表裏の結界
いくら無意識だとはいえ、結界を作るということは、相手に知られたくないという思いがあるからで、知られるとどうなるかが想像できたからだろう。
そんな思いは、誰にだってある。いくら幼馴染で自分のことを一番よく分かっている人だとはいえ、他人なのだ。
――この他人という意識、絶対に忘れてはいけない――
と感じたのは、
「親しき仲にも礼儀あり」
という言葉があるが、お互いに気を遣っている間はいいのかも知れないが、少しでもぎこちなくなって、気を遣うことが億劫になったり、気を遣うことを忘れてしまっていたら、今まで一番付き合いやすいと思っていた相手が、
――一番付き合いづらい相手だ――
と思うようになるだろう。
なぜなら、気を遣うこと以外で、相手との接点が感じられなくなるからで、そうなってしまうと、元の仲に戻すことは、容易ではないと思うに違いなかった。
それでもさすがに結界という言葉は抵抗があった。
――そこにあるのはただの壁であって、見えないことが問題だ――
見えないことで、まさかそこに壁があるなど思いもしないので、自分では近づいているつもりだった。本当は見えないのは、
――目の前にある壁のはずなのに、いつの間にか千尋を見ていたはずなのに、見ていたことが自分の意識から消えてしまう――
それが、結界の本当の恐ろしさなのではないだろうか。
そう思うと、千尋が結界に気づいていないことに複雑な思いを感じた。
――本当なら、そのまま気づかないでいてほしい――
という思いをずっと持っていた。
和人が結界という発想を感じたのは、大学に入ってからだった。
それまでは、千尋と同じように平行線だと思っていた。もっとも平行線という意識を最初に持ったのは千尋だった。
千尋はかなり早い段階から、
――二人の間には平行線が存在している――
と思っていたのだが、そのことを一番知られたくないと思っていたのが和人だっただけに、時々和人が、
「おや?」
と感じるような素振りを見せることがあった。
まだまだ幼かった和人には、その思いは伝わらない。
和人は思ったよりも晩生だった。
高校生になるまで、異性に対しての意識は持っていなかった。千尋に対してもただの幼馴染という意識があるだけで、女性はおろか、女の子としても意識していなかったのだ。
逆に千尋は早熟だった。
身体の発育はまわりの女の子に対しても進んでいて、小学生の低学年の頃から、すでに胸は目立ち始めていた。
今ではファッションモデル級の体型を維持していて、街を歩いていると、たくさんの男性が寄ってきて、ウンザリするほどだった。その中にはスカウトの人もいたが、千尋は一切相手にしなかった。
一度興味本位でスカウトを名乗る男性の話を聞いてみようと思い、喫茶店で話を聞いたことがあったが、途中までは乗り気で話をしていたスカウトの男性が、途中から急に態度を変えて話を切り上げ始めた。千尋にもその様子が分かったが、別に嫌な気はしなかった。ただ、どうして急に豹変したのかは分からなかったが、どうも何を言っても興味を示さない千尋に冷めてしまったというのが真相だろう。
友達にその話をすると、
「せっかくいい話なのにね」
と言われたが、
「だって、興味ないんだもん」
としか言いようのない千尋にとって、スカウトマンもそのあたりにいる軽薄な男性以外の何者でもないようにしか映らなかったのだ。
「でも、それはそれで正解かもね」
「どうして?」
「だって、千尋はすぐに顔に出るから、たくさんの人の前に出るなんて、しょせんは無理なことなのよ」
と言われて、頷くしかなかった千尋だった。
「そんなことは、最初から分かっていることだからね」
と、
「もう、この話はおしまい」
として、打ち切ってしまいたかったのだ。
スカウトマンとしても意外だったのだろう。
彼らなら、どんな雰囲気の女の子が、どんな反応を示すかということまで分かっているだろう。
それもほとんど外すことがなかった人なら、千尋のような雰囲気の女性がここまで冷めているとは思っていなかったに違いない。
千尋はチャラチャラした雰囲気ではないが、好き嫌いはそんなに激しい感じではない。友達も適当にいて、男性からチヤホヤされている千尋をやっかむような女性は、差し当たってまわりにはいなかった。
「どこか、天性なところがあるのかも知れないわね」
それは、人から恨まれることのない性格で、持って生まれたものではないかと思われていた。人から恨まれない性格というのは、自分で作ろうと思ってもなかなかできるものではない。天性のものだと思われても無理のないことだろう。
千尋は、極端なところがあった。自分が興味を持ったものにはトコトン調べるが、興味のないものは、まったく見向きもしない。スカウトマンが見た彼女は、ちょうどその時、興味を持って前を見ていた。きっと何か他に興味のあることができたのかあったのだろうが、スカウトマンにはそれが自分の持ってきた話だと思ったのだろう。
千尋は、スカウトマンから声を掛けられた時、普段なら相手にもしないのだろうが、その時は、
「別に聞いてもいい」
と思ったのだろう。
さして興味があったわけでもないのに、スカウトマンの話を聞いた。
――この娘、どこかおかしい――
すぐに気づいたのだが、どうやら上の空であることが分かった。しかし、彼もプロの端くれだと思っているので、何とか興味を持たせようと必死だったに違いない。
何といっても、自分の第一印象が間違っていたということを認めたくなかったのだ。認めてしまうと、今後の自分のプライドが傷つけられると感じたからだ。スカウトに成功するしないは二の次で、興味を持たせることに集中した。
それでも千尋は興味を示さない。それなりに持っていた自信が音を立てて崩れていくのを感じたと同時に、自分が冷めてしまっているのに気が付いた。初めて感じた思いだったが、誰が悪いわけではない、こういうこともあるということだと割り切るしかなかったのだろう。
千尋のそんな性格を、和人は子供の頃から知っていた。
千尋の発育が、他の女の子よりも早いのも分かっていて、次第に自分を追い越して大人になっていくのも分かっていた。しかし、身体の発育とは別に、サバサバした性格がとても女の子だとは思わせないように感じ、
――自分が好きになる女の子って、どんな感じなんだろう?
とても、千尋を見ていると、自分が好きになれるようなタイプではなかった。
正直、身体の発育だけを見ていると、そばにいるだけでドキドキしてしまう自分を感じていた。身体がムズムズしてきて、身体が反応しているのを感じた。
しかし、話をしてみると、そのサバサバした性格から、とても女の子だとは思えない。思春期であれば、そんなアンバランスな雰囲気も好きになれる要素を含んでいるのだろうが、まだまだ子供の頃のことなので、身体だけで好きになることはなかった。
千尋を女の子として見ることができなかったのである。
和人は、千尋以外の女の子の友達はおらず、意識したこともなかった。彼が晩生である理由は、千尋と幼馴染だったところから繋がっていたのだ。