年齢操作
「私が書いてみたいと思ったのも、本を読みながら、自分の中で他の人と違った観点から読んでいるんじゃないかって思ったことがきっかけだったの。きっかけなんてどこに転がっているか分からないものだけど、でも私は自分が読めるようになったのは、読むためではなく、書くために読むことができるようになった気がしてきたの。一足飛びの発想なのかも知れないけど、そう思うと、読めるようになるまで時間もかからなかったし、読めるようになったことで、何となく書くこともできるという自信が、きっと他の人が同じことを考えるよりも、強いものになるって思うようになったからなのかも知れないわ」
「俺には、とてもそこまで行きつくことはできないような気がするけど、書いてみると、少しは違った世界が見えてくるかも知れないな」
書きたいと思ったことも事実だが、真美と共通の趣味を持つことで、会話の幅が広がるのが嬉しかった。だが、書いていると、実際に感じているよりも、楽しく感じられるようになってきたのだが、それがどうしてなのか、すぐには分からなかった。
真美を見ていて、その横顔に魅力を感じている自分に、敏夫は気付いていた。それは、小説を書いている時の視線であり、普段見せる可愛らしさとは違ったものであることが分かったのは、少ししてからだった。
「私は、小説を書くようになってから、人と話す機会がグッと減ってきたんです。元々、クラスメイトや友達と話すくらいだったんだけど、小説を書いていると、その会話をする時間がもったいなく感じられるようになったのよね」
その気持ちは分かる気がする。自分の世界に入り込んで書いているのが小説である。ある意味、自由な発想が自分の中でナルシズムを作り上げることもあり、まわりの会話が自分の発想の邪魔になるくらい低俗に感じられるほどになると、会話をするのが時間の無駄と考えてしまうのも無理のないこととなるだろう。
真美という女の子は、高校生にしてはしっかりした考えを持っている。趣味と正面から向き合っていて、自分の高校時代とは雲泥の差である。そんな真美と知り合えたのは新鮮な気がする反面、自分の過去を思い出して、まるで無駄な時間を過ごしていたことを思い知らされたようで、知りたくなかったことを思い知らされたようで、少しショックであった。
それでも敏夫は、高校時代に戻って、やり直したいとは思わない。この年齢から遡るには、あまりにも道のりが遠すぎるように思うのだが、もし、一年くらいの時間であっても、時間を戻してやり直したいとは思わない。その理由は、まわりすべてが、同じ時代に戻るということしか発想できないからだ。
その時代に、今の意識のまま戻るのか、時間も自分の意識もすべてが遡るのかによって、考え方がまったく違ってくる。
すべてを戻してやり直すのであれば、また同じ過ちを繰り返さないとも言えないが、かといって意識をそのままに遡ってしまうと、今度はまわりすべてを知ってやり直すことになるので、それだけの責任がある気がするのだ。そんな大きな責任を背負ってまで繰り返す人生、あまりにも大きすぎて、押し潰されないとも限らないと感じるのだ。
四十歳を超えて、まるで娘くらいの女の子と知り合うのは、忘れていた胸の高鳴りを思い出させてくれる。しかも、それは確かに過去に感じた覚えのある高鳴りで、忘れていたのか、それとも自分で封印していたのか、もう一人の自分と対話しているかのようで、真美に対しての想い以外に、自分の中に感じるものを見出すのだった。
小説を書けるようになったのは、もう一人の自分との対話を意識するようになってからだ。胸の高鳴りについて聞いてみると、もう一人の自分は答えてくれる。言葉で聞いたことを感じるなどありえないと思っていたのに、もう一人の自分の言葉は胸の奥を打ち、明らかに胸の高鳴りのその理由を、自分に感じるよう、答えをそよぐ風のように与えてくれるのだった。
それでも、最初はなかなかうまく書けない。
「最初から、うまく書こうなんて思うからだよ。最初は、とりあえず最後まで書いてみるという気持ちで書き始めればいいんだ」
「途中で辻褄が合わなくなってくるんじゃないかな?」
「それでも強引に書いていけばいい、そのうちに辻褄が合うようになってくる。まずは、書き上げることがどういうことかというのを感じるのが大切なんだよ」
心の中での会話を思い出していた。言葉尻に正確さはないとはいえ、おおむね間違ってはいない。なるほど、書き上げることが大切、ゴールを見てみれば、そこにあるものが自分に何かを教えてくれるかも知れない。
そうは言っても、なかなか最後まで書き終えるのは至難の業だった。落としどころをどのようにするかも大切なこと、少しずつ文章を長くしていけるようになると、膨らみすぎた内容を収めるのも、難しいものだ。
「始めるのは簡単だが、いかに終わらせるかが重要だ」
というのは、世の中には案外と多いものである。
話を書き始めると、書いていて、いろいろなことが頭を過ぎる。それを枝葉のようにして書いていくと、最後には、どこで収めていいのか分からなくなるからだ。どうしても、文章を続けようと思うと、思いついたことに飛びついてしまうのは無理もないことで、初心者はどうしても、陥るところでもあった。
敏夫も、最初収拾の仕方で迷ったものだ。それでも何とかまとめてみると、書き上げた喜びがこみ上げてきた。どんなものでも完成すれば嬉しいものだ。書き上げることができた最初の作品は、公表できるほどの作品ではないが、印刷してバインダーに綴じ、大切に保管している。今でもコンクールに応募してみたりはしているが、一次審査に通過したころはない。書き上げることができるようになった時は、
「いずれは新人賞でも狙って、作家の道を」
などと考えたりもしていたが、さすがに一次審査に通過できない実力では、自分の驕りを感じないわけにはいかないだろう。最近では、新人賞を狙ってみようとは思いながらも、それはダメ元であって、趣味として楽しむ時間を持てることが一番の喜びだと考えを改めるようにしていた。
真美も同じような話をしていた。
「真美は、まだまだ若いんだから、狙ってみてもいいかも知れないよ」
と、応援してあげたい気持ちで話をしたが、
「自分の実力は分かっているつもりなのよ。それにね、もし新人賞を取っても、作家として生きていくかと言われたら、微妙な気がしているの」
「どうしてだい?」
「私が現実的過ぎるのかも知れないけど、作家になるには、それなりの素材が必要だと思うの。それは性格的なものが含まれていて、私にはとても作家になれるような性格は持ち合わせていないし、技量も追いつかないのよ」
冷静に自分を見つめてから話をしているのか、それとも出版業界のこと、作家になってからの生活を考えたりすることで、どうしても現実的にならざる負えないのではないだろうか。
真美と敏夫が書く小説のジャンルはまったく違っていた。