年齢操作
敏夫のことは忘れるつもりだった。
子供と無理やり引き裂かれ、自分は一人ぼっちなのだということを、嫌というほど思い知らされ、家族からも隔離される形で、世間から雲隠れさせられたのだ。
美沙は、そんな自分をいつも客観的に見ていた。客観的と言えば聞こえはいいが、自分から逃げているのと同じである。冷静な目で惨めな自分を見つめていると、何が悲しいのか、感覚がマヒしてくる。
――親が死んでも泣かないんだろうな――
と思うようになり、次第に親を憎む気持ちが当たり前になってしまっていた。
親は憎むものだという考えが頭にあるので、家族愛を描いたドラマなど、ウソにしか見えてこない。
――それなのに、どうして今さら、あの人に?
美沙は、敏夫の離婚をなぜか分かっていたようだ。
――あの人に降りかかる不幸を、私は感知できるみたいだわ――
離婚以外にも、それ以降、小さなことで不幸に見舞われた敏夫を見たことがある。いくら影から見つめているだけとはいえ、頻繁に現れては、すぐに見つかってしまう。時々見に行くと、不幸に見舞われている様子が見て取れる。敏夫は少しでも不幸が襲ってくると、自分の意識の外で、大げさに振る舞ってしまっているようだ。
離婚してからの敏夫は、寂しさ半分、今後への期待半分のようだった。ただ、本人はあくまでも離婚したことを寂しがっているように振る舞っているが、実際には離婚することで、自由に他の女性を見ることができると思っている。それまでは奥さんの目が厳しくて、少しでも他の女性に目が行くと、嫌みや嫉妬の視線が飛んできたに違いない。
敏夫の性格からすれば、他の人が、
「視線くらい、どうでもいいじゃないか。どうせ、夫婦生活は冷え切っているんだろう?」
と言われても、頭の中では分かっていても、実際に視線を浴びると、萎縮してしまうのだった。人の視線から簡単に逃れられないのは、自分がしていることを他の人もしているという意識が大きく、自分のしていることに対して少々のことでも罪悪感を持っているので、まわりの視線が痛くて仕方がないのだ。
だが、それも一部のことだ。特に離婚してから、いくつかの感覚がマヒしてきて、その中には罪悪感も含まれている。
まわりの視線が痛いくらいに感じるのは、被害妄想が強いからであろう。
――相手の身になって――
というと聞こえはいいが、自分の目線からだけでは、罪悪感に繋がるようなことは、なかなか分かりにくいものである。
感覚がマヒしているなど、美沙には分からなかった。簡単に分かるような視線を浴びせてはいなかったが、敏夫は気付く素振りがまったくなかった。気付かれないなら気付かれないに越したことがないと思っていたはずなのに、ここまでまったく無視を決め込まれると、分かっていないというよりも、わざと目を逸らそうとしているようにさえ見えて仕方がない。
美沙は、それなりにショックだった。
――この人にとって、私はこの程度の女だったんだ――
いくら自分たちの意志で別れたわけではないとはいえ、ここまでスッキリされてしまうと、呆れかえってモノも言えなくなってしまう。普段からあまりスッキリとした態度を取ることもなく、判断を迫られる時、必ず最後まで考え込んでしまい、堂々巡りを繰り返す寸前で戻ってくることを分かっている。
堂々巡りを繰り返すことは自分の中の世界を狭めていくことでもあり、一旦頂点まで考え込んでしまったあとには、スッキリとした考えが盛り上がってくる世界を見ることができた。
美沙のことを敏夫が分からなかったのも、実は無理のないことだった。
敏夫の中では、あの瞬間から美沙との時間は止まっていた。
――あの瞬間――
もし、美沙がそのことに気付いたとしても、あの瞬間がいつのことだったのかを知ることはないかも知れない。
普通であれば、男女が付き合っていて、別れてしまった。二人があの瞬間という意識を持ったとすれば、それは別れを感じた時か、別れが決定的になったと感じた瞬間であろう。だから、二人の間に「あの時」というのは、なかなか一致しないことが多い。美沙も自分の中で「あの時」というのを持っている。
美沙にとっての「あの時」というのは、二人が付き合い始めた時だった。それから美沙は自分が年を取らないのではないかと思うほど、幸せな時間を過ごしていた。敏夫が美沙を好きになったのも実は同じところで、
――この人は、俺のおかげで年を取ることはないんだ――
と感じた。
美沙が年を取らないと感じた時のことを、敏夫は自分のことのように覚えている。きっと、美沙が敏夫に無意識のアイコンタクトを送っていたのかも知れない。
敏夫にとって、「あの時」とは、まさに美沙が自分は年を取らないと感じた時であって、敏夫自身も実際に、頭の中ではその時から年を取っていなかった。
時間は経っているのだが、なぜかいつどんな時でも、美沙が年を取らないのではないかと感じた時のことを、まるで昨日のことのように思い出す。
敏夫は美沙と「永遠の別れ」をしてしまったことで、美沙という女性のイメージが、「あの時」で止まってしまった。それは別れを決めた時でも別れが決定的になった時ではない。その時だけ、美沙は一気に年を取ってしまったかのようにやつれていたのだ。
精神的に元に戻るにしたがって、年相応の表情になっていき、次第に敏夫を忘れることで、敏夫との時間を「失った時間」と割り切ることで、立ち直ろうとした。敏夫には悪いと思ったが、そうでもしないと立ち直ることはできないし、立ち直っても、一旦やつれてしまった顔に、生気が戻ることはないのではないかと思われた。
それでも時間の経過とともに、それなりに老けてくる。敏夫も自分の止まった時間をいつかは一気に進めてくれる「玉手箱」のようなものが、現れるような気がしてならなかった。
ちょうど、美沙が敏夫の前に現れたのは、そんな時だった。まだ敏夫の中で時間は止まっていた。それを動かす玉手箱は、皮肉なことに美沙だったのだ。
美沙が現れたことで、敏夫は最初止まった時間の中にいる美沙しか、自分の中で認めようとはしなかった。だから、年相応になっていた美沙を見て気付かなかったのである。だが、美沙の視線を敏夫が浴びた時、止まっていた時間が一気に動き始めた。急激に動いたので、敏夫の神経も表情も、それまでのものとは違ってしまっていた。本人は、堂々巡りを一瞬にして幾度も繰り返したようなおかしな感覚になったことだろう。平衡感覚は失せてしまい、昨日のことのように思い出すのは「あの時」だけになっていた。ただ、それが美沙が現れたから「あの時」だけが昨日のことのように思い出すようになったわけではない。美沙が現れなくても起こっていたことだ。微妙なタイミングが思い込みに大きな影響を与えるものだということを、その時の敏夫には分からなかったのだ。
敏夫が、
――自分の考えていることが現実になるようなきっかけを与えてくれる出会いや出来事が、最近多くなってきた――
と思うようになったのは、美沙が現れて、その後離婚して、さらにそのだいぶ後のことだった。