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――結婚にもまわりを説得するのに思ったよりも気を遣った――
 と思うのだが、離婚は誰を説得するものではない。ただ、自分が離婚という現実を受け止められるかどうかの問題である。
 それなのに、エネルギーは離婚の方が何倍も大きいのだ。
 それは、離婚した後と結婚した後で待っている自分の人生の開きが決定的だからであろう。結婚を人生の頂点だと思っている人にとっては。
――結婚さえしてしまえば、あとは二人で幸せな人生を作っていけばいいのだ――
 と思うのだろうが、離婚を目の前にすれば、
――寂しさと後悔、そして何よりも幸せだと思っていた今までの人生をすべて否定されたような虚しさが残ってしまう――
 この思いこそが、エネルギーを一気に使い果たす原因になっているのだろう。
 今までの自分を否定することがどれほど大きなことか。それは前を見ることができなくなってしまったことを意味している。前を見ることができないと、まるで、真っ暗な中を一歩足を踏み外せば、底のない奈落に突き落とされるような道を歩かなければいけない気分であった。奈落の底なら、まだ底がある。しかし、底のない場所は、絶対に這い上がってくることのできない場所である。そんなところにいなければいけない自分は、夢とうつつの間を彷徨っているだけで、出口の見えない暗黒がエネルギーを勝手に吸い取っているのだった。
 後悔の中で、生まれるものもある。
――諦めは何も生まないが、後悔は先を見つめるためのものでもある――
 本当は後悔をするくらいなら、しない方がいいと言われることが多いのだろうが、敏夫はそうは思わない。後悔をしても、それを糧に次の人生に生かすことができれば、それは有意義なものになるのだと思うからだ。
 もちろん、反省をしないと後悔はただの諦めに変わってしまう。後悔は、考え方によって反省に変わるか、諦めに変わるかの分岐ではないだろうか。もし、こんなことを他の人に話すと、
「お前の考えは歪んでいるな」
 と言われるかも知れない。
 だが、それも一度離婚という人生の後退を経験したことのある人間だから感じることのできるものなのではないかと思うのだった。
 四十歳になってから、再婚をしたいという思いはほとんどなくなっていた。
 女性と付き合ってみたいという思いはあるのだが、結婚することで、お互いに何のメリットがあるのかという思いに駆られてしまうのだ。
 相手が同い年くらいであれば、子供もなかなか望めない。また、子供がいる人と結婚したとして、自分の血の繋がっていない人を、果たして子供だと思えるかどうかと言われれば、疑問である。結婚相手の子供という意識を持ってしまうと、却って他人だという意識が強くなり、子供だという意識を持つことが難しいのではないかと思うのだ。
――真美に対して、娘のように思えるのに、何か矛盾しているようではないか――
 と、自分に問いただしてみるが、納得のいく答えなど見つかるはずもない。見つかるはずもないと思いからこそ、真美を娘のように思えるのかも知れないと思うと、矛盾の中にある矛盾が、プラスに作用するのではないかと思うと、納得はできないが、無碍に納得できないと萎縮してしまうこともないだろう。
 別れた女房と結婚するきっかけになったことも、ほとんど覚えていない。まるで遠い昔のことを思い出そうとしているようで、
――思い出せないのは当然のことだ――
 と自分に言い聞かせているような感じであった。

                   ◇

 いろいろな女と付き合ってきて、その都度、
――付き合うんじゃなかった――
 と思い知らされたのは、
――前に付き合った女性の方が、まだよかった――
 と、どうしても比較してしまうからだった。女性と付き合うたびに、悪い面しか見えていないように思うのだが、それは悪い面が先に見えてしまって、悪い面からしか相手を見ていないことで、嫌いなイメージだけを残して別れる結果になった。だが、実際にはいい面も見えていた。それを見えていないように感じるのは、無意識の感情なのか、それとも意識して見えていないように感じるからなのか分からない。いい面が見えているという事実を認めたくないのも事実なのだろう。
 意識しないまでもいい面は見えているのである。だからこそ、目は確実に肥えている。そうなると、意識の中で、
――女性は嫌いなんだ――
 と思っていたとしても、目は実際には肥えているので、さらに前の女性の面影がいいものとして残っていたとしても、それは無理もないことである。
 女性に対してのイメージは、敏夫は減算法で考えている。これは敏夫に限らず他の人もそうなのかも知れない。
 最初は、誰もが百パーセントのイメージで見るから、好きになった相手を百パーセントに近いイメージで意識する。次第に嫌いなところ、嫌なところが見えてくると、マイナス点となり、逆にマイナスされても、その中で少しでもいいところを見つけようとして、見つかるとプラス点となる。上向き、下向きの折れ線グラフを繰り返しながら、次第に下降してくるグラフの中で、自分で設けた限界線を越えるか超えないかで、別れるかどうかが決まるのである。
――こんなことを考えているのは、俺だけなんだろうか――
 と思った時期があったが、程度の差はあるものの、他の人、男女を問わず、大なり小なり、皆同じような意識を持って付き合っている相手を見ているのではないかということに気付く時がやってくる。
 もちろん、気付かないまま通りすぎる人もいるが、気付くのは、自分の中での限界線が見えてきた時である。
 自分の限界線が見えてくると、相手が何を考えているか気になってくる。それまでに気にしなかったわけでもないが、限界線が見えて、次第に自分が別れという言葉を現実のものとして意識し始めたことを感じるのだ。
 別れを感じ始めると、それまで自分が相手の立場に立って見ていなかったことに気付く。それが幸せボケに近いものであることを悟ると、相手が自分とは違う人間であることを今さらながらに知ることになる。
 当たり前のことを当たり前に考えられないのは、相手に甘えているからであり、しかも、自分の考えが付き合っている中ですべてなのだという驕りがあるからだ。
――我慢しているのかも知れない――
 という相手の発想を、まったく考えないのだ。
 いい意味でも悪い意味でも、相手のことを考えなければ、相手を一人取り残してしまって、自分だけが突っ走ってしまう結果になるだろう。そんなことになってしまうと、破局はあっという間だ。
 因果なもので、ここまで来ると、今までの経験からどうなっていくのか、想像がつく。別れ慣れしてしまっていると、別れることも事務的な感覚になる。
――やっぱりこの人はこういう人なんだわ――
 と、相手は思っているのかも知れない。
 付き合って行くというのは、一本のレールを一緒に歩いていくことであり、お互いに一本だと思っているレールが一組になっていることに気付かないものだ。二本のレールは、それぞれがその人の個性であり、考え方。それを一本のレールだと思えるのであれば、それが一番ではないかと最近では思うようになった。
作品名:年齢操作 作家名:森本晃次