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表裏の結界

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 彼が自分の想定外の行動をしようとしたこと。そしてそれが紳士としての彼の株を上げることになるという二つのことが、千尋に思い切った行動を取らせたのだ。
 彼はニッコリと笑顔で、
「いいですよ」
 と、快諾してくれた。
 さっきはあれだけ、何事もなかったかのように立ち去ろうとした彼が、笑顔で快諾してくれたというのも、千尋の中では少し意外だった。
――何もなかったかのように離れていこうとした人が、何の抵抗もなく快諾してくれるなんて――
 確かに彼を見ていて、遠慮の言葉が出てくるような雰囲気には見えなかった。この場面での遠慮というのは、すぐに快諾してしまうと、下心が見え見えになってしまうので、それをごまかすような、いわゆる社交辞令でしかない。そんなことは煩わしいことだとでも言わんばかりの彼に、千尋は潔さを感じ、爽快さが滲み出ていると感じた。
「では僕が知っているバーにでも行きましょう」
 彼は、千尋の前に立ち、歩き始めた。最初は助けてくれたという印象から、ガッチリとした体格をイメージしたが、彼の背中からは華奢な雰囲気しか感じられない。
――まるで女性のような雰囲気だわ――
 金髪でのイケメンタイプ、華奢な雰囲気から、まるでホストクラブの男性のように思えてきた。
 そう思うと、急に不安が込み上げてきた。
――しっかりしていれば、溺れるようなことはない――
 と千尋は感じた。
 それにホストクラブに溺れる女性は、もっと熟年の女性で、自分をオンナとして見てくれていて、自分に従順な男性から離れることができないからだというイメージを千尋は持っていた。あくまでも映画やドラマでのイメージだが、
――自分は大丈夫だわ――
 という思いに駆られるには十分だった。
 彼が連れていってくれたバーは、地下に入っていくところで、あまりバーになど来たことのない千尋には新鮮な感じがした。流れてくるジャズの音楽も、聞いたことがあるようなムーディなもので、クラシックなイメージが好感を抱かせた。
「いいお店でしょう?」
「ええ」
 二人はカウンターの中央に座り、マスターに対峙していた。他に客はおらず、彼が中央を選んだということは、その後も他に客が来ることはないと思ったからなのかも知れない。
「僕の名前は譲二。一応、バーテンダーなんだ」
「えっ?」
 言われてみれば分かる気もしたが、そんな彼がバーに連れてきてくれるというのは、どういう心境なのだろう?
 千尋はマスターを見た。マスターはその視線に気づいて洗い物をしている手を休めることなく、千尋を見上げ、
「ええ、彼は僕と同じバーテンダーですよ。でもここのお店ではないんだけど、バーテンダー仲間として、贔屓にしてもらっています」
「そうなんですね」
 千尋は納得し、再度横にいる譲二を見つめた。
 譲二はやはり笑顔のまま、千尋を見つめ、
「彼とは、フランスに一時期修行に赴いた時に知り合ったんだけど、意気投合してね。お互いに切磋琢磨できる間柄ということで、気心も知れているので、親友と言っていいんじゃないかな?」
 千尋は横目でマスターを見たが、彼も頷いていた。
「羨ましいは、そういうお仲間の方がおられるなんて」
「女性の間では、なかなかそういう関係にはなりにくいんですか?」
「女性というのは、少しでもお互いに我を通そうとすると、それが相手の競争心を掻き立てるようなところがあるんでしょうね。ぎこちなくなってしまって、修復が難しくなる時があります。ある程度の距離を保つことが女性の場合は大切なのかも知れませんね」
「それは言えると思います」
「私はそれだけ、女性って不器用なのかって思っていますよ」
「きっと、異性に対しても同じような感覚なんじゃないですか? 男性の場合は、相手が同性か異性かで違ったイメージを持つものですが、女性はどうなんでしょうね」
「女性も違うと思います。でも、それは感覚というよりも対応という意味で違っているのを勘違いしているからではないかと思うんですよ。対応と思った時点で、違うとは言えないのかも知れませんね」
 千尋は、こんなことを自分が口にしていることにビックリしていた。
 一人で考え事をしている時には、こういう発想を思い描くことはある。しかし、口に出していうことではないという思いと、こういう話ができる相手が自分のまわりにはいないという思いがあり、
――心の中にしまっておくものだ――
 と考えていたのだった。
 千尋は、普段から考えていることを口に出していると、次第に警戒心などどこにもなくなり、解放感という快感に包まれていた。心地よい解放感は解き放たれたものであり、開いたところから抜け出したなどという他力のものではなかった。
 気づかぬうちに時間は過ぎていく。まるで、バーの中だけ時間を食べる何かが潜んでいるかのようだった。それに入った時よりも部屋が暗くなってくるのを感じた。それは同時に部屋が狭く感じられるという錯覚を呼び起こすことに繋がっていた。
 千尋は気づかなかったが、時間が短く感じられたのは、部屋の狭さを感じたからだった。部屋の狭さを感じたのは、暗さが影響している。それはマスターの粋な演出であり、このバーの特徴でもあったのだ。
 この日はほとんど二人だけの貸し切りのようになっていた。誰も他に客がやってくることもなかった。後から聞いた話だが、この店の客はほとんどが常連客で、しかも、他に客がいることを嫌う人が多かった。したがって、皆暗黙の了解で、来る曜日を決めていた。この日誰も客がいなかったのも、そのせいだ。一見の客が来るなどほとんどありえないと言ってもいい隠れ家のようなこの店は、女性客にとって酔いしれる時間を与えてくれる不思議なところでもあったのだ。
 すっかり酔っぱらってしまった千尋だったが、
――こんなに心地よい酔いなんて、今までになかったわ――
 と、まるで夢心地の自分に酔っていた。
 アルコールに酔い、自分に酔う。一度味わってみたかった感覚だったのだ。
「そろそろ行こうか」
 と言われ、
「ええ」
 と答えて席を立ったところまでは覚えているのだが、その後の千尋は自分が前後不覚に陥ってしまうことを自覚しながら、次第に意識は薄れていったのだった。
――私、夢を見ているのかしら?
 横になっている自分を感じながら、起きることができず、そのまま横たわっていると、身体に力が入らないことを自覚し、
――そうだわ。酔いつぶれて、意識がなくなったんだわ――
 というところまで思い出した。
 その時に、誰の声もしなかった。スーッと消え行く意識の中で、耳鳴りを感じたかと思うと、その耳鳴りは今もなお、耳に響いていた。
――私は、バーのソファーに横たわっているのかしら?
 とも思ったが、それにしては、身体が重たくて仕方がなかった。最初は身体に力が入らないだけだと思っていたが、そうではない。確かに手足の指先は痺れていて、力が入らない状況だったが、それ以上に羽交い絞めにされている自分の状況に、焦りを感じずにはいられなかった。
――この匂いは?
作品名:表裏の結界 作家名:森本晃次