年齢操作
子供ができると、精神的に不安定になることもあるだろう。さらにまわりから、矢のような攻撃にさらされる。子供を身籠った母体に、これ以上の負担は、子供のためにも掛けるわけにはいかない。
美沙にとっては苦渋の選択を迫られたことだろう。
「泣いて馬謖を斬る」
まさにそんな心境だったに違いない。
その代わり、
「自分の命に代えても、この子を守っていく」
という決意をした。そんなことではないだろうか。
もし、そういうことであるならば、美沙を責めることはできない。あの時、美沙に対して行ったストーカーまがいの行為は、自分では正当化されたものだと思っていたが、美沙を追い詰めることになったのかも知れないと思うと、敏夫はやりきれない気持ちになっていた。
美沙に会いたいと思ったのは、真美と知り合ってからだと思っていたが、ひょっとすると、美沙に会いたいという思いを感じたことで、真美と知り合うことができたのかも知れないという思いも頭を過ぎった。
もし、真美との出会いを運命だと思うのであるならば、美沙に会いたいという気持ちが真美と知り合うきっかけになったと考えることもできるだろう。美沙と真美、似ているところを探してみたが、意外と似ているところはさほどない。最初は、似ているように思ったのだが、それは美沙と元女房を比較して、あまり似ていないという意識を持っていたからだ。あの二人ほど似ていないわけはないという思いが、敏夫の中で、真美が似ていると勝手に思いこませる意識を生んだのだろう。
美沙は従順なところがあり、どちらかというと、肉親への情が厚い方だった。家族から言われると、従わないわけにはいかない。そういう意味では敏夫は他人なのだ。子供の父親は間違いなく自分なのに、それでも肉親を優先する。何とも因果な女に思えて仕方がなかった。
敏夫は、さらに昔のことを思い出していた。同じような思いをしたことがあった気がしたからだ。
あれは子供の頃だった。米軍キャンプがまだあった頃、母親が米軍の兵隊さんと浮気をしているという意識だ。
――そんなこと、今まで感じたこともなかったのに――
実は、その意識は美沙の意識だった。それを敏夫は分からない。それに、本当の美沙は、そんな浮気をした母親や、堅物のような父親に対して、情が厚いわけはなかった。敏夫の意識は真実と違うところで意識していたのだ。
しかもそれを自分のことのように感じていた。意識が交錯したのだが、こんな感覚も初めてではなかった。
やはり堂々巡りを繰り返しているからなのか、本人の意識の外での堂々巡り、いずれは気付くことではあるだろうが、敏夫にとって真美はいつのまにか、自分と同化してしまった存在になっていた。
これもなぜなのか、後になって分かってくる。真美の存在が分からせてくれるのだが、それが真美の書いている小説に端を発していた。
敏夫が書いている話がどうしても繋がらない時、真美を見ると目からウロコが落ちたかのように思い浮かぶことがある。それが真実に限りなく近いものであるようにも感じるが、実際には、限りなく近いのは、目に見えている部分で、見えていない部分に気が付くのは、やはり敏夫だけしかいないのだ。
敏夫が書いている話、そして真美が書いている話を照らし合わせてみると、一見まったく違った話に見えるが、ある一点に注目すると、面白いことが分かってくる。それは、
――誰を中心に書いているか――
ということだ。
敏夫の小説は、どちらかというとストレートな書き方なのだが、真美の小説は、
――誰を中心に――
という部分は、小説の核心部分になっていて、その部分をオブラートで隠していることで、最後まで読み進まないと分からない。どうかすると、分からないまま終わってしまうことになるが、分からなかった人には、この小説の面白さは分からないだろう。
――賛否両論のある話――
それが、真美の小説であった。
そして、真美の小説の面白いところは、
「逆から読んでみて、意外と面白いお話になっていると思うの」
と言われて逆さから読んでみると、
――なるほど、確かに違った発想の話に感じられる――
と思った。
それは、敏夫が時々感じている堂々巡りの発想に近いものがあった。
堂々巡りを繰り返すことは、堂々巡りを抜ける時のエネルギーを感じることのできる貯えであるのを意識していると、真美の話を逆から読んで、まったく違った話に感じるのと、似た感覚を受けるのだ。
ただ、真美の小説を逆さから読むと、その話の骨子は、敏夫の小説に似ている。その意識が、真美にあるはずなどないのに、真美に見つめられると、
――この娘は、俺のすべてを見透かしているかのように思える――
と感じさせられるのだった。
真美に見つめられると、それまで娘だと思っていた感情が、オンナを見ている感情に変わってしまう。真美もそのことを分かっているようで、それまで甘えていた表情が真剣な眼差しに変わる。
真剣な眼差しは、妖艶さを含み、すでにオトナのオンナを醸し出していて、
――この娘のこんな姿を、他の誰も感じることなどできないんだろうな――
と、真美が自分だけのものであるという感覚に陥るのだった。
お互いにすべてを知り尽くしている感覚になるくせに、実際はお互いのことを何も知らない。その感情が、相手をより一層求めて止まない感覚を生みだし、お互いの身体を貪らずにはいられないのだろう。
そこまで来れば、二人のその後の行動は大人の関係である。重ねた唇、肌の感触、どれを取っても、敏夫には懐かしさが感じられる。
それも昔の感覚ではなく、ごく最近感じたことだ。
女房と別れてから、女性と関係を結んだことはなかった敏夫だったのに、懐かしさを感じるというのは、それだけ真美との逢瀬は、夢のような時間だったのだ。
さらに夢のような時間は繰り返されているかのようだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるというが、真美の身体を貪りながら、快感に身を委ねていると、その時間はあっという間に過ぎてしまうような感覚を思い出させたのだ。
しかし、その感覚を思い出してくると、今度はまた、最初から快感を貪っているかのように思えてくる。ここでも堂々巡りを繰り返しているのだが、
――こんな堂々巡りなら、ずっと続いてほしい――
と思う。
男は一度快感の頂点に達してしまうと、すぐには元に戻れない。それよりも、我に返ってしまって、冷めた気分になるものなのだが、この時の堂々巡りは、快楽の頂点の寸前で、繰り返してしまうスイッチが入るのだった。
――あと少しだったのに――
と、最初は感じたが、状況に慣れてくると、快楽を持続させることこつが分かってくる。分かってくると、敏夫は、真美の身体を蒸さることに集中できるのだ。真美も、敏夫の愛撫に身を委ね、お互いに興奮の絶頂の寸前で、我に返るのだった。
「こんな時間、私初めてよ。ずっとこのまま、あなたと一緒にいたいわ」
と、時間の流れに従っていた。
元々が従順な真美である。流れにも敏夫にも従順であった。快感は二人を貫き、文字通り果てることを知らない。
「パパ……」