年齢操作
真美も口には出さないが、似たような思いを抱いているのかも知れない。時々、急に考え込んだりすることもあるが、それは真美にとって、敏夫との別の世界を開いてしまう扉のように思えてならない。その扉を開くと、そのまま二度と同じ場所には戻ってこれず、敏夫と一緒にいる限り、抜けることのできない堂々巡りを泥沼の中で繰り返し続けるしかないと思うのだった。
そういう意味で、二人は必ず平行線を描いていなければならない。重なり合うところを作ってしまうと、それが亀裂となりかねないと思っていた。だが、それを二人は肉体的なことと切り離して考えていた。スキンシップは、考え方の一致とは別物だと思っているに違いない。
実際に二人は、お互いに求め合っていることを意識していた。
――男と女の関係――
それを求めている。
ただ、どちらからかアクションを起こさないと、始まらない。二人同時に相手を求めるということは、この二人の間では考えられないことだったからだ。
年齢差というだけでも二人の間には壁のようなものがある。だが、それ以外のことを考えようとすると、年齢差ということを、どうでもいいと思えるほどの壁が立ちはだかっていることに気付かされる。漠然としているので、言葉にするのは難しいが、二人はお互いにそのことは感じている。
しかし、感じていることはお互いで微妙に違っていた。その理由は、やはり男と女の違いにあるだろう。この場合でも年齢差は関係ない。関係あるとすれば、どちらかが、年齢差を意識してしまった時に起こることである。
それはまるで浦島太郎のお話のようではないか。短い時間をあっという間に過ごしたように感じていると、本当の世界では、数十年も経過していた。おとぎ話というのは、精神的にちょっとしたことを疑問に感じた時などに読むと、最初に感じた思いよりも数倍も感動するに違いない。それは最初に気付かなかったことをより多く感じることができるからである。
敏夫と真美にとって、人に言えない関係を大っぴらにしたいと思っても、結局密かな恋になってしまうのは、浦島太郎の話を思い出す時の感覚になってしまっているからなのかも知れない。
自分たちだけの世界の中ではどんなに短い時間でも、まわりはマッハのごとく過ぎ去っている。結局最後は二人きりで、一気に年を取ってしまうか、そのまま誰も知らない世界で徐々に年を重ねていくしかない。
どちらがいいのかなど、決められるわけはない。
ただ、二人の中でどっちがいいのかということを考えていると、きっと二人は意見が違っているに違いない。微妙な意見の相違が二人の関係の原点でもあるのだ。
年齢的な違いなのか、それとも、二人が生きている時代が違うのか、その考えがこの物語の根幹にあるのだということを感じていただきたい……。
◇
敏夫は真美と知り合ってから、無性に美沙のことが気になり始めた。
子供ができたことで無理やりに引き裂かれてしまった二人だったが、もう少し粘ってみたかった気がするからだ。
本当は、何があっても美沙から離れたくないと思っていた。引き裂こうとするなら、それでも構わない。自分と美沙は強い絆で結ばれていると思っていた。
しかし、結局は別れることになった。原因は、美沙の心が折れてしまったからだ。
「せっかく敏夫さんが私を愛してくださるのは嬉しいですけど、私にはもうこれ以上、まわりを引っ掻き回すことはできません。どうか放っておいてください」
という内容の手紙をよこしたきり、それ以降、敏夫と会おうとはしなかった。もちろん、美沙の家族の方で、何をどのようにしたのかなど、分かるはずもない。美沙は頑なに敏夫を拒否し、表で出てくるのをずっと待っていたが、現れることはなかった。車で出かけられたら手も足も出ない、まさに敏夫は自分だけが孤立した気分だった。
表で待ち伏せなど、やっていることはストーカーだ。訴えられたら言い訳のしようがない。美沙の家族が訴えることをしなかったからよかったようなものの、その時の敏夫は、
――訴えられても構わない――
というほど、頭に血が上っていた。
冷静になれば、
――バカみたいなことをしたものだ――
と感じるのだが、それでも、もう一度同じ立場になれば、同じことを繰り返したかも知れない。
それは、自分の性格をそう簡単に変えることなどできないということであり、性格というよりも信念に近いものだと思っているからだ。そしてもう一つ考えられることは、自分が堂々巡りを繰り返している中にいるということである。
堂々巡りを繰り返しているというのは、何か嫌なことがあって、それを教訓としているはずなのに、似たような状況に陥ると、またしても、同じ道を選んでしまうということである。信念とは違った意味で、まるで吸い寄せられるように、同じことを繰り返してしまうことが人生には往々にしてあるものだ。しかも、それを否定できない自分がいる。頭の中で想像しても、できる想像は、その一つ以外にありえないからである。
敏夫は、その時本気で、美沙と結婚するつもりだった。いくらまわりが反対しても、美沙さえ自分の味方であれば、何でもできるからだと思ったからだった。しかし、その思いは根底から覆された。自分が信じていた美沙が、自分から敏夫を遠ざけたのだ。
敏夫には、
――美沙が逃げ出した――
としか思えなかった。
――自分がここまで思っているのに、自分から逃げるなんて、どういうつもりなんだ――
もちろん、敏夫の勝手な思い込みなのだが、敏夫は極限まで上げてしまった士気の高まりをいかにして沈めるか、どうすればいいのか分かるはずもなかった。
「はい、そうですか」
と言って諦めきれるはずなどありえない。完全に懸けた梯子を上り終わり、美沙が昇ってくるのを待つばかりの状態で、梯子を外されたのだ。
しかも外したのは美沙自身、一人上に取り残されて、美沙はまわりの人に守られながら、敏夫の視界から消えていく。まるで敏夫一人が悪者になってしまい、これほどの裏切りはないと思わされる結果になってしまったのだ。
美里はそれ以来会っていない。消息を訊ねる気にもならなくなった。
――あの家には関わりたくない――
しばらくして出した敏夫の結論だった。
敏夫には美沙に対して、恨みこそあれ、愛情のかけらも残っていないはずだった。
――殺してやりたい――
などという過激なことは考えないが、その代わり、自分の堂々巡りの責任を美沙一人に押し付ける形で、自分を正当化させる気持ちになっていったのだ。
――俺をこんなにしやがって――
女々しくないと言えばウソになるが、そうでもしないと、自分が立ち直れないと思ったのだ。せっかくこっちが彼女のためにと思っているのに、子供ができたこともあって、二人の気持ちを一つにしないといけないと思っているのに、自分だけどうして逃げようとするのか、敏夫には分からない。
しかし、今は少し分かった気がする。