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表裏の結界

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 汗臭さの中に、タバコの臭いも混ざっている。あまり好きではないタバコの煙だったが、この時に感じた汗臭さと一緒になっていると、タバコの臭いも嫌ではないように感じたのは実に不思議な感覚だった。
 しかも、その汗の臭いは一種類ではなかった。真っ暗な中にある湿った空気の中に二種類の汗の匂いを感じた。一つは馴染みのある匂いで、それがすぐに自分のものだということが分かった。
 ただ、この匂いは、自分が悦びを感じている時の匂いだということも分かったことで、急に恥ずかしくなり、顔が真っ赤になったのを感じた。それがさらに焦りを誘発し、夢心地から次第に意識が戻りつつあるのを感じた。
――いや、このまま夢心地でいたい――
 と、意識が戻るのを拒否している自分がいた。
 しかし、そんな感情などお構いなしに、意識はどんどん戻ってくる。そして一気に現実に引き戻されると、自分の上には男がいて、必死で自分の身体を貪っているのを感じたのだ。
 急に恐ろしさが込み上げてきた。抵抗しようにも身体にまったく力が入らない。それを思いと、身体の痺れだけで力が入らないわけではないと思った。
――私は、この人を求めている?
 夢心地から覚めたくないという思いに繋がる感覚だ。
 自分に折り重なっている男性が譲二であることは分かっていた。
――処女だということがバレてしまう――
 襲われることよりも、処女がバレてしまうことの方が恥ずかしいという感覚に陥ったのは、どういう心境からであろうか。
 真っ暗な部屋の中で、男の吐息が漏れていた。ただ、その合間に、もう一つの吐息も感じられた。その正体をすぐに看破した千尋は、
――いやだ、恥ずかしい――
 と感じた。
 無意識のうちに悦びの声を挙げていたのだ。
 自分はその状況がどのようにして引き起こされたものなのか分からない。
 自分から彼を誘ったのか、それとも、酔いつぶれたのをいいことに、強引にどこかの部屋に連れ込んだということなのか、どちらにしても、自分が処女である時間が、刻一刻と短くなってきていることを実感していた。
「いずれは、処女を失うんだわ」
 という程度にしか処女に対して意識していなかった千尋にとって、このシチュエーションはあまりにもセンセーショナルすぎるものである。
 しかし、この状況は千尋が今感じている、
――流される感覚――
 として流してしまったことが、いずれ自分の運命を大きく変えてしまうことになろうとは思ってもいなかった。
 しかも、その運命は自分だけのものではなく、少なくとも他に一人は影響を与えてしまうことになる。それを千尋の罪だと言ってしまうと千尋が気の毒だが、運命が変わってしまう時というのは、えてしてこういうものなのかも知れない。
「いや、運命は変わってしまったものではなく、分岐点を迎えただけだ」
 運命についてのテレビ討論で、大学教授が話をしていたのを見たことがあったが、なぜかその時、千尋の頭をその言葉がよぎった。少なくとも、千尋はこの時に、自分の運命が変わってしまうのではないかと直感したようだった。
 男によって女の運命が変わるというのは往々にしてあることだが、中には、
「自業自得だ」
 と言われることもあり、
「自分は男で運命を変えるようなことをしたくない」
 と嘯いていた千尋だった。
 千尋はこれを運命だと思った。今まで、自分には運命などというのを信じていないと思っていたが、それは実感が湧かなかっただけであって、運命らしきものを感じてしまうと、
――こんなものか――
 と、アッサリとした気分になった。
――これなら過去にも感じたことがあったのかも知れないわ――
 あまり深く考えない千尋は、自分から運命という言葉を遠ざけていたのだ。運命だと思えるようなことであっても、勝手にスルーしてしまって、そんな自分を、
――冷めた人間だわ――
 と思うことで納得させてきた。
 そういう意味で、千尋は世間知らずである。しかも、そのことを自覚していないことが千尋には致命的だった。
 そのことを忠告してくれる人もいない。なぜなら千尋は思ったことを自分からすぐに口にするタイプということもあって、自分の意識しない間に、敵を増やして行ったのだ。そのことを知っているのは和人だけだったが、下手に千尋にそんな忠告をしようものなら、逆上されると思ってなかなか口にできない。
 千尋が自分の肉体に自信を持ちながら、同時にコンプレックスを持っているということに和人は気づいていなかった。
 それは、千尋も和人も二人とも、処女であり、童貞だったからだ。
 どちらかが、先に初体験を済ませていれば、済ませた方が冷静になって見ることができ、対等な目のバランスが崩れることで、お互いの立場が確立することになるだろう。
 どちらも遠慮してしまうことで、ぎこちなくなってしまった二人の関係は、言いたいことも言えないという交わることのない平行線を描くことになってしまっていた。
 千尋はその日を境に、譲二のオンナに成り下がってしまった。譲二は最初のうちこそ千尋に優しく、お金も気にすることなく使っていたのだが、途中から、急にお金の羽振りは悪くなった。
「どうしたの?」
 千尋は、それまでに譲二に感じたことのなかった不安を感じた。これまで全幅の信頼を置いていた相手が急に不安を帯びるのだから、その不安の度合いは、自分でも想定外だったことだろう。
「あ、いや。少しお金に困ったことがあってね」
 申し訳なさそうにしている譲二を見て千尋は、
――私が何とかしてあげなければいけないんだわ――
 と感じるようになった。
「実は、友達の保証人になってしまったことで、僕がその保障を担ぐことになってしまったんだ」
 よくある話ではあるが、世間知らずの千尋には、聞いた話があまりにも唐突すぎて自分の、いや、自分たちが置かれている立場が分かっていなかった。
「一体、いくらなの?」
 とにかく、どれほどの金額なのか、それが一番の問題だった。
 まず、千尋が金額のことを聞いてきたことで、譲二としては、ほくそ笑んでいた。
――やっぱりこのオンナ、世間知らずだ。騙すことはそれほど難しいことではない――
 と感じた。
「百万円ほどなんだけど」
 あまり高い金額を言ってもうそ臭いし、かといって、低すぎても深刻さが伝わらない。百万程度がちょうどいいだろう。
 譲二は、下を向いたまま顔を上げようとしない。それを見た千尋は、さらに不安が募ってきた。しかし、すでに彼との逢瀬に溺れかけていた千尋は、自分の中にある、
「何とかしてあげなければいけない」
 という母性本能に似た感情を抑えることもできなくなった。
 さらに、ベッドの中では主導権を完全に握られているので、それ以外で自分にも握ることができる主導権を欲していたのも事実だった。
 二人は、その日、結論が出ることもなかった。
 そしていつものように、自然とベッドに入った。
 ベッドの中では完全に主導権を握っていたはずの譲二が、まったく元気がない。どこか上の空で、何よりも、身体が反応しないのだ。
――ここまで思い詰めているんだわ――
作品名:表裏の結界 作家名:森本晃次