年齢操作
とまで考えるようになっていた。一年も経たずに終わってしまったというのは、敏夫にとっての、大きな運命の一つだったのかも知れない。
その時期を超えると、鬱状態はどこへやら、すっかり明るくなった自分を感じるようになっていた。
だが、相変わらず人との関わりはあまりある方ではなかった。何しろ一年近くも他の人との関わりを一切断ち切った気分になっていたのである。相手からもそうであろうが、自分からまわりに溶け込むのは、なかなか難しいことである。
敏夫の性格として、おだてに弱いところがあった。
人から褒められたりすると、すぐその気になってしまう。敏夫がどん底の状態から抜けられたのも、ちょっとした人から褒められたことがきっかけだったのだ。しかも、それが対人関係についてであれば、余計にそうである。仕事でちょっとしたアドバイスが、相手のためになることであり、その人のプライベートでの悩みまでも解消してあげられる言葉だったようだ。
本人にそこまでの気持ちはなくとも、相手の受け止め方一つでどれほどの感謝の気持ちを与えられるかを知ったことで、
――俺一人固執していても、仕方がないか――
と、それまで無意識に入っていた肩の力を抜いてみると、それまで見えていなかったことが見えてきた気がした。それがお互いに暖かな気持ちに包まれていることに気が付くと、まるで目からウロコが落ちたようになっていた。少しずつではあるが、人との会話が増えてくると、それまでまわりが見ていた敏夫とは違った姿が見えてきたのだろう。
「見直した」
という言葉がまわりから聞こえてきそうだったのだ。
それからの敏夫は、まわりを目に見えない暖かいベールが自分を包んでくれているように思えた。それが敏夫にとっての、
――おだてに弱い――
という性格と調和して、プラスアルファの暖かさを与えてくれているような気がしたのだった。
「おだてられて力を発揮するというのは、それは本当の力ではない」
とう人もいるが、敏夫はそうは思わない。
「おだてられて力が出るのであれば、それはそれでその人の立派な力だ」
と思っている。
その違いは、
――使うものと、使われるものの違い――
だと思うようになっていた。
確かに使う者とすれば、おだてられて出す力を疑いたくなっても無理もないと思う。ただ、それは、おだてということだけに限らず、他のことにも言えることである。使う側にとっては、少々のことで相手を信じてしまい、もしそれが違った時のリスクは大きいと思うことであろう。ただ、それも技量の大きな管理者であれば、自分の目をまずは信じるだろう。おだてに弱いことだけで相手のことを判断せずに見ていると、さらにハッキリとした相手の性格を見ることができる。中途半端な管理者かどうか、使われる側からも見ることができるだろう。だが、敏夫にはそこまでの力はない。自分が管理者になるなど、まだまだ先だと思っていた。
敏夫は、その頃になると、また女性を意識するようになっていた。
――同い年くらいの女性は、少し嫌だな――
と思うようになっていた。
そのうちに、気になってきたのが、娘くらいの女の子であった。性癖に気が付いた時期でもあったこともあり、少し複雑な気持ちの中で、娘のような女の子と一緒に出掛けるイメージを抱いたりしていた。
映画に行ったり、遊園地に行ったり、その時の自分も高校生になった気分だったのだ。
だが、気分は高校生でも、気持ちは大人だった。
――父親が娘を見つめる感覚――
これが、敏夫にはあった。
娘と父親は禁断のイメージしかなかった。性癖が邪魔をするからなのかも知れない。だが、
――俺は娘がほしかったのかも知れない――
と思うと、禁断の気持ちが薄れていったのだ。
そんな頃に知り合ったのが真美だった。
真美と趣味が共通しているというところで、自分が小説を書くようになると、今度は題材を自分のことと、真美の過去を勝手に想像することから始まった。そのために敏夫はわざと真美に過去を話させないようにした。
真美も自分から話すことはなかったが、ところどころに聞こえてくる話もあったのだ。
その一つが、父親のいないということだった。父親とは死別なのか、それとも親の離婚によるものなのか、詳しい話を聞けなかった。
ただ、今は両親が揃っているという話を聞いたのだが、どうやら、それが養子だという話を聞くに至って、かなり複雑な人生だったことを伺わせた。
気になっている女の子を小説の題材にしていいものなのかという気持ちもなくはない。そのことが自分にとって、真美に対してのどんなイメージに繋がるのか、興味もあったが、考えることへの罪悪感もあったのだ。
複雑な思いは敏夫にとって、真美に対して好きになってしまったという気持ちをさらに深める結果にも繋がった。繋がったというよりも、真美を最初に好きになった気持ちを再度思い起させ、忘れないようにするために必要なことでもあった。
敏夫は真美に対して、女性として見ている自分に罪悪感があった。真美に対していくつか罪悪感を持っていたが、その一つであり、一番強いのが、
――女性として見ている自分の存在――
だったのだ。
父親として、真美に接しようとする自分に、
――真美に対して、寂しい思いをさせたくない――
という気持ちが一番強いことを思い知らせていたにも関わらず、真美に恋愛感情を持ちこんでしまうことは、反則に思えて仕方がない。もちろん、真美自身がどのように考えているかというのも重要なことだが、それを確かめるすべもなければ、勇気もない。その気持ちを確かめるには、自分だけではどうしようもないと感じたのだ。
まず、第一自分から口にして、真美が本当のことを話してくれるかということが一番肝心なことだった。まだ十歳代の女の子が戸惑ってしまい、それまで好印象を感じていた相手に対して、戸惑っている相手の質問にどう対応していいかなど、押し付けるわけにはいかないだろう。
◇
真美の小説を読んでいると、なるほどと思わせるところが随所にある。
それは父親がいないことを匂わせるもので、敏夫は父親がいないことを聞いていたので、小説を読んでいて、
「なるほど」
と思わせるところがあるのだ。
だが、「なるほど」と思わせるだけではなく、「なうほど」と唸らせるところもあった。
それは、他の人が読むと父親がいないということをボカシながら、実にうまく表現されているところがあったからだ。
父親がいないことを、他の読者は知らない。だから読んでいて、
――この描写は父親がいない寂しさが滲み出ているのだ――
と感じることもない。
それは、真美の小説に出てくる父親は、誰が読んでも、
「これは自分の父親と同じだ」
と、つまりは、誰もに共通する父親像が描かれているのである。
誰もが、納得する内容を、それぞれの立場で網羅できるというのは、天才的な技法であるが、まさか描いている本人が本当の父親像を知らないなどと思うはずもない。それが小説を読んでいて、
――唸らせる――
ということになるのであった。