年齢操作
同じ感覚を繰り返すのは、人生の堂々巡りだと言えないだろうか。ただ、二十代の頃に感じた感覚と、今感じている感覚では少し違っている。二十代の頃の感覚は永遠に消えないような気がするのに、今感じている感覚は、意識していないと忘れてしまいそうな気がする。
忘れてしまうのではなく、慢性化していて、意識の奥の方に入り込んでしまっているのだとすれば、今感じていることの方が、決して忘れることのない感覚で、しかも、いつでも引き出そうと思えば引き出すことのできるもののように思うのだ。もっとも引き出したいと感じることがあるのかどうか、今は定かではないとしか言いようがなかった。
敏夫が過去を二十代の頃に何か忘れてしまったことを思い出す時が来た時、その時、敏夫は今の自分の年齢に対してどのように感じるのだろう。それを思うと、娘のように感じている真美に対して、どのような感情を持つことになるのか、怖い反面、楽しみでもある敏夫だった……。
◇
真美は、敏夫と知り合う前に感じていた自分の気にしている部分を、敏夫と知り合ってから忘れてしまったわけではないが、意識から外れていたことがあった。もし意識に戻すことがあるとすれば、それは敏夫に対して感じた第一印象から、少しイメージが変わった時になるのかも知れない。どのように変わるのか想像はつきそうな気がしたが、本当に変わってしまった自分を想像することはできない。あくまでも変わったらどうなるかを漠然と感じるだけでその先が見えないのは、それが自分のことであるからだと思っているからに違いない。
真美は敏夫と知り合う前、男性と付き合うなど、もっての他だと思っていた。それがたとえ、恋愛対象から大きく外れるような、例えば父親のような存在の男性に対しても同じ気持ちである。
小学生の頃から高校生になるまでは、実に暗い女の子だった。普通一人でいるような娘は共通した暗さを持っているものだが、真美の場合は、そんな暗さではなかった。人と違った暗さを秘めていて、真美自身自分で分かっていることだった。
別に人と比較したこともないので、自分が人と違っているという意識があるわけではないが、それならそれでいいと思っている。
大人の物差しで、
「変わっている娘だと言われるのは嫌でしょう?」
と、小学生の頃の先生からよく言われていた。その先生はまだ大学を出たての新任の先生だったので、親に言われているような感覚ではなかったが、子供心に、
――おばさんの考え方だわ――
と思ったものだ。
人と共通していないといけないなどというのは、ナンセンスな考え方だ。それでは個性などと言うものは育たないではないか。
中学に入ると、さらに集団生活を強要される。押し付けられているようで、さらに嫌になったのだが、元々人との共通が嫌だという考え方は、この押しつけという考えに行きつくことになる。
「他の人は明るくしようとして明るくなれるのかしら?」
人と比較することはあまりしたくはなかった真美だったが、自分が明るくしようとしても無理な性格であることを思うと、まわりが自然と気になってきた。
真美のまわりには、自然と暗い女の子が集まってくる。会話があるわけではないが、集まってくる女の子も真美と同じで、自分から明るくしようとしても無理な性格であることは伺い知ることができた。
話を自分からしようとしないからそう思ったわけではない。真美は自分の目を見て集まってくる女の子たちを見て、
――この子たちが明るくしている姿は思い浮かばないわ――
と感じた。
明るく振る舞うにはエネルギーを必要とする。それは発散するエネルギーでなければならず、そのエネルギーを感じることができないのだ。そして、逆に自分から明るくしようとすることができない人にもエネルギーが存在する。それは内に籠ろうとするエネルギーで、明るい人とは正反対のものだった。
そこまで分かっているのに、どうしてまわりの女の子たちが、明るくしようとして明るくなれないのかということが分からないのだろう。それは、真美には発散されるエネルギーを感じることができないからだ。
つまりは、距離が離れすぎているということだ。
真美に寄ってくる女の子たちとの距離は実に近いもので、至近距離であるから、エネルギーの発散がなければ、明るく振る舞うことができない人なのだと感じるのだ。しかも、彼女たちの内に籠ろうとするエネルギーも感じることができる。どれほどの深さの内懐を持っているかということも、真美には見ただけで分かるのだった。
本当は、そんな集団を作りたいと思っているわけではない。それなのに勝手に自分に皆近づいてくるのだ。中学、高校の途中くらいまでは、寄ってくる者を拒むことはしなかったが、高校の途中くらいから、少しずつ遠ざけようとしている自分がいた。
なぜ遠ざけようとしたかというと、真美は、一つのことに集中したり、意識を一点に集中させようとすると、まわりが見えなくなる。真美だけに限ったことではないのだろうが、真美のまわりが女性だけだったことで、集中させる意識を感じなかったのだ。
だが、高校二年生になって真美は好きな男の子ができた。彼も真美のことを意識しているようで、正確には、彼の方の視線を意識して、初めて真美の中に羞恥の気持ちが芽生えた。羞恥の気持ちは、自分が暗い性格であることを棚に上げ、まわりの暗い女の子たちをあまり見せたくないという身勝手な考えを生んだ。その考えが、初めての恋、つまり初恋であるということに気が付いたのはしばらくしてからのことだった。
まわりがどう思っているかは、この際どうでもよかった。すでに真美の視線は彼の方にしか行っていない。真美は彼のことを考えるだけで羞恥に身を震わせ、
――他の女の子たちも恋をしたら、こんな風になるのかな?
と感じていた。
この時は、他の人と違っていなければならないという考えは薄れていた。別にまわりはどうでもいいという考えの方が強かったのだ。
考えてみれば、それだけまわりを意識していたということなのであろう。人と一緒では嫌だというのはわがままでありながら、結局は意識していたということで、気持ちに「遊びの部分」はなく、張りつめた糸の中で一人、
――そのうちに切れてしまったらどうしよう――
という不安に駆られていたに違いない。
真美が好きになった男の子は、誰が見ても好青年で、きっと真美以外にも好きになった女の子はたくさんいるだろう。こんな時、まわりと遮断してしまっている自分の性格が恨めしく感じられるというのは皮肉なことで、まわりから、全体を見渡すように、彼を中心にして見るか、それとも、彼だけを集中して見つめ、彼の視線になったつもりでまわりを見るかのどちらかだろうと思った。