浄化
確かに、男の言っていることは、信じろという方が無理がある。しかし、男の立場から話を聞けば、決して無理なことではない。克之がもし、男の立場なら、何とかしようと思うだろう。
それにしても、信じられないことが多すぎる。違う世界が存在するというのは、パラレルワールドという意味では信じられないことではない。しかし、男も言っていたではないか、
「パラドックスというものが存在している」
と……。
つまりは、同じ人間が別の世界にもいるというのが分かっているのなら、しかも相手の世界を壊してはいけないということが分かっているのなら、いくら科学者が移動することが可能な機械を開発できたとしても、理論的なものだけで、倫理的に大きな反動があるのではないかと思うのは克之だけであろうか。この世界でも過去や未来に行けるためのタイムマシンの開発は、永遠のテーマのように開発している人もいるであろうに、誰一人として完成させていないではないか。
ひょっとして開発させた人がいるかも知れない。だが、実際には表に出ていない。表に出すことができないのか、それとも実験段階で、まるで神への冒涜として、科学者自身、見えない力に抹殺されたのかも知れない。
このような研究を個人でできるなど、今の世界では考えられない。少なくとも国家レベルの大きなプロジェクトが存在していることだろう。しかも、最高国家機密に違いない。成功しても簡単に発表もできないだろう。そういう意味では誰かが成功しているかも知れない。
ただ、だからと言って、何か大きな事件が起きているわけではない。やはり都市伝説のようなものだと思う方が、はるかに信憑性がある。
――「七夕男」は、何のために、そしてなぜこの僕にこんな話をしてくれるのだろう?
克之は、この男から選ばれた人間ではないかと思うようになってきた。それはあまり気持ちのいいものではない。一歩間違えれば、この世界の運命を自分が握っているのではないかとさえ思えてくるからだ。
そこまで来ると、もう自分の頭の感覚がマヒしてくるのが分かってくる。
「七夕男」は、冷静沈着だが、それは、彼が今までいた自分の世界がそんな性格にさせたのか、それとも、冷静沈着でいなければ、生きて来れなかったのか、そのどちらでもあるような気がしてきた。もし克之が想像もできないような修羅場にいきなり放り込まれると、果たしてどれだけもつか、考えただけで恐ろしい。
――瞬殺されてしまうか、それとも気が狂ってしまうか――
どちらにしても、あっという間に正常ではいられなくなることに違いはない。
「あなたの世界の人間は、それが正しいと思っているのだとすると、いくら話をしても同じだということになりますね」
「その通りだね。だから余計に、時間が問題になってくる。早く何とかしないといけないと思うんだが、だからと言って、事を焦ってしまっては、すべての歴史を変えてしまうことになりかねない」
「どうして、あなた一人がそんな大切な問題に関わっているんですか?」
「いや、俺だけではない。同じ考えを持っている同士もいる。しかし、少数派でしかないので、なかなか認められない。君たちの世界でもそうだと思うが、少数派というのは、『悪』に分類されたりしないかい? 多数決で行かれてしまうと、こちらは一溜りもない」
「僕たちの世界では、多数決は民主主義の基本ですからね。しかも、今の社会では民主主義が『正義』とされている」
「だから、困るんだ。こちらは、何とかまわりを引き留めようとプロパガンダ映像を作ったりして、まわりの人たちを少しでも『洗脳』していくしかないんだ。きっと君たちの世界では、そのことが悲劇を生んだのだろうが、我々はパラレルワールドなんだよ」
「つまりは、こちらの歴史も分かっていて、その上、その失敗を繰り返さないようにしようということですね」
「その通りなんだ。そのためには、文献だけではいけない。実際にこの世界のその時代にも実際には行ってみた。本当に悲惨な時代だったが、逆にその歴史を分かっていれば、いくらでもやりようがあるということだよ」
「でも、一歩間違えれば、悲惨な歴史を繰り返しませんが?」
「今だって、似たようなものさ。騒乱の時代だし、いろいろな噂話が都市伝説のごとく蔓延っている。そんな世界を君たちは想像もできないだろうね」
想像することはできないこともないかも知れない。しかし、想像することが克之には恐ろしかった。
「想像はできないけど、あなたたちが今しているであろうことだけで、果たして向こうの世界がよくなるかと言われれば、難しい気がします」
「分かっているようだね。もちろん、いくつもの段階を踏むことが必要だと思っているんだ」
克之の発言は、当然のごとく事情が分かっていないだけに適当だ。それでも話を聞いてくれるということは、自分たちだけの考えでは、どこかに偏りがあると思っているからなのかも知れない。
「ところで、あなたはさっき、こちらの世界の過去を見てきたと言われましたが、あなたたちは、タイムマシンも持っているんですか?」
「持ってるよ。君の言いたいことは分かる。過去に戻って歴史を変えてしまうと困るというんだろう? その心配はない。我々はあくまでもパラレルワールドの世界の人間なんだ。行った過去というのはすでに君たちの過去になっていて、我々の過去とはすでに別れた後だったんだ。世界が違えば、過去に戻っても、歴史を変えることにはならないんだ」
完全には承服できないが、
「君たちは、我々と同じ時代のパラレルワールドなのかい?」
「いや、厳密に言えば、未来から来たんだ」
「今の話に矛盾していないかい? 違う世界の過去を変えても、時代は変わらないんだろう?」
「そこが少し違う。人を殺してしまうのは、抹消してしまうことなので、できるんだ。食い止める方がよほど難しい」
「あなたの言うことをどこまで信じていいのか分からないが、何となく分かってきた気がします」
克之は最初ほど、おたおたしていない。話を聞いているうちに落ち着いてきたのだ。だが信じられないことや、確かめておくべきことが少なくないことも分かってきた。まずは「七夕男」が自分に近づいた理由を確かめるしかない。
「あなたは、僕に出会ったのは、偶然なんですか?」
「そこも気づいていたかな? 実は偶然ではないんだ。我々にもこの世界の情報をもたらしてくれるルートがあって、それをコンピュータに掛けたら、俺に対して、君という人物が現れた。もちろん、こちらでも君のことを調べて、我々の話を信用してくれる人だと思ったから、こんな形にはなったが、近づいたわけだ。君が気付いてくれてよかったよ。これでいろいろと話しやすくなったというものだ」
彼がどこまで克之のことを調べたのか分からないが、少なくとも思考回路までは分からないだろう。せめて行動パターンから、どのような人間かをプロファイルすることができるくらいではないかと思えた。
しかし、それもこちらの勝手な思い込みである。彼の言うように、本当にタイムマシンを保有しているほどの科学力の発達した世界からやってきたのだとすれば、簡単にあなどることはできない。
「七夕男」にもう一つ聞きたかった。