浄化
そもそも彼がどこから来たのか、そのあたりが一番の謎であり、そこから次第に雪が解けるように分かってくるのであろう。今の話はすべてが克之の想像であり、別に根拠があるわけではない。簡単に否定することはできるが、逆に簡単に否定することもできない。どちらが難しいかというと、否定できない方が重たいように思えた。
「一年というと、きっかりとしているようだけど、何か根拠がなければ、一年という月日も、ただの一日の蓄積に過ぎないと思うんだけど、どうなんだい?」
克之は考えていることを話した。
「確かにそうだね。昔の人が季節や、天体の動きを見て、自分たちの標識として暦というのを作った。俺たちはそれを当たり前のように使っているが、考えてみれば、それはすごいことだよな」
「僕もそう思います。でも、一年というのは、季節や天体という自然の力があってこそ成立しているものでしょう? あなたはその一年をどのように考えて区切ったのですか?」
「俺たちの世界の一年は、この世界の一年間とは、少し違っている。元々は確かに同じ季節や天体を元に作られたものなのだが、今ではそれも伝説でしかない」
「どういうことなんですか?」
「我々の世界には、季節はおろか、天体の情報は皆無になっている。確かに空は見えて、星や月、太陽はあるにはあるが、それが季節や方角を導いてくれることはなくなった。きっとこの世界の人間からすれば、『歪んだ世界』だと思うんだろうな。だが、それでも時間を刻むのは、同じなんだ。季節感がない分、我々は時間を大切にする。ただ、この世界とは違っているので、君たちにとっての一年を、俺は使わせてもらった。これから話す話を信じる信じないは、君の自由なので、信じてほしいとは言い難いが、それでも説明するしかないんだろうと思う」
その男は、そこまで言うと、息が切れていた。必死になって話をしているのは分かるが、ここまで息切れしているのを見ていると、少し心配になってくる。
「大丈夫ですか? ゆっくりでいいですよ」
「ありがとう。とりあえず言わなければいけないことだけは話しておこう」
今までの高圧的な態度から、「七夕男」の体調などを気にしていると、
「余計なことだ」
と言われるかと思ったが、そんなことはなかった。
「さっきも言ったように、俺はこの世界とはまったく違った世界からやってきた。もちろん、そこか地球であり、日本でもある。君はパラレルワールドという言葉を知ってるかな?」
「聞いたことはありますが、説明しろと言われると難しいです」
「俺も正確には説明できないが、厳密にいうと、パラレルワールドとも少し違っている。パラレルワールドというのは、例えば、過去に遡ると、人生のターニングポイントは無数にあるんだ。たとえば、普段通る道が決まっているとして、急に違う道を通ると、まったく違う世界が見える気がするだろう? その瞬間に違った世界に入りこんでいる。逆にいつもの道を歩いた自分とその日は違う自分が存在することになる。そして一度違う道に入ってしまうと、元の道に戻ろうとしても、二度と戻ることはできない。なぜなら、その道にはもう一人の自分がいるからさ」
「同じ次元で同じ人間が存在するなど許されないという考え方は、何となく分かる気がします。それを『パラドックス』というんですよね?」
「その通りだ。パラドックス自体も無数に存在していると俺は思っている。だから、パラレルワールドが一種のパラドックスなら、君たちの目から見れば、俺たちの世界も一種のパラドックスなんだ。パラレルワールドと何が違うかというと、俺たちの世界には君たちの住むこの世界にいる人間も存在している。しかし、彼らは皆、他の世界にも同じ自分がいることを知っている。そして、その無数にあるパラレルワールドの中から、もう一人の自分を殺さなければいけないと思っているんだ。ただ、もちろん、無数にいる自分を全員殺すなどできるはずもない。だから、自分たちが任意に選んだ世界に赴いて、もう一人の自分を殺そうと画策するんだ」
「簡単には、納得できない」
「もちろん、そうだろう。何のために殺さなければいけないのかということも当然問題だし、殺すことによって、どうなるかという問題もある。そして、そもそもどうしてそんな発想が生まれたかということも、大きな問題だよね。どれ一つ取っても、今の君には簡単に理解できることではない」
「一つの都市伝説のようなものなのかも知れないですね」
根拠のない噂話だけが、一人歩きをしているように思えてならない。
「確かに我々の住んでいるところでは、曖昧で根拠のない噂が絶えない。それも、しっかりとした根拠を説明できる人がいないからだ。そして、実際に政府のようなものはあっても、力はないし、行政力も拘束力をほとんど持たない」
「それだったら、ないのと同じじゃないですか」
「もちろん、最初はあったんだが、政治や行政に比べ、科学の発展は目覚ましく、科学者が我々の世界ではたくさんいるんだ。人々は、政府よりも、科学者を信用するようになる。まるで昔の僧侶や予言者を信じたような感覚だね。元々我々の世界も君たちの世界と酷似していたんだよ。もっというと、平和が続くいい世界だったんだ。それなのに、科学者が幅を利かせることで、次第に科学者の中から、世の中を征服したいというような輩まで出てきた」
「そんなことになったら……」
「そうだ。平和なんて、あっという間に壊れてしまって、科学者に人がつくようになって、それがこちらの世界の国のようになってしまった。それぞれの兵器での応酬さ。それこそ小競り合いが戦争に発展し、そうなると、皆平和だった頃を忘れてしまった。元々、野蛮な人種だったのか、平和というのに飽き飽きしていたのか、兵士はイキイキしているから困ったものだ。しかも、兵士が科学者の開発した薬によって、少々の兵器では死ななくなった。そうなると自然形態までおかしくなってくる。自然への冒涜まで犯してしまっては、我々の世界だけでは、どうすることもできなくなった。元々、他の世界にパラレルワールドが広がっていることは知られていたが、『パラドックスを犯してはいけない』という伝説があるので、誰もそれに触れることはなかったのだが、どこかの学者が、パラドックスを否定するような説を唱えると、誰もがその意見に賛同し、『無数に広がるパラレルワールドにいるもう一人の自分を一人だけでいいので、殺すのだ』という伝説を信じるようになった。そこまでくればもやは伝説ではなく、信念に変わってしまう。恐ろしいことだと俺は思う」
「他の人は誰も、そのことに対して疑問を感じる人はいないんでしょうね」
「そうなんだ。俺は逆に昔から言われていた伝説で、いくらパラレルワールドと言っても、他の世界の歴史を変えてしまうということは、同じ時代の過去の自分を抹殺するのと同じことになりそうな気がして恐ろしいんだ。世界が違うと言っても、行き来できるんだから、どこかで繋がっているような気がする。もっとも、こんなことを君に話してどこまで信用してくれるかというのは疑問なんだけどな」
男は、そう言って、うな垂れた。