年齢操作
という思いがあったのも事実だ。それは恋愛感情という意味だけではなく、父親のようなイメージの人が現れたとしても、好きになってはいけないという禁断の感情、そして母親に対しても、好きになってはいけないという気持ちは、自分の中に保守的なものがあることを感じたからであろう。
何を守りたいという感情があるわけではない。失いたくないものなど何もないのだから、守りたいものもあるわけではない。暖かい家庭、好きな人、そんなものは真美には無縁だったのだ。
ただ、それは敏夫が現れるまでのことだった。
敏夫と知り合って、初めて暖かな感情が湧いてくるのを感じた。それなのに、敏夫に対してだけ、他の人に対して感じた従順な気持ちとは違う何かがあった。それが甘えであることに気が付いた時、真美にとって、敏夫に対して父親の感情を初めて持たせた男性であることを感じさせた。
甘え下手なくせに、敏夫に対しては、甘えることができるような気がしたのだ。怯えがないと言えばウソになるが、初めて甘えることができるような男性が現れたことに、正直戸惑いを感じていた。
学生時代に付き合っていた彼とは、すぐに別れることになった。今から思えば当然のことであり、真美が彼に恋愛感情を抱いたことがないのだから、さすがに相手もそのことを悟ると、すぐに嫌気が差したのだろう。男の人に見返りなしを期待するのは無理なことだということに、その時初めて気が付いた。
男性に対しての気持ちも一気に冷めてしまった。
――好きになるに値しない人ばかりが、自分のまわりにいるんだ――
と思ったが、それは真美の考え方ひとつで、そう思っている以上、どこに行っても、好きになるに値する男性など、いるわけはないのだった。
男性を好きになるということが、真美の中で形式的なことになり始めた。形式的なことになってしまえば、よほどのことがない限り、男性を好きにならないだろう。もしなったとすれば、その人は、本当に真美が必要としている男性に違いないのだった。
真美は、学生時代に付き合っていた彼氏にも少し感じていたことだが、その時には、
――そんなバカなことがあるわけはない――
と否定していた。
しかし、敏夫と知り合ってから、またしても、その時に感じた思いが沸々とよみがえってきたのだ。さらに、今回敏夫に感じた思いは、学生時代の彼に感じた時よりも大きなものだった。もう、否定することなど、できそうにもない。
――可愛さ余って、憎さ百倍――
という言葉があるが、まさにそんな感情である。
好きになった人に対して、好きだという感情の他に別の感情が湧き上がってきた。感じてしまったら最後、否定することはできなくなる。どんどんその思いは強くなり、否定してしまうことは、自分を否定してしまわないとも限らないことだったからだ。
――私は、好きになった人に対して、殺してしまいたい――
という感情に苛まれていた。
殺してしまいたいというのは、当然尋常ではないことであり、どうしてそんな感情になるのかと、いろいろ考えたが、行きつく先は一つしかない。
――その人を独占したい。私だけのものにしておきたい――
という感情である。
もし、付き合っている人に浮気でもされたのなら、そんな感情が浮かんできても不思議ではないだろうが、浮気をされるどころか、まだこれから付き合おうという相手に対してである。片想いかも知れないのにである。
確かに殺してしまえば、絶対的に独占できるであろう。絶対的な独占のために殺してしまいたいという発想は、危険極まりない。分かっていることのはずなのに、一体どうしてしまったというのだろう?
――捨てられたくない――
という気持ちの裏返しなのだろうか? 先手必勝、まさにそんな考えである。
だが、真美の性格から、そこまで危険なことをしてまで守りたいものがあるというのだろうか? それに、殺してしまいたいという感情は、元々あったものというよりも、湧いて出たような感覚である。衝動的な感情に近いもので、何よりも一番戸惑っているのは、真美本人である。
実際に夢の中で、人を殺したことがあった。起きた時、ぐっしょり汗を掻いているかと思いきや、完全に目を覚ましていたにも関わらず、まだ夢の中を彷徨っている感じだった。
――人を殺すって、こんなにアッサリした気持ちになるのかしら?
と感じたほど、意識は平然としていたのだ。
――夢でよかった――
という思いがあったわけでもない。夢を見ていたことすら、幻のようだった。
テレビドラマで、人が殺されるシーンもさほど緊迫した気持ちになっていない。他の人がどんな気持ちでドラマを見ているのか分からないが、きっと、
――ドラマだから――
としか思っていないのだろう。
真美はその感覚とも少し違った。確かにドラマだと思って見てはいるが、それ以前に、――人の死を目の当たりにすることなんて、私にはないんだ――
と、完全に他人事にしか思えなかった。
他人事であればあるほど、殺したいという発想とは縁遠いはずなのに、どうして好きな人にだけ、そんなおかしな感情を抱いてしまうのだろうか? 二重人格を意識していないことで生じる副作用のようなものなのかも知れないと、真美は感じたのだ。
人を殺したくなる感覚というのを考えながらドラマを見ていると、今度は実際に死体が発見された場面よりも、解決編での殺した人の表情を見たくないという思いが強くなる。
――まるで自分を見ているようだ――
その人に感情移入してしまうからだろう。ただ、それは学生の頃のことで、敏夫と知り合ってからは変わってきた。
ドラマの同じシーンを見ていて、
――何か白々しさを感じる――
感情移入をする前に白々しさを感じるのか、それとも感情移入をした後で白々しさを感じるのか、それぞれによっても違ってくるのだろうが、やはり年齢を重ねるごとに、自分の中で、冷めた気持ちが膨れ上がってきているのかも知れない。
――好きになった相手への気持ちに反比例して、自分の気持ちが冷めてきているのかも知れない――
と感じるようになった。敏夫に対しての気持ちが強ければ強いほど、殺したいという気持ちも強くなり、自分がこんな気持ちでいることをまわりの誰にも知られたくないくせに、何も知らずに、平気な顔をしているまわりに対して苛立ちを感じている。実に虫のいい話である。
友達の中に、
「私は人を殺したいと思ったことあったのよ」
と、打ち明けてくれた人もいた。
「あなたにだけよ。あなたを見ていると黙っていられないの」
と言っていた。
最初はその気持ちが本心だったのだろうが、後になってから、彼女が自分以外の人にも話をしているのを聞いて、ショックを受けた。だが、実際には話した相手は真美が最初であり、他の人に話した時には、すでに精神的に病んでいたようで、神経内科に通うようになっていたようだ。