すぎるのだろうか?
気持ちの反動を感じる。反動という意味では、美沙も真美も、そして朝子にも、それぞれに反動のようなものがあったような気がする。
――俺の関わる女性は、何か反動を強く持った人ばかりなのだろうか?
敏夫自身、反動をいくつも抱えている気がしていた。しかし、抱えている反動を意識しないようにしているのも事実で、学生の頃は、一つ一つ真剣に考えて、解決していこうと考えていたが、いつの間にか、感覚がマヒしてしまって、なるべく反動を感じないようにしようと思うようになった。
それなのに、いつも気持ちの中で何かに反発している気持ちになっている。正義感を持っているつもりでいるが、実際は自分に都合のいい正義感であり、自分に反発しようとする人は、皆自分の敵である。
敏夫の反発は、反動ではない。反動は自分の意識に関わらず起こるもので、なるべくならまわりに知られたくないと思って隠そうとするものだ。しかし、反発は何か気に入らないことがあって、それに対しての反発なので、表に出そうという意識が強い。今まで敏夫に寄ってきた人たちは、それを自分が考えている反動と同じようなものだと考えていたのかも知れない。だが実際に違うことに気付き、敏夫から去っていく。
敏夫が自分のまわりから去っていく人の気持ちを分かりかねるのは、反発を受け入れられないと思っているからで、敏夫は反発していることを、自分の中で正当化しようとする。正当化は認められるものだと思っていない。認められないから反発するのだ。反発心は自分の力だという気持ちを持つことで敏夫は正当化しょうとしているのだ。
反動が自然の力なら、反発も同じく自然の力だ。反動もまったく意識していないわけではない場合がある。それは、相手の反発に対して反動を起こす場合である。
敏夫には、反発があるからと言って反動がないわけではない。他の人と同じように反動がある。必要以上に壁を感じると、そこに反発があることを意識させられるというのも無理のないことだ。
反動同士が共鳴し合うことはない。反動とは、それぞれの起こした現象に対しての反動であって、感情の籠ったものではない。しかし、反発は内に籠めたるものであっても、外に出て行こうとすう「意志」が働いているものだ。その人に意志があるのだから、相手にもそれが分かる。したがって、反発同士がぶつかり合えば、当然、共鳴もありうるというものである。
共鳴し合うと、相手の気持ちも分かってくる。相手の気持ちが分かってくると、お互いに刺激し合い、一足す一が、二ではなく、三にも四にもなるというものだ。誤解されないように言いたいことは、これはあくまで集団意識の成せる業ではなく、個人と個人の気持ちのぶつかり合いが、大きなエネルギーを生むことになるのである、
敏夫は朝子に会ってみたいと思った。今さら朝子に会ったからと言って、真美を取り巻く現状が分かるというだけで、分かったことが自分のためにどれだけのことになるというのだろう。
マイナス面が大きいかも知れない。現状を知ることで、実際に取り巻いている環境が自分に与えるショックが想像以上になるかも知れない。
――立ち直れないほどのショック――
思い浮かべるといくらでも想像できそうだ。
その中にこそ真実はある。だが、真実の中に、事実があるとは限らない。
それは自分が考えている理屈が、そのまま結果として現れるわけではないということだ。
――真実は、人それぞれにあってもいい――
というのが、敏夫の考え方だった。
この考え方は、朝子は分かってくれていたが、美沙には分からなかったようだ。
だからと言って、美沙が現実的な人間で、事実だけを見ている女というわけではなかったのだ。